2009年12月18日金曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 1章3~14節

1章3~14節 

ほとんどすべてのパウロの手紙では、はじめの挨拶の後にすぐ神様への賛美がつづきます。これらの箇所からわかるのは、パウロが神様に日々感謝していた、ということです(コリントの信徒への第1の手紙1章4節、テサロニケの信徒への第1の手紙1章2節)。ここには私たちが学ぶべきことがたくさんあります。こうした手紙の書き方の背景に、一日を大いなる神様への賛美ではじめるユダヤ人たちの習慣があったのは、確かでしょう。この習慣はキリスト教会で何百年にもわたって守られ、今日でも教会の規範的な祈りの中に残っています。

「エフェソの信徒への手紙」から伝わってくる、神様の恵みについての御言葉は、深い意味をたたえた圧倒的なイメージに基づいています。天地創造よりも前に、神様はキリストにあって救いの計画を立てておられました。そしてまた、私たちをキリストにあって「御自分のもの」として選び出してくださったのです。こうして、私たちは皆、神様の究めがたい御意思により、神様の子供として定められました。なぜ私たちが神様に招かれたのか、なぜ聖霊様は私たちが主イエス様を信じるようにしてくださったのか、不思議です。ともかくも実際にそうなったのであり、私たちにできることは、そのことについて神様に感謝をささげることです。

「私たちは、御子にあって、神様のゆたかな恵みにより、御子の血をとおして、あがない、すなわち、罪過の赦しを受けたのです。神様はあらゆる知恵と思慮との中にその恵みを私たちに増し加えてくださいました。」(1章7~8節)これ以上美しくまた明瞭に、私たちの信仰の基礎を言い表すことは難しいでしょう。これを見つけた人は、揺るがない礎石を自分の人生に見つけたことになります。

9~14節はすでに手紙のはじめの部分の主題を扱っています。すなわち、キリストによる和解のみわざはユダヤ人と異邦人とをひとつにした、ということです。こうして、ユダヤ人ではないクリスチャンは皆、神様がはじめイスラエルの民だけに約束された相続分を、自分たちもいただけるようになりました。このことを私たちに確証するのが、聖霊様による証印、すなわち洗礼です。洗礼は、私たちには相続分、あがない、罪の赦し、あらゆる天の宝があることを、私たちに保証しています。

「エフェソの信徒への手紙」の最初の1章は、この手紙をわかりやすく説明する喜びと難しさをあきらかにしてくれます。手紙は言葉にはできないほど美しく、圧倒的に偉大な思想に満ち、テキストと深く取り組む者に対して、イメージが躍動し始めます。それと同時に浮上してくることがらがあまりにも大きいので、それらを個別に取り扱うことは、この段階では不可能です。幸いなことに、手紙のはじめの部分は、神様の大いなる救いの計画を何度もくりかえして語っています。今のところ私たちは、とても大きくて美味しいパンからたやすくちぎれる「かけら」を味わうことで満足することにしましょう。

2009年12月16日水曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 1章1~2節


1章1~2節 挨拶

「エフェソの信徒への手紙」のはじめの言葉は、パウロの挨拶の通常のパターンを踏襲しています。古典世界の習慣に従い、手紙の著者の名前が手紙の最初に記され、それから、手紙の受け取り手が記されます。そして、その後に短い挨拶がつづきます。
最も古い写本群には、それよりも新しい写本群とは異なり、テキストに「エフェソにいる」という言葉がありません。前に述べたように、エフェソの信徒たちはこの手紙の唯一の受け取り手ではなかったのです。おそらく、この手紙は教会の間で回覧されるために書かれた手紙であり、手紙の受け取り手を記すべきところに空欄があったのではないでしょうか。
いつものようにパウロは自分のことを「使徒」、すなわち「派遣された者」と呼んでいます。ふたつの短い節でイエス様の御名が3回登場します。このように、パウロは自分勝手にこの手紙を書いているのではないことを強調しているのです。

2009年12月14日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 賛美


おだやかに思いをめぐらす賛美

「エフェソの信徒への手紙」は、おだやかで、ゆっくりと思いをめぐらす、賛美の雰囲気をただよわせています。(当時の)礼拝式文がこの手紙の言葉遣いに影響を与えています。手紙の教えも伝統に沿ったものです。それは、パウロの多くの教えのまとめであり、新約聖書のほかの手紙でも扱われている具体的な生活指針です(たとえば、「コロサイの信徒への手紙」や「ペテロの第一の手紙」と比較してみてください)。「エフェソの信徒への手紙」は、救いがすべての人々にもたらされていることを強調しています。手紙では「福音の秘密」が深く取り上げられます。それゆえ、クリスチャンとして長く生きてきた人にとっても、この手紙から学ぶことはいくらでもあります。イエス様が私たちの切れてしまった神様との関係を直してくださることを、この手紙は思い起こさせてくれます。また、人々を分け隔てている「壁」は崩れ落ちます。ユダヤ人と異邦人とはキリストの教会で互いを見出します。「建物としての教会」というイメージは手紙の中で重要な比喩になっています。イエス様の死と復活、私たちの受けた洗礼のゆえに、私たちは神様の子供です。それゆえ、私たちは神様の家族にふさわしい生活習慣について教えを受けます。それは、「父の子」のグループの外部に自分を追いやってしまわないようにするためです。使徒パウロの教えはさまざまなクリスチャンをひとつの教会にまとめます。それらの教えは、神様についての正しいイメージを、私たちが神様をしらない人々に対して与えることができるように、助けてくれます。

2009年12月10日木曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 「教会」の手紙

「教会」の手紙

「エフェソの信徒への手紙」は手紙というよりも、「クリスチャンの間の結びつき」とか「教会とは何か」といった表題がふさわしい教科書です。この手紙の中心的な考えは、「キリストはすべての人に神様の御許への道を開いてくださった」というものです。この「神様への結びつき」は、一人一人の個人的なことがらに留まるものではなく、クリスチャンがより広範なひとつの「まとまり」に結びついていくのです。この「まとまり」とは、ちょうど頭が体を指導するように、キリストが指導している「世界に広がる教会」です。手紙のこのメッセージは、「クリスチャンの結びつきとは、具体的にはどのようなものでしょうか」という問題を読者に突きつけます。このガイドブックを通じて読者が、「教会が現存している」ということが神様の大いなる善性のあらわれであることに気づくことを、願っています。私たちは今「教会」を新約聖書の視点から「理想の教会」としてとらえます。ひどく荒れているかもしれない「現実の教会」ではないことに注意してください。

「エフェソの信徒への手紙」を調べていくときには、いくつかの言葉の意味を正確に定めておくことが大切です。これから先は「教会」という言葉を次の意味で用います。私たちはニケア信条で「唯一の教会」が存在することを信仰告白します。ですから、この「教会」という言葉で、天国への旅の途上にある人たち皆が属している「世界に広がっている聖徒の集まり」を意味している場合には、太線で書くことにします。ほかの場合には、ふつうの線で「教会」と書くことにします。なお、フィンランドではふつう「教会」は、ある教派の教会組織(たとえばルーテル福音教会)をさし、「各個地方教会」から区別されています。

教会に関する問題、すなわち、真の教会と偽の教会、さまざまな教派の教会組織、聖徒の結びつきに関する問題、については後ほどこのガイドブックでも取り扱うことになると思います。唯一の教会が存在すること、また、「エフェソの信徒への手紙」ではこの言葉には肯定的な意味のみがあり、教会の本質を照らし出す多くの印象的なイメージが用いられていることを、ここではおさえておきましょう。

2009年12月8日火曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 誰から誰にどうして書かれた?


この手紙の書き手、読み手、また手紙が書かれた動機について

「エフェソの信徒への手紙」は、使徒パウロが牢獄で書いた手紙のひとつとみなされてきました。この手紙の名前は少し謎めいています。パウロはエフェソの信徒たちのことを個人的には知らないようにみえます(1章15節、3章2節)。とはいえ、パウロはエフェソではとてもよく知られた人物でした(使徒の働き19章)。いくつかの古い写本では、この手紙は「ラオデキヤの信徒への手紙」と呼ばれています。
「エフェソの信徒への手紙」は「コロサイの信徒への手紙」と非常に親密な関係があります。これらふたつの手紙を注意深く読んだ人は、それらが似通っていることに気がつくことでしょう。これはどうしてでしょうか。ひとつの手紙がもうひとつの手紙に部分的に基づいて書かれているからでしょうか。あるいは、これらの手紙の書かれた時期に「ある種のテーマ」が広範にわたってクリスチャンの間で熱く議論されていたからでしょうか。
コロサイの信徒への手紙4章16節に「ラオデキヤの信徒への手紙」として記されているものが、「エフェソの信徒への手紙」であった可能性もあります。また、「エフェソの信徒への手紙」がもともとは教会間で回覧されるために書かれた手紙で、それがエフェソの教会にも送られた、という可能性もあります。エフェソの教会宛ての手紙をもとに手紙のコピーが作られたので、この手紙が後になって「エフェソの信徒への手紙」と名づけられた、とも考えられます。

2009年12月7日月曜日

「エフェソの信徒への手紙」について はじめに

これから、「エフェソの信徒への手紙」についてのガイドブックを紹介しようと思います。
私もうまれてはじめて行った聖書研究会で出会ったのが、この手紙でした。(高木)


「エフェソの信徒への手紙」を読むためのガイドブック
ペトリ・トゥレン、エルッキ・コスケンニエミ 著 (翻訳編集 高木賢)

第1回

はじめに
「エフェソの信徒への手紙」は新約聖書の珠玉の書物の中でもとりわけ美しく輝いている宝石です。この手紙は深みがあり、愛と希望に満ちています。この手紙から多くの人は、クリスチャンとして生きる力を汲み上げてきました。たとえば、ルター派福音運動の中心人物であったF.G.ヘドベルグにとって、この手紙は非常に大切な書物でした。彼はこの手紙を研究し、そこから、ルター派福音運動がフィンランドではじまりました。

2009年11月27日金曜日

マルコによる福音書 第16回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ (前回と同じメッセージです)

「主は御自分の上に私たちのすべての罪の重荷を投げてくださいました。」(イザヤ書53章6節)この御言葉は、「キリストは私たちの罪を担ってくださった」という真理を力強く明瞭に告げています。この御言葉は新約聖書全体の正しさを証明する働きをしています。さらに、この御言葉は福音全体の唯一の基礎であり支柱です。この御言葉が立つ限り、ほかのすべても立ちます。もしも私たちが「キリストは私たちのために死んでくださった」と信じるならば、ほかのこともそれにつづきます。すなわち、キリストは私たちに聖霊様を賜り、こうして私たちをキリスト教会の真の会員としてくださいます。それゆえ、悪魔はこの御言葉を無効にするために全力を注ぎます。悪魔はすべてがそれに依存していることを知っているからです。

まさにこの信条において、ほかのあらゆる宗教と私たちの宗教の間の大きな永遠の相違があらわれています。この真理を心から真剣に信じる者は安全であり、すべての異端からよく守られています。聖霊様は本当にその人のもとにいてくださいます。聖霊様なしでは、この教えをしったり理解したり説教したりすることは不可能です。この主要信条から踏み外れる者は、ちょうど風によってあちこちに吹き飛ばされていくように、あらゆる間違った惑わしの教えにまきこまれる危険な状態にいます。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)

2009年11月25日水曜日

マルコによる福音書 第16回目の質問

第16回目の集まりのために

マルコによる福音書16章

1)女たちは何をするためにイエス様が埋葬された墓にやってきましたか。そもそも、どうして女たちは墓にきたのでしょうか。

2)イエス様の復活は何についてのしるしでしょうか。

3)イエス様の復活は私たちの心をどのようにゆりうごかしますか。

4)マルコによる福音書16章9~20節はもともとは福音書に入っていませんでした。これは私たちにとってどのような意味を持っていますか。

5)復活された主が弟子たちにあらわれた出来事について、マルコによる福音書16章以外の聖書の記述を調べてみてください(たとえば、コリントの信徒への第1の手紙15章1~11節など)。どの出来事があなたを一番感動させますか。イエス様が500人以上の弟子たちにあらわれた出来事について、私たちは何を知っていますか。どのようなことが、イエス様の実の弟ヤコブを不信仰な者からイエス様を信じる者へと変えたのでしょうか。私たちは十分に知ることができるのでしょうか。なぜ聖書は私たちに(復活の主の顕現という)これらの奇跡についてもっと詳しく教えてくれないのでしょうか。

6)私たちがイエス様の復活を信じることには、何か理性でも納得のいくような理由があるのでしょうか。論理的に考えることで、人は正しい結論に導かれるものでしょうか。

7)(海外)宣教活動を行うようにという明確な「主の命令」があります。私たちはどんな具体的なことを宣教活動のために行うことができますか。

8)「信じるか信じないかによって、救われるか滅びるかが決まる」と、イエス様は明確な境界線を引いておられます。私たちの住んでいる国では、イエス様のこうした見方は十分はっきりと伝えられているでしょうか。海外宣教活動においてはどうでしょうか。

9)イエス様は、御自分を信じる者には「しるし」がともなう、と言われています。そして、しるしは弟子たちの伝道活動にともなっていました。このことはイエス様の当時の弟子たちに関してだけ言われているのでしょうか。それとも、現代でも、福音が正しいことを証するために、しるしが信仰者にともなっていなければならないのでしょうか。

10)「キリストが天にあげられ、神様の右の座に着かれている」というのは、私たちにとってどのような意味を持っていますか。

2009年11月23日月曜日

マルコによる福音書について 16章19~20節

キリストは天におられます。 16章19~20節

最後の箇所は、イエス様がどのように天に挙げられ、お父様の右の座におつきになったかについて、短く語っています。弟子たちはさっそく行動に移り、福音をあらゆるところに伝えていきました。「イエス様がお父様の右の座におつきになったこと」は、私たちにはおそらくすでにあたりまえのことになっているでしょう。しかしそれは、マルコによる福音書のユダヤ人読者にとってはそうではありませんでした。ユダヤ人たちにとっては、神様は唯一のお方であり、その御座を誰か他の者と分け合うことなどはありえないことで、天使にも聖なる神様の近くに座る権利などはありませんでした。すべての人の罪を帳消しにするための十字架での使命を果たされたあとで、キリストはお父様の御許に戻られて、人間の理解を超えた栄光を私たちに確保してくださいました。主が私たちの罪の負債を御自分の血によってすっかり支払ったあとで、お父様から天と地のあらゆる権威を受けられたのは、私たちにとって計り知れないほど大きなことです。キリストがドアを開けてくださるとき、それを私たちの前で閉める者は誰もいません。もしもキリストがドアを閉めるならば、それを開けることは誰にもできません。弟子たちは福音をすべての被造物に伝えるために出かけて行きました。それは今日でもキリストの教会の基本の使命です。私たちは他のすべてのことを忘れてもかまいませんが、「主の苦難の僕」、神様の御子について証することは決して忘れてはなりません。この御子が私たちのために御自分を死に渡してくださいました。そして、この御子をお父様は死者の中からよみがえらせ、御自分の右の座へと挙げられました。

2009年11月20日金曜日

マルコによる福音書について 16章15~18節

弟子たちは使命をいただきます。 16章15~18節

イエス様の復活は、すぐに忘れ去られてしまう無意味な出来事では終わりませんでした。イエス様は使徒たちを御許に集められ、彼らに使命をお与えになりました。イエス様の「宣教命令」はマタイによる福音書にも記されています(28章18~20節)。今や全世界の人々をイエス様の弟子にしなければならない時がきました。これは洗礼を授け、教えることによって実現します。こうして「イエス様のもの」になった人は救われます。しかし、信じない者は滅びへと裁かれます。キリストは御自分のものたちとおわりまで共にいて、御自分の御言葉が真理であることを、御言葉にともなう「しるし」によって私たちに確信させると約束なさいました。新約聖書の「使徒の働き」は、どのようにこれらのしるしが具体的にキリストの弟子たちの伝道の働きを通してあらわれたか、語っています。

2009年11月18日水曜日

マルコによる福音書について 16章9~14節

キリストは「御自分のもの」である弟子たちにあらわれます。 16章9~14節

イエス様の復活を証したのは天使たちの啓示だけではありません。不信仰な「主のもの」たちは、自分たちの先生が生きていることを信じるようになるために、疑う余地のないたくさんの証拠を必要としていました。イエス様がマグダラのマリアの目の前にあらわれたことについては、ヨハネによる福音書(20章1~18節)に詳しく感動的に語られています。こうしてマリアは「イエス様が復活して生きておられる」というメッセージを他の弟子たちへ告げる仕事を与えられましたが、弟子たちはマリアの言うことを信じようとはしませんでした。「小さな村へと旅していたふたりの弟子たち」が、ルカによる福音書24章(13~35節)に語られている「エマオへの道を歩んでいたふたりの弟子たち」と同一であるのはまちがいありません。イエス様が11人の弟子たちにあらわれたことは、多くの聖書の箇所に記されています。また、こうした出来事が何度も繰り返し起きたのも確かです(コリントの信徒への第1の手紙15章1~11節、ヨハネによる福音書20章19~29節)。興味深いのは、イエス様が弟子たちの前に御自分をあらわされたことを語っている記事はこれで全部というわけではない、ということです。マルコによる福音書よりももっと古い伝承に基づいている多くのそのような出来事が、リストには欠けているのです。私たちはとりわけいくつかの出来事についてもっと知りたいという思いがあります。たとえば、復活された主は、どのようにペテロや御自分の兄弟であるヤコブにあらわれたり、どのように500人以上の弟子たちに同時に姿をお見せになったりしたのでしょうか(コリントの信徒への第1の手紙15章5~7節)。私たちの好奇心が満たされることはありません。復活の主を目の当たりにした証人はたくさんおり、不信仰な臆病者だった者たちが、死に至るまで主に忠実をつらぬいた伝道者に変わったこと自体が、彼らの確信が揺るぎのないものであったことを十二分に証明しています。「復活の主への信仰」は常に聖霊様の賜物であって、理性で考えた結果などではない、と私たちは信じています。

2009年11月16日月曜日

マルコによる福音書について 16章9~20節はどこからきましたか?

16章9~20節はどこから来たものでしょうか。

この章のつづきを研究する前に、あることに注目する必要があります。古典時代の書物はすべて、現代の私たちにコピーあるいはコピーのコピー(のコピー等)として保存され伝えられてきました。元本は残ってはいないのです。現存している写本はある程度互いに食い違っています。研究者たちは、いろいろな写本を比較検討して、もともとはどのように書かれていたか、を決定しようとしてきました。これは、非常に難しい場合もあれば、とても簡単な場合もあります。新約聖書を研究する環境は特有で、困難ではあれ祝福されています。新約聖書の写本が非常にたくさん保存されており、それらの写本を比較することで、多くの場合には、たとえばどの部分が元本にありどの部分が後の加筆かについて確実ともいえる理解を得ることができます。注意深い聖書の読者なら、聖書にはいくつかの節が欠けていることに気づくことでしょう(たとえば、ヨハネによる福音書5章4節)。括弧の中に入れられている箇所もあります(たとえば、ルカによる福音書11章4節)。これらは、なにか隠し事をしたり、聖書を貶めることではありません。それは、神様の御言葉から、しばしば何百年もあとから付け加えられた箇所を分別する目的でそうなされているのです。何節にもわたるこのような箇所は新約聖書では、ヨハネによる福音書8章1~11節と、今取り上げようとしているマルコによる福音書16章9~20節の二箇所だけです。写本によってはマルコによる福音書のテキスト自体は8節でおわっています。このあとに来る箇所については、ふたつの互いに異なる締めくくりの部分をもつ写本と、まったくない写本とがあります。どちらの締めくくりの部分もマルコによる福音書の元本には含まれてはいませんでした。もしも福音書が本来は8節で終わっていなかった場合には、その終わりの部分は失われてしまった、ということになります。現在私たちの手元に残っている締めくくりの部分は紀元後100年代になされた加筆です。そこには、復活されたイエス様が弟子たちに御自身をあらわされたことや、宣教命令を与えられたことや、そのあとで天にあげられたことが語られています。これらの大切なことがらはすべて、他の福音書にも、パウロが保存したイエス様の復活の証人たちの古くから伝わるリスト(コリントの信徒への第1の手紙15章1~11節)にも語られています。こういうわけで、これから取り上げる箇所は、福音書の元本にはなかったものの、聖書の他のさまざまな箇所によってその真実性が保証されている、と言うことができるでしょう。

2009年11月6日金曜日

マルコによる福音書について 16章1~8節

全世界に

マルコによる福音書16章


まったくの驚き 16章1~8節
イエス様が墓に葬られたとき、イエス様のはじめられた運動は完全におわってしまったかのようにみえました。イエス様は死に、弟子たちは逃げ去り、敵が勝ったのです。あとに残っていたのは、死者に対して行わなければならない愛情のこもった仕事でした。それを行うために女たちが墓へとやってきました。痛めつけられたイエス様の体は金曜日の夕方に大急ぎで墓に入れられたので、それに埋葬の仕上げを施すことができていませんでした。そのときには太陽が沈みかけていたし、安息日がはじまろうとしていたからです。安息日にはこの仕事をすることは許されてはいなかったので、女たちはようやく日曜日の早朝になってから墓へ行くことができました。彼らは一刻も無駄にせず、朝の薄暗いときにはすでに墓へ来ていました。何かが金曜日とは変わっていることに、女たちはふと気づきました。墓の入り口をふさいでいた重い大きな石が取り除けられていたのです。墓の中にはイエス様の死体はありませんでした。そこにいたのは、主が死者の中からよみがえったことを告げる天使でした。女たちはこのメッセージをペテロやほかの弟子たちに伝える役目を与えられました。不意をつかれて困惑している女たちは、わけもわからないまま墓から出て行きました。そのときには彼らは何をどう考えればよいのかさえ、わからなかったのです。やっとあとになってから、「イエス様のもの」である信仰者たちにはこの出来事の意味をゆっくり考える時間がありました。復活なさった主御自身がこのことを手に取るようにわかりやすく説明してくださったのです。キーワードはここでも「イエス様の権威」です。イエス様が本当はどのようなお方かしろうとして周りに集まった人たちは、いろいろな質問をイエス様に投げかけました。人々にそのような気を起こさせるようなやり方で、イエス様は登場され振舞われたのです(たとえば4章41節、6章2節)。マルコによる福音書の読者はその答えを1章のはじめからしっています。「イエス様は神様の愛する独り子であり、お父様の与えてくださった使命を実現するためにこの世に来られた」ということです(1章11節)。これと同じメッセージは輝く山でも一瞬告げられました(9章7節)。しかしそれは人々の目からは隠されていました。キリストの真のお姿が大議会の前であきらかにされたとき、大祭司は自分の服を引き裂き、イエス様は神様を侮辱する者として死刑の判決を受けました。しかし、今、神様はイエス様を死者の中からよみがえらせてくださいました。これは、「イエス様には生前話されていた御自分の「権威」を実際におもちだった」という驚くべきことを意味しています。このように、イエス様の復活は人々の不信仰を徹底的に恥じ入らせたのです。イエス様は御自分で言われていたとおりのお方でした。しかし、私たちは2千年前に起きた奇跡を不思議に思うだけで済ませるわけにはいきません。復活は、私たち皆ひとりひとりにとって身近なことがらなのです。イエス様のこの地上での人生には、はっきりとした目的がありました。イエス様は御自分の使命を完璧に成就なさいました。イエス様はイザヤ書が予言した「主の苦難の僕」(53章)であり、すべての人々の罪を代わりに担うためにこの世に来られたのです。イエス様も弟子たちに御自分の使命についてこのように説明なさいました(マルコによる福音書10章35~45節)。ここでイエス様が十字架上で引用された詩篇22篇をもう一度読んで、とくにそのおわりの部分に焦点を当ててみましょう。主の苦難の僕は屈辱を受け、神様はその僕を「死の塵に伏させました」(詩篇22篇16節)。にもかかわらず、主はその僕から遠く離れたままではおらず、僕を助けるためにやってこられました。復活したキリストは神様に賛美の歌を歌います。この歌には神様の民全体と地の果てのすべての者が加わります。こうして、キリストの死と復活において世界の歴史全体が転換します。

2009年11月5日木曜日

マルコによる福音書 第15回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

「主は御自分の上に私たちのすべての罪の重荷を投げてくださいました。」(イザヤ書53章6節)この御言葉は、「キリストは私たちの罪を担ってくださった」という真理を力強く明瞭に告げています。この御言葉は新約聖書全体の正しさを証明する働きをしています。さらに、この御言葉は福音全体の唯一の基礎であり支柱です。この御言葉が立つ限り、ほかのすべても立ちます。もしも私たちが「キリストは私たちのために死んでくださった」と信じるならば、ほかのこともそれにつづきます。すなわち、キリストは私たちに聖霊様を賜り、こうして私たちをキリスト教会の真の会員としてくださいます。それゆえ、悪魔はこの御言葉を無効にするために全力を注ぎます。悪魔はすべてがそれに依存していることを知っているからです。

まさにこの信条において、ほかのあらゆる宗教と私たちの宗教の間の大きな永遠の相違があらわれています。この真理を心から真剣に信じる者は安全であり、すべての異端からよく守られています。聖霊様は本当にその人のもとにいてくださいます。聖霊様なしでは、この教えをしったり理解したり説教したりすることは不可能です。この主要信条から踏み外れる者は、ちょうど風によってあちこちに吹き飛ばされていくように、あらゆる間違った惑わしの教えにまきこまれる危険な状態にいます。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)

2009年10月29日木曜日

マルコによる福音書について 第15回目の質問

第15回目の集まりのために

マルコによる福音書15章


イエス様は死刑の判決を受け、十字架につけられ、死なれ、埋葬されます。

1)ピラトの職歴はどのようなものですか。

2)なぜピラトは尋問中イエス様が黙っておられたのを不思議に思ったのでしょうか。マルコによる福音書は、イエス様は御自分を弁護しようとはなさらなかった、と語っていますが、それはどういう意味でしょうか。

3)なぜピラトはバラバという人物の名前を挙げたのでしょうか(15章6~15節)。ピラトの過ちから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

4)十字架刑とはどのような処刑法ですか。どのような人々が十字架につけられましたか。この処刑法を用いる目的は何でしょうか。

5)イザヤ書53章と「詩篇」22篇を読んでください。これらの箇所とマルコによる福音書との間にはどのような共通点があるでしょうか。

6)ローマの兵士は皆が聞いている中で「イエス様が神様の御子である」と、公然と告白しています。なぜこのような信仰告白が、マルコによる福音書のこの段階になってようやく公けになされたのでしょうか。

7)中世や宗教改革時代から伝わる賛美歌の多くは、「キリストの死は私たち(クリスチャン)の死ぬ瞬間における慰めである」というような表現をもっておわります。なぜ賛美歌作者たちはこのような歌を作ったのでしょうか。このことから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2009年10月27日火曜日

マルコによる福音書について 15章42~47節

墓での安息 15章42~47節

金曜日も夕方になり、イエス様は死んで十字架の上におられました。モーセの律法は、神様の与えてくださった聖なる土地を汚さないようにするために、「木にかけられた者の死骸はかけられたのと同じ日のうちに埋葬されなければならない」と定めています(申命記21章22~23節)。ちょうど大きなお祝いの時期に聖なる土地を汚すのは、とりわけ人々の心を傷つける行為でした。それゆえ、大議会の議員でありながらイエス様の友人でもあったアリマタヤのヨセフは、意を決してピラトのもとへおもむき、イエス様を埋葬する許可を求めたのです。はじめピラトは「もうイエスが死んだのか」といぶかりました。イエス様の早すぎる死は、十字架刑の前にひどく鞭打たれて多くの血をすでに失っていたためであるのはまちがいありません。十字架から降ろされたときに、イエス様が息を吹き返す見込みはまったくありませんでした。墓に埋葬されたのは、人の目から見ると立派でも美しくもない死に方をしたひとりの男にすぎませんでした。その人は弟子たちや人々に見捨てられ、神様にのろわれた存在でした。こうして、イエス様のはじめた運動は決定的に瓦解したように見えました。しかし、この段階では詩篇22篇の初めの部分の御言葉が成就しただけであることを、私たちは知っています。

2009年10月26日月曜日

マルコによる福音書について 15章33~41節

暗闇の瞬間と一瞬の輝き 15章33~39節

第6時ごろ、つまりお昼ごろから3時間にわたって、地上を暗闇が覆いました。ここに、おそらくイザヤ書の「私は黒い衣を天に着せ、悲嘆の荒布でそれを覆います」(イザヤ書50章3節)という予言との関係をみてとることができるでしょう。イエス様は十字架上で皆から見捨てられ、たったひとりで叫ばれましたが、それを聞いた者は間違って理解しました。イエス様はエリヤに助けを求めて叫ばれたのではなく、詩篇22篇を引用されたのです。詩篇の最初の数節を引用することは、その詩篇全体を引用することと同じでした。この詩篇22篇を読むことで、イエス様を侮辱する者たちの視線には映らなかった十字架上での出来事の本当の意味を理解することができるようになります。神様の義なる僕を、主は貶めて見捨てられ、神様をないがしろにする者たちの手に渡されたのです。しかし、苦痛を訴える僕は、窮地にあっても愚痴をこぼしたり信仰を失ったりはしません。彼は惨めな者の苦難を侮らず、助けを求める叫びを聞いてくださる神様に感謝します。苦しんでいる僕を神様が助けてくださるとき、主は全世界からの賛美を受けられます。イエス様は死にます。しかし、憤激する失敗者としてではありません。イエス様はたしかに私たちのせいで神様から見捨てられたのですが、死ぬときに神様をのろったりはなさいませんでした。御自分を死の瞬間にもお父様の御手にゆだねられ、神様の力に信頼なさいました。神様の与えられた「しるし」として神殿の幕が真っ二つに裂けました。それは、もはや異邦人とユダヤ人とを分け隔てる必要はないことを象徴する出来事でした。今や神様への道が開かれたのです。イエス様の受難と死の瞬間は、マルコによる福音書の頂点です。まさにこの頂点で、神殿の幕のほかにも「裂かれたもの」があります。長い間幾度も読者には理解しがたいままとして隠されてきた「メシアの秘密」が、ついにあきらかにされました。残酷な十字架刑の執行責任者であったローマ兵は、イエス様が死ぬのをみて、「この方が神様の御子である」と告白します。イエス様が神様の御子として知られるようになったのは、まさしく「十字架につけられ屈辱的に殺されたお方」としてでした。このようにイエス様は、人とはかかわりのない神的存在とか幽霊とかではなく、全世界の罪を帳消しにするために御自分のいのちを従順に死に渡された、お父様に忠実な御子でした。

2009年10月23日金曜日

マルコによる福音書について 15章21~32節

ゴルゴタへ 15章21~32節

処刑場というものは、どの社会共同体でもたいていは都市の外にあります。それはあたかも死刑囚が社会の外側へと追放されることを象徴しているかのようです。イエス様もまたこうした仕打ちを受けました。ここで、アレキサンデルとルポスとの父として名が挙げられているクレネ出身のシモンがイエス様の受難史に登場します。アレキサンデルとルポスとの名が挙げられているのは、彼らが初代教会でよく知られていた人物だったためでしょうか。没薬を混ぜたぶどう酒は、のどの渇きに苦しんでいる者にさらに拷問を加える一手段だったかもしれません(詩篇69篇21~22節)。しかし、それはまた、気持ちをほぐして痛みを和らげる飲み物であった可能性もあります。ともかくも、イエス様は差し出されたぶどう酒を拒まれました。イエス様は第3時ごろに十字架につけられました。それは、私たちの時計ではおよそ9時ごろにあたります。十字架にかけられた者の目の前で彼の服を誰がもらうか、くじが引かれました。「あの男」はもう服がいらないからです。こうしてまたひとつの予言が実現します(詩篇22篇19節)。ピラトは死刑の理由として「イエス様がユダヤ人の王になろうとしたこと」を挙げました。この王様を神様の民全員が今完全に捨て去ったのです。

2009年10月22日木曜日

マルコによる福音書について 15章16~20節

栄光の王様の下降 15章16~20節

ローマ帝国は兵隊をローマやイタリアからの人員だけではまかなうことができず、属州側の協力を必要としました。ローマは徴兵のさいに昔の争いと隣国間の不和を上手に利用しました。ユダヤ人を押さえつけていた軍団は主にシリアから雇われた兵士から構成されていました。これは、ユダヤの民と彼らを圧迫する兵隊とがいつか同調してしまう恐れをなくすためでした。今このような兵隊がユダヤ人の王を手中にしたのですから、敵意のこもった享楽がはじまったのはあたりまえでした。紫色の衣、茨の冠、葦の王笏、肉体暴力、道化芝居。これ以上の低みに神様の御子なる栄光の王様が下ることはもうありえないほどでした。マルコによる福音書の読者はここで、あらゆる軽蔑と恥辱の対象になりながらも神様に忠実を尽くしたイザヤ書の「苦難の僕」を思い起こすことでしょう(イザヤ書50章4~9節)。

2009年10月12日月曜日

マルコによる福音書について 15章6~15節

民のご機嫌をとるために 15章6~15節

ローマの支配組織とユダヤ人たちの間の関係は非常に興味深い研究対象です。双方は、一歩も譲らない頑固さと自発的になされるわずかな妥協によってようやく保たれる折衝関係にありました。そして、こうした関係から生まれたネットワークによって双方が互いに相手を支配しようとしていました。ユダヤ人の過ぎ越しのお祝いの時期に牢獄の囚人の誰かを釈放する習慣は、ローマ側からのささやかな好意のあらわれであり、それによってピラトは自分の立場を人為的に強化しようとしました。ユダヤ人を軽蔑しきっているピラトはユダヤ人の指導者たちに教えをたれようとしました。「ユダヤ人の指導者層が死刑にしたがっている例の男を、ユダヤの民が釈放するように要求するなら、なんとも滑稽ではないか」という考えが背景にあったのかもしれません。しかし民は、捕らえられたその教師には見向きもしませんでした。暴力的な反乱分子バラバの方が民の気に入ったようです。民は自分たちの王様に対しては何の興味もありませんでした。「イエスを十字架につけよ!バラバを釈放せよ!」という声が飛び交います。こうして、大祭司たちの陰謀術数はピラトに最後の選択を迫るところまでいきました。イエス様の「犯罪」についてはもはや尋問されることもないまま、イエス様は死刑を言い渡され、鞭打たれ、十字架につけられることになりました。十字架刑は、ローマ人たちの知っていた処刑法のうちで最悪の恥辱と苦痛をともなうやり方でした。彼らはこの拷問刑をペルシア人たちから学んだのでした。この処刑法において現代の人々の理解がとうてい及ばない一番重要な点は、「受刑者をはずかしめること」でした。十字架には、すでに死んだ人間たちも打ち付けられて、皆のさらしものとしておとしめられました。人間が生きたままで十字架につけられる場合には、流れ出る血の量が最小限に抑えられるようにしました。こうして、あわれな受刑者は何日間も生きながらえることさえあり、ローマの軍隊の残忍さを十分に満足させるようなかたちで、のどの渇きか、傷による発熱か、あるいは呼吸が詰まって死に至るのでした。息の根を止めるのに、受刑者のかかととひざの間の足の骨を折るという方法が用いられました。この死刑はあまりにも酷いものだったので、十字架刑の前の鞭打ちは死に方を「人間的なもの」にするようにさえ思えてきます。鞭打ちによって血がたくさん流され、受刑者はより早く死ぬことができるからです。ローマ人たちは本国では主として凶悪な犯罪をおかした奴隷を他の者の見せしめとするために十字架刑に処しました。属州ではこの最悪の処刑法は、道端に出没する強盗やローマ帝国の反乱者に対して適用されました。その目的は、重罪をおかした者たちのおぞましい結末を見た者皆に恐怖の念を植え付けることにありました。主の民とこの世の最高権力とが、今、神様の御子をこの道へと送り出そうとしています。

2009年10月9日金曜日

マルコによる福音書について 15章1~5節

苦しまれるキリスト

マルコによる福音書15章


沈黙を守る被告 15章1~5節

イエス様はユダヤ人たちの大議会の面前で裁かれました。大議会はイエス様に対して死の宣告を下したのですが、それは越権行為でもありました。それで、大議会はイエス様をローマ人の地区総督ポンテオ・ピラトの裁決にゆだねました。このピラトの職歴については正確なことはわかりません。はっきりしているのは、ピラトは皇帝ティベリウスの反ユダヤ的政策の時期にユダヤの地区総督に任命された、ということです。当時、ユダヤ人たちの支配者として、支配の対象であるユダヤ人たちを軽蔑し、必要とあらばどんな手段も辞さないような峻酷な人物が総督として任命されるのは、帝国の歓迎するところでした。西暦26年から36年までこの職にあったピラトは多くの流血事件を引き起こしたことで有名です。ローマへの反乱を少しでもかぎつけると、ピラトは情け容赦のない処置をとりました。(歴史家ヨセフスが伝える)聖なる山に結集したサマリヤ人たちや、(ルカによる福音書が伝える(13章1節))神殿の犠牲の儀式を行ったと思われるガリラヤ人たちなどが、そうした粛清による犠牲者たちの一例です。ローマで反ユダヤ的な傾向が収まると、ユダヤ人に対するある流血事件を起こしたピラトは、取り調べの結果、総督職を失い、左遷されました。ピラトはイエス様にひとつの核心を突く質問をしました。イエス様はそれに対して短く、しかも二通りの解釈ができるような、「それはあなたが言ったことです。」という返事をなさいました。「イエス様がローマ帝国に反旗を翻す王になったのかどうか」についてピラトがイエス様から引き出した答えはたったこれだけでした。イエス様は御自身に向けられたひどい誹謗中傷に一切弁明なさらず、ただ黙って聞いておられました。ユダヤ人は異邦人とは話したがらないものでしたし、ユダヤ人の自由のために戦った勇士たちが、尋問を受けているときにも、彼らが死にいたるまで守り抜いた確固たる態度を崩さなかったことを、ピラトもきっと耳にしていたことでしょう。にもかかわらず、拷問死を拒もうとはしないこの男は、ピラトには奇妙に映りました。ピラトが次のイザヤ書の予言をしっていたとしたら、どう思ったことでしょうか。「主は私たちのすべての罪の負債をこの方の上に投げかけられました。この方は虐げられ、それを甘んじて受けられ、口を開かれませんでした。ちょうどほふり場にひかれていく小羊のようであり、また、毛を刈り取る者たちの前で黙っている羊のように、この方は口を開かれませんでした。」(イザヤ書53章6~7節より)

2009年10月8日木曜日

マルコによる福音書 第14回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

主イエスは聖餐式を設定なさいました。その設定辞がはっきりと告げているように、聖餐式でイエス様は、パンとぶどう酒と共に、御自分のまことのからだを食べ物として、御自分のまことの血を飲み物として、私たちに本当に与えてくださいます。これは死なれる救い主が、この地上の御自分の教会のため、また私たちのためにしてくださった聖なる遺産です。それはイエス様が遺してくださった本当に不思議な、恵みゆたかな、神的な規定です。「不思議」だというのは、それを理性は理解しないからです。「恵みゆたか」だというのは、ここには恵みしかないからです。「神的」だというのは、この遺産の内容が神様のひとり子の肉と血だからです。神様だけがこのような規定を遺すことがおできになります。人間の世界でも、親は子供のために遺言状をつくり、彼らにこの世でのはかない残り物である資産の権利を譲ります。それに対して、私たちの神様、主イエス・キリストは、私たちのために苦しみを受けて死んでくださったときに、私たちに遺産として、金や銀やその他の資産ではなく、消えることのない永遠の天の宝を遺してくださったのでした。その宝とは、キリスト御自身にほかなりません。つまり、キリストのまことのからだという食べ物と、まことの血という飲み物です。私たちはこれよりよいものを願い求めることができるでしょうか。

このような贈り物、このような遺産を、万軍の神様、天の主からいただくことを、誰も願う勇気などはなかっただろうし、ましてひとりとして思いもよらなかったことでしょう。「真の神様」でも「真の人」でもある主イエスは、この聖餐式で御自分を遺産として私たちにあたえてくださいます。ここに私たちは主を見出し、ここに主はまるごと「私たちのもの」となってくださいます。主のまことの体と血とがあるところには、主御自身が神性の面でも人性の面でも完全に臨在なさっています。唯一の分離し得ない位格(ペルソナ)の中で、主の神性が主の人性に永遠に最も緊密に結びついているのと同様に、私たちは聖餐式で、キリストを、神様としても人としても、本当にまるごと受け取っているのです。ここには、たんなる人間の肉と血があるばかりではありません。それらは私たちの役にはまったく立ちません(「肉は何の役にも立ちません」(ヨハネによる福音書6章63節))。ここには、神様の御子の体と血があるのです。それらは死んでいたり、無力だったりはしません。逆に、それらは霊と命に満ちあふれています。

大いなる奇跡であり恵みに満ちた神性が、この遺産なのです。それについてすべてのクリスチャンは喜びなさい。神様に感謝して、それを用いなさい。それによって、あなたがゆたかになり、永遠の救いをもたらす慰めをいただくためです。

フレドリック・ガブリエル・ヘドベルグ 「救いへといたる唯一の道」

2009年10月7日水曜日

マルコによる福音書について 第14回目の質問

第14回目の集まりのために

マルコによる福音書14章

イエス様は聖餐式を設定なさり、ゲッセマネで祈られ、そして捕虜となられました。

1)なぜユダヤ人の指導者たちはイエス様に対して公に接触しようとはしなかったのでしょうか。

2)14章3~9節は、壺に入っていた高価な香油をイエス様に塗るというささげものをした女の人について語っています。損得勘定をしたりせずにすべてをささげる彼女の愛を、イエス様は感謝なさいました。私たちはこの女の模範にどの程度したがってきたのでしょうか。どうすればこの模範を実行できるようになるのでしょうか。昔の世代の人たちが建てた壮大な石造りの教会は、その建築と維持のために信じがたいほどの労力と費用を要しました。現代では、「飢えに苦しんでいる人たちをほうっておいて教会を不必要なまでに飾り立ててはならない」という社会からの厳しい要求があります。何が正しく、何が間違っているのでしょうか。

3)イエス様の受難の歴史の中に登場する人物の中で、イスカリオテのユダほど私たちの心をとらえる悲劇的な者はいないでしょう。ユダはどのような目的のために必要とされたのでしょうか。なぜ神様はユダの裏切りを妨げにならなかったのでしょうか。なぜユダは悔いたのでしょうか。ユダについて思いをめぐらすとき、あなたがいだくのは怒りでしょうか、軽蔑でしょうか、それとも同情でしょうか。

4)マルコによる福音書によると、イエス様が捕まえられたとき、ユダヤ人たちはすでに過ぎ越しの食事を済ませていました。ところが、ヨハネによる福音書によると、そのときにはまだ過ぎ越しの食事は済んではいませんでした。このような問題は私たちの信仰にとりどのような意味を持っているでしょうか。

5)出エジプト記12章と24章8節と、それからエレミヤ書31章31~34節を読んでください。イエス様の最後の晩餐の中で、ユダヤ人たちの過ぎ越しの食事を思い起こさせることは何でしょうか。また新しいことは何でしょうか。主の聖餐式の核心にあるメッセージは何でしょうか。

6)ペテロはゲッセマネに出かける前までは勇敢な男でした(14章26~31節)。ところが、後には自分の口にした勇敢な言葉を守ることができませんでした。こうしたペテロの振る舞いは私たちにどのようなことを教えてくれますか。

7)イエス様の祈りの戦いは心を揺さぶられる出来事であり、数え切れないほどの画家や讃美歌作者たちがこの題材に触発されて作品を生み出してきました。この戦いはどのようなことをあなたがたの心に訴えかけてくるでしょうか。

8)どのような犯罪についてユダヤ人の大議会はイエス様に対して審判を下しましたか。

2009年10月1日木曜日

マルコによる福音書について 14章66~72節

ペテロは? 14章66~72節

イエス様の弟子たちのリーダーであり、後の教会のまぎれもない第一人者となるペテロに対しても、マルコによる福音書は容赦していません。ペテロがどんなに臆病で、彼の自信
がどのように打ち砕かれたか、包み隠さず徹底的に描いています。ペテロの置かれた状況は困難で、自分の命にかかわることでさえありました。にもかかわらず、ペテロはまったくもって恥じ入るほかなかったのです。ほんの何時間前まではイエス様に対して死にいたるまでの忠誠を誓いさえした男が、今や幾人かの召使いの少女たちに対してさえおびえを隠せません。ペテロが悔いの嗚咽にむせぶとき、「イエス様のもの」である者たちの破綻は誰の目にも明らかでした。

2009年9月29日火曜日

マルコによる福音書について 14章53~65節

ついに取り除かれるヴェール 14章53~65節

大祭司たちはただちに大議会(サンへドリン)を召集します。この70人の議員からなる委員会はユダヤ人たちの最高意思決定機関であり、ローマ人たちはこの議会に広範な権限を与えていました。しかし、死刑の裁決は大議会の権限外でした。今回の大議会が公的に有効なものかどうか疑いの余地がありましたが、大祭司たちにとって事は急を要するものでした。このイエス様の件はどうしても明朝までに片付けなければならなかったのです。さもないと、民が何をしでかすか見当もつかなかったからです。モーセの律法によれば、死刑の裁決のためには、犯罪についてふたりの証人が要求されました(申命記19章15節)。ところが、イエス様の犯罪を立証することはどうしてもできませんでした。さまざまな人が証人として立ったものの、彼らの証言は互いにくいちがっていたため、死刑の裁決を下すことはできなかったのです。それで、今度は大祭司が直接イエス様を尋問しました。今や(まだ民の指導者たちの前だけではあるものの)「メシアの秘密」が暴かれようとしています。大祭司は神様について婉曲表現(「ほむべき方」)を用いましたが、その質問自体はあけすけでした。「イエス・キリストは神様の御子であるかどうか」ということです。イエス様の答えも、大祭司の質問と同じように明瞭でした。それゆえ、大祭司はイエス様を「神様を侮辱する者」として告発します。大議会は裁決を下し、こうして神様の民はイエス様を捨て去りました。怒りが爆発し、まわりに発散していきます。「神様を侮辱した者は聖なる民から滅ぼし取り除かなければならない!」

2009年9月28日月曜日

マルコによる福音書について 14章43~52節

夜にまぎれた卑怯者たち 14章43~50節

過ぎ越しのお祝いの時期は満月でしたが、夜のとばりに包まれた園は逃げ出したい者にはその機会をすんなりと提供しました。大勢の人が動きまわっていたし、イエス様の敵は暗い中であてずっぽうに誰かのあとを追いかけていくことは避けようとしました。それで、はっきりとした合図として、ユダの口づけが必要でした。この合図のあと、戦いがはじまります。イエス様は暴力を用いた自己防衛を拒否なさいました。今や、最も陰鬱な聖書の箇所が書かれてあるとおりに実現する「暗闇の時」です。この結果、弟子たちは最後の勇気のかけらも失い、皆いっせいにその場を逃げ出しました。


これは誰ですか、マルコでしょうか? 14章51~52節
その時、その場に、福音書の読者の想像を掻き立てる「ある若者」があらわれました。おそらく若者の家は園のすぐそばだったのでしょう。最初に逃げ出した者たちの様子を見て、彼は何事かと思い、寝巻きのまま現場に駆けつけたのではないでしょうか。若者はあらわれたときと同様、またあっという間に消え去りました。この「意味がない」ように感じられる若者の行動を読んで、多くの人は「福音書記者マルコが自分自身のことをここに描き出しているのではないか」と想像しています。これはたしかにありえないことではないにせよ、たんなる推測の域をでるものでもありません。

2009年9月23日水曜日

マルコによる福音書について 14章27~42節

深まる夜 14章27~31節

聖餐式が設定されて、イエス様はふたたび道を先へと歩まれます。弟子たちは決定的な瞬間が間近に迫っていることをいまだにしらないままです。ゼカリヤ書(13章7節)に「羊飼いを撃ちなさい、その羊は散り散りになります」と書いてあるにもかかわらず、ペテロは「イエス様のためならば自分は死ぬのもいとわない」と自信満々です。イエス様は、ペテロとはちがって本当のことがわかっておられましたが、孤独に耐えていました。私たちはそのようなイエス様のお姿に非常な感動をおぼえます。


「あなたの御心がなりますように」 14章32~42節

ペテロとヤコブとヨハネはイエス様の最高に偉大な瞬間のひとつに立ち会うことを許されました。イエス様はゲッセマネでの祈りの戦いの支えとして彼らをお選びになったのです。夜はすでに更け、さきほどまでのお祝いの食事は眠気を誘いました。それは目を開けていることさえできないほどのものでした。弟子たちは今がどんな時であるか、まったくわからなくなっていました。イエス様はおひとりで祈って戦っていました。御自分を待ち受けていたのは、苦難と恥辱と死でした。エレミヤが「民全体に飲ませるように」という使命を受けたあの「神様の怒りの杯」(エレミヤ書25章15節)が、今イエス様の目前にありました。イエス様はこの使命から解放されることを祈り求めますが、かないませんでした。天は閉じられ、神様は御子に迂回路をお与えにはなりません。イエス様はすべての人間の罪が当然受けるべき報いとしての「怒りの杯」を、おひとりで一滴のこらず飲み干さなければならなかったのです。イエス様はそれを受け入れる心構えをし、敵との絶望的な遭遇に備えて、弟子たちをお集めになります。

2009年9月21日月曜日

マルコによる福音書について 14章17~26節

裏切り者の驚愕 14章17~21節

イエス様が「これから裏切りが起こる」と話し始められたとき、ユダがどれほど驚愕したことか、私たちには想像もつきません。ところが、イエス様は「誰が裏切り者なのか」明かされず、詩篇41篇を引用するにとどめられました(41篇10節)。神様の御子の受難の道は聖書に示されていたのです。とはいえ、神様は背後で全部を自分の思い通りに行う監督などではありません。神様の御子を裏切ることは重い罪であり、その罪を負うのは罪をおかした本人でした。そして、その罪は彼にとって担うにはあまりにも重過ぎたのでした。


神様が用意してくださった食事 14章22~26節

食事が進むにつれて不思議なことが起こりました。旧約の過ぎ越しの食事では、神様の救いのみわざについての記憶につながる特別な食べ物が供されました。現在でもユダヤ人たちはお祝いの食事の席で「これらはすべて何を意味しているか」と互いに尋ね合います。その答えは「神様はエジプトでの隷属から今自由を祝っている民を解放してくださった」ということにあります。「もしもあながたの子供たちが「この儀式にはどんな意味がありますか」と尋ねるならば、「これは主の過ぎ越しの犠牲です。主は、エジプトの人々を撃たれたときに、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、私たちの家を救ってくださったのです。」とあなたがたは言いなさい。」(出エジプト記12章26~27節)神様の救いのみわざはたんに昔の歴史の出来事にすぎないのではなく、なによりも「今ここ」に関係しているのです。イエス様はここで過ぎ越しの食事にまったく新しい説明をお与えになります。イエス様は神様にパンを感謝して弟子たちに配ります。パンは今や秘められたかたちで「イエス様のからだ」でもあるのです。同じようにして、イエス様は神様にぶどう酒を感謝します。そしてこのぶどう酒は今や「イエス様の血」でもあります。こうして、旧約聖書の奇跡は新たにより大規模に繰り返されます。神様はイエス様をとおして新しい契約を結んでくださいました。この契約は最初の契約と同様に血によって確固たるものとされました(出エジプト記24章8節)。エレミヤがすでに予言したように、新しい契約は旧い契約に取って代わるものです(エレミヤ書31章31~34節)。新しい契約は、「イエス様の血が全世界のために流されたこと」に基づいています。その背景にあるのは、神様の戒めを守る人間の力ではなくて、神様からの無条件の罪の赦しです。

2009年9月18日金曜日

マルコによる福音書について 14章12~16節

過ぎ越しのお祝いの食事の準備 14章12~16節

ユダヤ人たちが過ぎ越しのお祝いの食事をどのように準備するか、マルコによる福音書は語っています。これらの記述を基にして、私たちは福音書に書かれている出来事の起きた正確な日時を知ることができます。今は種入れぬパンの最初の日であり、過ぎ越しの食事の準備の日です。それはニサンの月の14日です。つまり、イエス様は翌日のニサンの月の15日に十字架にかけられたことになります。ヨハネによる福音書によると、ユダヤ人たちはまだお祝いの食事をしておらず、過ぎ越しの羊をほふる儀式が始まった時、すなわち、ニサンの月の15日に、イエス様は死にました(ヨハネによる福音書18章28節、19章31節)。ここで大切なことは、これらの出来事は神様が指し示されている道にそって進行している、ということです。怒りと殺意のうずまく中、イエス様はこの道を歩まれていきます。そして、しるしを用いながら人々に「神様が彼らと共におられる」ことを示されます。名前もわからないある人が、神様の御子の最後の晩餐のために二階の広間を提供してくれました。

2009年9月16日水曜日

マルコによる福音書について 14章10~11節

裏切り者の出現 14章10~11節

ユダのような人物があらわれたのは、イエス様の敵にとって宝くじにあたったようなものでした。今や事を公にせず、しかも大きな危険をおかさずに、イエス様を取り除くことが可能になったのです。イエス様の弟子たちの中から裏切り者があらわれたということは、「大祭司たちは自分たちで適当な時機を選ぶことができるので、もはや不意の出来事に邪魔されたりはしない」、ということを意味していました。ユダという人物は、いつの時代も人々の興味と恐怖をかきたててきました。彼自身および彼の動機については残念ながらごくわずかのことしか確実には言えません。クリスチャンの誰もがユダに対してある種の同情をいだくのは確かでしょう。ユダの裏切り行為にはなんら正当化すべき余地はありません。にもかかわらず、ユダという裏切ったのち自分の罪を悔いた者は、ぽいと見捨てて忘れ去ってしまうには、あまりにも悲劇的な人物です。なぜユダが必要だったのでしょう。彼の心にはどんなことがよぎったのでしょうか。どうして彼は悔いたのでしょう。ユダは罪の赦しの恵みを結局はいただけたのでしょうか。答えよりも疑問の方がたくさんわいてきます。

2009年9月14日月曜日

マルコによる福音書について 14章3~9節

女の高価な贈り物 14章3~9節

イエス様はエルサレムの外、ベタニアで寝泊りされていました。マルコによる福音書は、イエス様がらい病人シモンの家に住んでおられたと、伝えています。この場所で、やや謎めいた驚くべき出来事が起こりました。古代世界ではかぐわしい香りを放つ香油が重宝がられていました。名前も記されていないある女が高価な香油の入った壺を取り出して壊し、香油をイエス様の頭に注ぎかけたのです。それは労働者の一年分の給料に当たる価値を持つ良質の香油でした。こうした香油は大きなお祝いや重要な人物のために用いられました。おそらくその女にはこうした慣習が頭にあったのでしょう。そしてまたこの行為は、「イエス様は神様が約束してくださったキリストであり、油注がれた王様です」という信仰告白でもあったでしょう。イエス様は香油を用いるもうひとつの目的を示されました。当時、死者に対して葬られる前に油を塗る習慣がありました。香油を「無駄にした」ことを残念がった弟子たちは、イエス様から叱られました。「香油を塗る」という女の行為は、イエス様への彼女の愛のあらわれでした。愛は計算したり財布を覗いたりはしないものです。愛は自分の持っているものを差し出します。そして、まさにそこに愛の偉大さがあるのです。このように短い出来事が一人の人間のイエス様への大いなる愛を証するドキュメントになっています。よい行いは黒い額縁にはめられてみると、いっそうひきたつものです。この出来事の前の箇所は、神様の民の指導者たちのイエス殺害計画について語っています。そしてこの香油の塗布の後に続いて、主を裏切ろうとするユダの様子が描かれています。

2009年9月9日水曜日

マルコによる福音書について 14章1~2節

「私はあの男なんかしらない!」

マルコによる福音書14章


張りめぐらされる陰謀 14章1~2節

エルサレムとその神殿はユダヤ人の信仰のまぎれもない中枢でした。過ぎ越しのお祝いのときには、この聖なる都に世界中から聖地巡礼の人々がなだれこみました。過ぎ越しのお祝いは、「神様がイスラエルをエジプトの隷属から解放してくださった」という神様の救いのみわざをユダヤの民全体に思い起こさせるものでした。このお祝いの設定については出エジプト記の12章に書かれています。それによると、お祝いには過ぎ越しの小羊とパン種の入っていないパンを食することになっていました。お祝いは春分の日のあとにくる月(ニサンの月)の15日に最高潮に達します。すでにふつうの過ぎ越しのお祝いでさえ、いつ爆発してもおかしくないほど過敏な時期であるのに、今やエルサレムはイエス様の存在のためにまったく特別な緊張にみなぎっていました。ユダヤ人の指導者たちには、民の目の前で危険な「火遊び」をして自分たちが民の支持を得るかどうか試す勇気などはありませんでした。イエス様を彼らの行く手から取り除かなければならないのはわかっていましたが、それをお祝いのさなかや、まして民の眼前で行うのは問題外でした。宗教的に熱狂している民がどういう行動にでるか予測するのは難しいため、民に気づかれないように細心の注意をもってことを運ぶ必要がありました。ともかくも、決断するべき時は間近に迫っていました。こうして、人々が気づかぬうちに、暗い影が神様の御国をしだいに重苦しく覆い始めたのです。

2009年9月7日月曜日

マルコによる福音書 第13回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

あなたがたの心が放縦や、泥酔や、生計の心配のために鈍らされて、思いもよらないときにその日があなたがたの目の前に訪れるようなことがないように、よく注意していなさい。(ルカによる福音書21章34節)

これは非常に大切な警告です。私たちはそれを決して忘れてはいけません。主は、食べたり飲んだりすることを禁じておられるわけではありません。食べて飲みなさい。神様はそうすることをあなたがたにゆるしてくださいます。生活するために働きなさい。しかし、こうしたことを行ううちに心が鈍くなって、私(キリスト)がふたたびこの世に帰ってくること(再臨)を忘れてしまうことがないように注意しなさい。

私たちクリスチャンにとっては、自分の生活の目的を「この世的なことがら」におくのはふさわしいことではありません。「半分」だけ、「左手」だけで、私たちはこの人生のなかにとどまるべきです。それとは反対に、「右手」で、心をこめて、私たちは、私たちの主がたとえようもないほどすばらしい権威をまとって戻って来られる日のことを待つべきなのです。最後の日の訪れる前には、人は家を建てたり、結婚式をあげたり、悲しみを知らずに過ごし、まるで他には何もやることがないかのように、心を鈍くしてしまいます。しかし、クリスチャンであろうとするあなたがたは、それとは反対に、最後の日を心に留めていなさい。その日を絶えず待ち望み、神様への畏れのなかで、汚れのない良心をもって、生活しなさい。その場合には、何の心配もありません。その日がどこで私たちに訪れようとも、それは「救いの喜びに満ちた瞬間」としてやって来ます。なぜなら、その日は、あなたがたが神様への畏れをもち、神様の守りにつつまれているときに、あなたがたのもとを訪れるからです。

マルティン・ルター 「神様の子供たちに与えるマナ」

2009年9月2日水曜日

マルコによる福音書 第13回目の質問

第13回目の集まりのために

マルコによる福音書13章

イエス様はエルサレムの滅亡と世の終わりについて話されます。

1)イエス様は「偽のキリスト」について気をつけるように警告なさっています。あなたがたはそのような者たちについて聞いたことがありますか。

2)「世界はどんどんよい方向に発展していく」と考える人たちがたくさんいます。また、「世界はどんどん悪くなってきている」と考える人たちもいます。聖書は来るべき世界の歴史についてどのようなことを教えていますか。私たちを待ち受けているのは、黄金の未来でしょうか、それとも、真っ暗闇の夜でしょうか。この世の人間たちは自分たちの問題と戦わなければならないのでしょうか。そして、彼らは結局は滅びに定められているのでしょうか。

3)13章におけるイエス様の御言葉を自分の時代の宗教的や政治的な潮流にあてはめて説明する人たちが今までも大勢いました。このような態度にはどのような危険が隠れていますか。

4)イエス様の予言の後にまもなく、エルサレムにはどのようなことが起こりましたか。ユダヤから山々へ避難した人たちがいましたか。偽の預言者たちがあらわれましたか。

5)「荒らす憎むべきもの」とは何ですか。この言葉の背景には旧約聖書のどのような箇所が関係していますか。この言葉と、イエス様の予言のとおりに起きた歴史上の出来事との間には、どのような共通点がありますか。

6)エルサレム神殿のあった場所に今あるのは何ですか。イスラエルが独立国家となった現代では、約二千年ぶりに新しい神殿を建設することは、はたして可能でしょうか。

2009年8月28日金曜日

マルコによる福音書について 13章24~32節

キリストの再臨 13章24~27節

苦難の時の後、ようやく終末がきます。もう後戻りはできません。世界は震え、日は暗くなり、星は落ちます。イエス様が終末の大いなる裁き主として戻ってこられます。「人の子」という名前はダニエル書にでてきます(7章13~14節)。「人の子」は「御自分のもの」を集めて、決して揺るぐことのない王国を築かれます。この世の終わりに関係しているあらゆる騒乱は、この新しく喜ばしい時の生みの苦しみなのです。キリストが来られ、神様の御国が人々のただなかに見えるかたちで到来するときに、この生みの苦しみは終わります。そのとき、完全に新しい天と新しい地が創造されます。


しかし、それはいつでしょうか? 13章28~32節

何千年もの間、人々は、いつキリストがふたたび戻ってこられ、いつ世の終わりがくるのか、しろうとしてきました。ところが、主はこの疑問に答えてはくださいません。主は、御自分の再臨がいつであるか、人間も天使も誰一人しらないし、キリスト御自身さえもしらないこと、それをご存知なのは御父ただおひとりだけであることを、はっきりと告げておられます。私たちのやるべきことはふたつあります。まず、私たちはいつも準備ができていなければなりません。次に、私たちは実現していく神様の大いなるご計画にしたがっていかなければなりません。心構えをするときに大切なのは、キリストの再臨を忘れて準備を怠っているような瞬間が私たちの生活の中にあってはならない、ということです。それはちょうど家の主人がいつ帰ってくるか知らない門番のようなものです。門番は一瞬たりとも眠り込んではなりません。たえず完全に準備ができていなければなりません。それと同じようにしてイエス様のこともずっと待ち続けていなければなりません。なぜなら、イエス様はいつ何時戻ってこられてもおかしくないからです。「時のしるし」を追跡していくときには知恵と慎重さが必要とされます。よく見える目と神様の御言葉の理解があれば、世の終わりに先立って起きることがらに目が向くようになります。これらのしるしはしばしば重苦しく、希望を奪い去ってしまうようなものです。しかし、クリスチャンにとってそれらのしるしは長い間待ち望まれていた「春の訪れのしるし」なのです。新しい時、神様のすばらしい御国が到来しようとしています。それゆえ、どのような苦難もクリスチャンから希望を奪い取ることはできません。子供を出産するときも痛みと苦しみが伴います。にもかかわらず、子供が生まれることは皆から待ち望まれていることです。それとまったく同様に、神様の御国が世の終わりにねじりこむように到来するのは、多くのものをめちゃくちゃに引き裂くような激しい苦痛を伴う出来事です。しかし、私たちはそこに言葉では表せないほどの喜びと希望を見出します。このようにして、クリスチャンは主の再臨を待ち望むことを学びます。30節についてはすでに8章1節~9章1節の説明のときに取り扱いました。ここではごく短く一番大切なことについて復習することにしましょう。神様には御自分の「時」というものがあります。神様は私たちにどんなことでもなさる権威をおもちです。全能なる神様にとっては、御自分の計画をいちいち私たちに尋ねたりはせず自由に変更することももちろん可能です。私たちは大いなる主の御前にひれふし、主に栄光を帰したいと思います。

2009年8月26日水曜日

マルコによる福音書について 13章14~23節

大いなる苦難 13章14~23節

暗闇がましていくなかで大いなる苦難の時がやってこようとしています。「時のしるし」として「荒らす憎むべきものがいてはならないところにあらわれる」というのです。その時がきたら、ユダヤにいる人々はすぐさま町々から逃げ出して、持ち物などには目もくれずに、道もない山々に避難しなければなりません。この苦難の時は、もしもそれが寒い冬に起こる場合には、とりわけ厳しいものになります。さらに悪いことに、偽キリストたちと偽預言者たちがあらわれて、大勢の人々を「奇跡」によって惑わします。キリストが選ばれた、主の警告をしっかりと心に留めた者たちのみが、こうした惑わしをまぬかれます。イエス様の御言葉はとても謎めいていますが、それは「終わりの時」にかかわる予言ではよくあることです。ヴェールがかぶさった力強い言葉を説明しようとするときには、自制と慎みが必要です。教会の歴史のなかでは、数え切れないほどの人々が聖書のこの箇所についても自分たちの説明の正しさに確信をもっていました。しかし、自分たちの生きた時代の政治的あるいは宗教的な潮流をむりやり聖書に押し付けた「解釈者たち」などを本当は誰も信じるべきではなかったことを、歴史は証明しています。というわけですから、ここで私たちは聖書の難しい箇所について何が言えるか、慎重に試みることにしましょう。イエス様の御言葉のなかには、まぎれもなく「世の終わり」や「西暦70年に実際に起こったエルサレムの崩壊」に関係している部分があります。これらのふたつの予言を別々に選り分けるのは、不可能ではないにせよ困難な作業です。ともかくも、エルサレムは包囲され非常な苦難の時にみまわれ、ついに都は瓦解したのでした。石が石の上に残されることもありませんでした。当時すでにひどい迫害を受けていたユダヤ人クリスチャンたちが、このときイスラエルの反乱計画から身を引き、山岳地方に避難したのは、ほぼ確実です。ユダヤ戦争の間には都市でも山々でも言いようもない厳しさが待ち受けていました。つまり、これらのイエス様の予言は少なくとも一度はすでに現実のものとなったのでした。「荒らす憎むべきもの」とは、旧約聖書的な表現で、ある特定のことをさしています。紀元前160年、シリア王アンティオコス・エピファネスが軍隊をエルサレムに入城させました。この王の要求にしたがって、聖なる神殿ではギリシア人たちの最高神ゼウスに犠牲をささげる儀式が始められました。この異邦的な犠牲の儀式、「荒らす憎むべきもの」、が活ける神様の神殿で行われたことは、ユダヤ人たちにすさまじい憤怒を生みました。彼らは自分たちよりもはるかに強大な敵に立ち向かって反旗を翻し、勝利を収めたのです。アンティオコス王は神殿での異教の儀式を取りやめることを余儀なくされ、神殿はすみやかに清められました。この出来事の詳細は旧約聖書外典「マカバイ記」に記されています。またダニエル書も「荒らす憎むべきもの」について二度ふれています(ダニエル書11章31節、12章11節)。これは、もともとは聖なる神殿での儀式をひどく汚す行為をさしていました。エルサレムが破壊されたとき、神殿も破壊されました。ローマ人はユダヤ人がどんな民族か知っていたので、神殿を汚した年にはユダヤ人たちに対してとくに激しく攻撃をしかけてきました。歴史家ヨセフスによれば、ちょうどこの頃、神殿に自分のことをメシアと名乗り民に救いを約束する男があらわれました。こうして、「荒らす憎むべきもの」にかかわるしるしと、偽キリストがあらわれるというキリストの予言とは実現したのでした。エルサレム滅亡のまさにその時に神殿は汚されました。異邦人たちが神殿に自分たちの最高神であるジュピター(つまりゼウス)を敬うためになだれこんだのです。このように、イエス様の御言葉とイエス様の時代の後まもなく起きた出来事との間には多くの具体的な関係が見出されます。これらすでに起こった歴史上の出来事が語っているのは、「荒らす憎むべきものというイエス様の御言葉は聖書に書いてあるとおりにはもはや繰り返されない」ということでしょうか。神様だけがご存知です。私たちの生きている現代、エルサレム神殿のあった場所はムスリム(イスラム教徒)たちの聖なる場所、岩のモスクになっています。多くのユダヤ人はそれが取り壊されて二千年ぶりに新しい神殿が建てられることを要求しています。しかしそれを実現することは、すべてのムスリムに対して公然と宣戦布告するのと同じことです。このように、神殿のある地域は世界中でも最悪の「爆薬庫」になっています。イエス様の御言葉は黙示の言葉にふさわしく説明が難しい、ヴェールに包まれたものです。しかし、もしも予言がひとつのまとまりとして実現するならば、その出来事は誰の目にも明らかになるでしょう。

2009年8月21日金曜日

マルコによる福音書について 13章1~13節

目を覚ましていなさい!

マルコによる福音書13章


ロバに乗ってエルサレムに来られてから死んで復活なさるまでの日々に、イエス様が何を教えてくださったか、また学ぶことにしましょう。福音書の頂点がまさにこれらの時期に位置しているため、私たちは今、御言葉の一語一語に注目して読み進める必要があります。今回の箇所(マルコによる福音書13章)でとても大きな位置を占めているのが、「来るべき滅び」についてのイエス様の予言です。この箇所をルカやマタイによる福音書の該当箇所とあわせて読むと、「どのように世界が終わるか」について、聖書でもまれにみるような詳細な説明がなされていることがわかります。


幸福な都? 13章1~2節

イエス様の時代のエルサレムは大都市でした。とりわけヘロデ王がつくらせた神殿は貧しいパレスチナの住民たちにとっては実に見ごたえのある光景でした。聖地に立つこの立派な神殿はとくにユダヤ人のお祝いのさいには皆から感嘆のまなざしを受けていました。ところが、イエス様の目には「幸福な都」とはちがうほかの光景が映っていました。すべては地に倒されて粉々になり、あとにはまったく何も残らない、という光景が。


「終わりの時」はどのように近づいてきますか? 13章3~13節

オリーブ山でイエス様は「終わりの時」について詳しく語られます。人間界はより輝かしい光へと向けて順調に歩んでいく、というわけにはいきません。それとは逆に、世界はそんどん陰惨な状態に沈み込んでいくように見えます。こうした状態に拍車をかけるのが、あたかも「正真正銘のキリスト」であるかのように人前にあらわれる「偽のキリストたち」です。多くの者は彼らを本物だと思い込んで間違った道にひきずりこまれていきます。戦争や地震や飢饉がおこり、「キリストのもの」である信仰者たちは法廷に引き出され、拷問を受けます。兄弟が兄弟を死に追いやり、父は子を死なせ、子は両親を死に渡します。怒りはますますどす黒く渦巻いていきます。そのようななかでも、神様の新しい時代が始まりつつあったのです。それは「産みの苦しみ」なしにはありえません。産みの苦しみの只中でキリスト御自身が「キリストのもの」である信仰者と共にいてくださり、導いてくださいます。そして、最後まで耐え忍ぶ者は救いにあずかります。

2009年6月25日木曜日

マルコによる福音書 第12回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

人間の言葉としてではなく、神様の御言葉として

総督フェリクスの前に立ったとき、パウロはこう言いました。「私は閣下に告白します。私は、彼らが異端だとしている道にしたがって、律法にかなっていることと預言者の書に書かれていることをすべて信じつつ、父祖たちの神様に仕えています。」(使徒の働き24章14節)

こうは言えない説教者がたくさんいます。彼らの本音は次のとおりです。
「私は告白する。私は父祖の神に仕えているので、律法と預言者の書に書いてあることをすべて疑っている。天地創造の物語や罪の堕落は作り話にすぎないし、アブラハムやイサクやヤコブもたんに架空の人物にすぎない。」
多くの人にとって聖書はもはや神様の御言葉ではなくなっています。そのような説教が神様の御言葉の説教であると呼ばれたりするのは、聖なるものに対する冒瀆ではないか、と思えてきます。パウロは、聖書に書かれてあることにしたがって説教したとき、自分が神様の御言葉を説教していることを、ちゃんとしっていました。

人が自分の罪のために狼狽したりせず、神様の裁きをおそれもしないのは、いったい何故でしょうか。それは、神様の御言葉が神様の御言葉とはみなされず、御言葉の裁きが神様の裁きとはみなされていないからです。恵みによって救われた人々があまりにも少ないのは、どうしてでしょうか。それは、神様の御言葉が神様の御言葉とはみなされず、キリストをとおした神様との和解について語る説教者が、「キリストのかわりにこの福音を語るために遣わされている」とはみなされていないからです。

「私たちは活きておられる神様の御言葉を聴くことができる」と本当に確信するならば、人は深く動揺して、救いの道を探し求めていくようになるでしょう。「キリストが私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださったあがないのみわざにより私たちは罪から解放されている」ことを神様の御言葉として本当に信じることができるとき、人は深く喜び楽しみ、「自分は救われている」という確信を得ることでしょう。神様の御言葉として福音を聴いて、イエス様の血のなかで罪の赦しをいただけるなんて、私は本当に「生きていてよかった」と思います!

愛する天の父なる神様、私たちが、あなたの御言葉を御言葉として宣べ伝え、また、あなたの御言葉を御言葉として受け取ることができるように、助けてください!

K.V.タンミネン

2009年6月5日金曜日

マルコによる福音書 第12回目の質問

第12回目の集まりのために

マルコによる福音書12章

イエス様はエルサレムで民を教えられます。

1)イザヤ書5章1~7節を読んでください。この物語で「ぶどう畑」は何を意味しているでしょうか。このぶどう畑をつくったのは誰でしょうか。「垣を取り去る」(5節)とはどういう意味ですか。

2)イエス様のたとえのなかにでてくる(12章1~12節)「ぶどう園の持ち主」、「ぶどう園を借りた者たち」、「ぶどう園の貸し賃を受け取りに来た召使い」、「ぶどう園の持ち主の息子」、はそれぞれ誰でしょう。
なぜ祭司長、律法学者、長老たちはイエス様の話を聞いて腹を立てたのでしょうか。

3)聖書全体からみるとき、このぶどう園のたとえはイスラエルの民について語っていることがわかります。イスラエルの民は「神様の民」という特別な地位を与えられたにもかかわらず、自分たちの「王様」を拒みました。この結果、イスラエルの民には、はかりしれないほどの苦しみがおそいかかりました。にもかかわらず、イスラエルの大半は今もなお自分たちの主をしらないままでいます。このたとえを日本人や日本の教会に当てはめてみてください。どういうことになりますか。主が最後の裁きに来られる時に、私たち日本人はユダヤ人たちよりもましな立場にあるといえるでしょうか。

4)なぜ「皇帝に税金を払うこと」についてイエス様に質問が飛んできたのでしょうか(12章13~17節)。

5)イエス様は「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と命じられています。現代のクリスチャンである私たちは、このイエス様の御言葉に具体的にはどのようにしたがっていくことができますか。

6)ファリサイ派の人々とはどのような人たちでしたか。

7)死者の復活への信仰をぬきにして、キリスト教がなりたつでしょうか。自分の意見とその根拠を述べてください。

8)旧約聖書に約束された「キリスト」は、「ダヴィデの子」ですか、それとも「ダヴィデの主」ですか。イエス様の質問(37節)への答えは何でしょうか。

9)イエス様は旧約聖書のある箇所について、「ダヴィデ自身が聖霊様に感触されて言いました(・・・)」(36節)と言われています。
聖書に対する私たちの態度を考えるとき、このことはどのような意味をもっていますか。

10)イエス様は律法学者たちのみせかけだけの偽善を厳しく裁かれます。信仰生活にかかわる霊的な偽善について十分に説教がなされているでしょうか。一般に「偽善」と呼ばれることはすべて偽善なのでしょうか。また、「真の善行」と呼ばれることはすべて真の善行なのでしょうか。

11)「お金持ち」と呼ばれるためには、人はどれほどの財産が必要なのでしょうか。一緒に考えてみてください。あなたがたは「お金持ち」ですか。

12)「これがなくては生きていくことができない」、と言えるような、あなたにとって必要不可欠なものを全部あげてみてください。

2009年6月3日水曜日

マルコによる福音書について 12章41~44節

二枚のレプタ銅貨 12章41~44節

ユダヤ人たちは貧しい人たちに施しをすることを神様に喜ばれるよい行いであるとみなしていました。神殿にはこのための箱が置いてあり、そこに集まったお金は貧しい人たちに分けられました。過ぎ越しのお祝いのときに多くの金持ちたちは多額の寄付をしました。イエス様は寄付金の量などには惑わされません。イエス様は人の立場と本当の状態を見ておられます。人が生きるためにはほんのわずかなもので足りるのです。余分なお金はすべてほかの人たちにあげるべきだし、また、あげても自分が貧しくなったりはしないものです。ところが、そういうケースとは異なり、貧しいやもめは毎日の生活になくてはならないお金をもささげたのでした。そして、それこそが真に「ささげる」ということでした。

2009年6月1日月曜日

マルコによる福音書について 12章37(後半)~40節

蜂の巣をつつくような行為 12章37(後半)~40節

イエス様はエルサレムで「外交術」などは一切用いられませんでした。死者の復活に関する質問への答えによってサドカイ派を徹底的に恥じ入らせると、イエス様は今度はすぐさま律法学者たち(その主だった人たちはファリサイ派に属していました)に対して激しい批判を浴びせました。批判の対象となったのは、彼らの見てくれだけの「偽善」でした。立派な信仰者という外見や周囲の人からの賞賛によっては、人は神様の御前では「自由」とはされません。ほかの人よりも抜きんでて模範的な信仰者だとされる人の内側で、罪はもっとも醜いかたちをとるものです。民からの尊敬を受けていた律法学者たちは結局は貪欲な偽善者にすぎませんでした。神様は人間によってだまされるようなお方ではありません。それゆえ、偽善者はほかの人たちよりも厳しい裁きを受けることになります。

2009年5月29日金曜日

マルコによる福音書について 12章35~37節前半

キリストとは誰でしょうか? 12章35~37節前半

イエス様がキリストであるかどうか、確信できない神様の民が驚嘆したり困惑したりしているときに、イエス様は直接御自分からあらゆる問題の中でも当時もっとも注目を集めていた問題を取り上げました。それは、到来することが約束されていたキリスト(メシア)の本質にかかわる問題でした。旧約の約束によれば、キリストはダヴィデの子、すなわちダヴィデの子孫である支配者です。ところが一方では、ダヴィデ自身がキリストを主と呼んでいます(詩篇118篇1節)。つまり、キリストはダヴィデの子でもダヴィデの主でもあるわけです。これをどのように説明するべきでしょうか?約束されたキリストはたんにこの世における支配者ではありません。キリストは人以上の存在であり、それゆえ彼は、ダヴィデの子孫であると同時に、ダヴィデの主でもあるのです。この予言はイエス様において実現しました。イエス様は義理の父親ヨセフをとおしてダヴィデの系図につながっておられます。しかし、イエス様は神様の御子としてはダヴィデの主でもあられるのです。

2009年5月27日水曜日

マルコによる福音書について 12章28~34節

一番大切な戒めは何ですか? 12章28~34節

イエス様はサドカイ派とファリサイ派の間の古くからある論争のテーマに答えることを余儀なくされました。さきほどの話し合いを傍らで聞いていた律法学者がイエス様の鋭い答えに感心したのはよくわかります。それで彼は、イエス様を陥れるためではなく真剣に、イエス様に別の質問をします。モーセの律法には何百もの戒めや禁止があると理解した律法学者たちは、それらをなんらかの方法で整理序列化したいと望んでいました。彼らは第1戒がもっとも大切な戒めであるとふつうは理解していましたし、イエス様もそう教えておられます。「神様を何にもまして愛しなさい」がまずはじめに守られるべき戒めです。これに関連して今もうひとつの第1戒と同じように大切な戒めとして、「隣人を自分と同じように愛しなさい」という戒めが与えられました。これらふたつの戒めを心に留めてそれにしたがって生きていくとき、旧約の神殿祭司による犠牲のささげものによっては決して到達し得ない「(信仰の)核心」に私たちはいるのです。律法学者がイエス様のこの教えに賛同すると、イエス様は彼に「あなたは神様の御国から遠くはない」と言われました。

2009年5月25日月曜日

マルコによる福音書について 12章18~27節

復活についての問答 12章18~27節

福音書の緊張感はどんどん高まってきています。あまり意味のない出来事については記されていません。つまり、私たちはそれぞれの出来事の記述を十分な注意を払って読み進む必要があるのです。このことは、サドカイ派の人々がイエス様に復活について質問した事件に特にあてはまります。サドカイ派の人々はこれまで福音書には登場しなかった「影の実力者」でした。このユダヤ人の党派は、神殿祭司階級の強固な支持を受けていました。大祭司は彼らの中から選出されましたし、サドカイ派の人々はユダヤ人の最高決議機関である大議会(サンへドリン)の過半数を占めていました。つまり、福音書のこの段階ではじめて「神様の民」の真の指導者たちがイエス様とやりあうことになったわけです。サドカイ派の教えとファリサイ派の教えとは、互いにはっきり異なっています。サドカイ派は神様の啓示として、いわゆる「トーラー」と呼ばれる、旧約聖書の最初の5冊の書物(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)のみを公に認めていました。彼らはこれらの書物から「死者の復活」について明確な根拠を見つけることができなかったため、それを信じることもありませんでした。彼らとは異なり、ファリサイ派の人々は神様の啓示として「預言書」をも認めていました。たとえばダニエル書の12章(1~3節)が死者の復活について語っているため、それを信じていました。このほかの多くの点でも、イエス様はサドカイ派よりもファリサイ派と共通した見解をもっておられました。イエス様がファリサイ派の人々とたくさん論争をなさったり、ファリサイ派の人々の家を訪れなさったりしたことは、イエス様とファリサイ派との間のある種の親近感のあらわれとさえ言えるかもしれません。サドカイ派はイエス様を処刑するように画策しましたが、そのほかの点ではイエス様とは何のかかわりもありませんでした。サドカイ派がイエス様に提示した質問は、些細なことに異様にこだわり、針で刺すような、わざとらしく嫌らしいものでした。特殊な状況に関するモーセの律法の規定(申命記25章5~6節)に基づくようにみえる、ありうる限り奇妙で非実際的なケースをひねりだすことによって、サドカイ派は「死者の復活」は原則的にありえないことを示さざるをえなくなりました。死者の復活についてのイエス様の教えは単純明瞭です。主は御自分のことを「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼んでおられます(出エジプト記3章6節)。主は死者たちの神様ではなく、生きている者たちの神様です。

2009年5月20日水曜日

マルコによる福音書について 12章13~17節

皇帝に税金を払うべきでしょうか? 12章13~17節

「ローマ皇帝に税金を払うべきかどうか」は、ユダヤ人たちにとって難問でした。それは経済的なというよりも神学的な問題でした。ローマ皇帝に税金を支払う者は、ある意味で、皇帝を事実上のイスラエルの指導者として認めることになります。しかし、イスラエルは「神様の民」であるはずです。こうした矛盾は、ローマ帝国が税金を徴収するさい、常に大きな危機を招きました。たとえば、神様の民を敵の支配下から解放しようとする多くの反乱グループが生まれました。民族解放運動家の中には、捕らえられたときに、税金を皇帝に払うよりも拷問による死を選ぶような者もいました。こういうわけで、イエス様に向けて提示されたこの質問は、ユダヤ人たちにとって非常に重要なものでした。
「イエスは、ローマ皇帝の信頼のおける臣下なのか、それとも、自分の弟子たちに反乱と反旗をそそのかす「王」なのだろうか。イエスが「はい」と答えても「いいえ」と答えても、この問題からは常に困難が生じるし、イエスの支持者は減っていくだろう。」
ローマに反抗するならば、イエス様を中心とした活動はたちまち戦いに巻き込まれ、壊滅してしまうことでしょう。ローマ人たちは、少しでも疑いが生じれば、穏やかな群衆をさえ何千人でも滅ぼす用意があることを、すでにその武力行動で示していました。イエス様はすぐさま驚くべき返答をなさいました。納税に用いられる硬貨には皇帝の絵が彫ってありました。「「皇帝のもの」は皇帝に属しています。それに対して、人は神様のかたちとしてつくられたのだから、「神様のもの」である「人」は神様に属するようにするべきです。」
イエス様は皇帝の使者でもなく、皇帝の反抗者でもありません。イエス様は神様の遣わされた御子として、主の民を探しておられたのです。

2009年5月18日月曜日

マルコによる福音書について 12章1~12節

実はどこに?

マルコによる福音書12章


イエス様がエルサレムに上ってこられたことにともない、私たちマルコによる福音書の読者はこの福音書の「頂点」へとますます近づいてきました。今回扱う12章はイエス様が公にエルサレムで教えられる時期に当たっています。こうした世にも稀な状況の中で緊張が高まっていきます。神様の民はどう行動しますか?群集が「ホサナ」と叫んだときのように、エルサレムの民は「イエス様こそキリストだ」と心から告白して受け入れるでしょうか?イエス様には民やその指導者たちに何か言わなければならないメッセージがあるのでしょうか?


ぶどう園とその借用人たちの犯罪 12章1~12節

イエス様は「ぶどう園とその借用人たちのたとえ」を話されました。イエス様の反対者たちはその話に心をかき乱されて、イエス様に対してものすごく怒りました。「マルコによる福音書」は当時の社会的、法的な現実を、震撼するほどの正確さで、ありのままに描き出しています。しかし、旧約聖書をよく知っている人々にとって、イエス様がたんにぶどう園をつくる仕事の大変さについて話しておられたのではないのは、あきらかでした。イザヤ書5章は、預言者の友人がぶどう園をつくり、念入りに世話をするさまについて語っています。彼はぶどう園をよくするために最善を尽くしたにもかかわらず、そこには野ぶどうしかなりませんでした。それで、預言者の友人は園の周囲にあった垣根をこわして、それが踏みつけられるままに放置することに決めました。「イスラエルの部族は万軍の主のぶどう園であり、ユダの男たちは主が喜んで植えられた苗木です。主は公平を待ち望んでおられたのに、見なさい、あるのは不正です。主は正義を待ち望んでおられたのに、見なさい、あるのは叫びです。」(イザヤ書5章7節)。イエス様のぶどう園のたとえはこのイザヤ書のイメージと重なるものです。この場合も、ぶどう園を植林し所有しているのは、神様です。ぶどう園の借用人たちは、神様の民の代表者たちです。召使たちは、預言者たちです。神様はイスラエルに「御自分の民」という特別な地位を与えて、彼らに御心を告げられました。他のすべての民は異邦人であり、活きておられる神様からは何もいただけない立場にありました。主は特別な賜物であるこの民が御自分の意思と公正に則して忠実に歩むことを待ち望まれました。ところがこうはならず、民は神様をないがしろにして好き勝手に生きました。こうした民の悪い振る舞いに対して警告を発した預言者たちは、その代償として迫害を受け、中には殺される者もいました。とうとう最後に神様は、民が神様をしることができるようになるために、御自分の民の只中に御自分の愛する独り子を遣わされました。ところが、それは以前よりもひどい結果を招きました。神様の独り子が人々によって捕らえられ、殺されてしまったのです。こうして、神様の御言葉が予告していたことが実現しました。すなわち、家を造る者たちの捨てた石が「隅のかしら石」となったのです(詩篇118篇22~23節)。イエス様の話は聖書の内容を理解している聞き手にとって非常に明瞭でした。ユダヤ人のやり方で、ヴェールで包みながらも誤解の余地のない形で、イエス様は民全体に、御自分が誰であり、御自分の上にこれからどのようなことが起こるのか、語っておられます。この話は人々の怒りをまきおこし、それもあいまって、イエス様の予言はそのとおり実現しました。神様の御子は本当に皆に捨てられ、十字架に打ち付けられてしまったのです。

2009年5月14日木曜日

マルコによる福音書 第11回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

イエス様は涙を流されました。(ヨハネによる福音書11章35節)

イエス様のこの涙は何を語っているでしょうか。その涙は燦然と輝く都を告発しているのです。その涙は「都の住民が一番危険な罪をおかしている」と告発しています。その罪は、誰にもその責任を負えないほどのものです。その罪は、この世においても永遠においても滅びをまねくようなものです。どのような罪でしょうか。それは聖霊様のお仕事に逆らうことです。あのすさまじい恐怖がエルサレムの上におきたのは、この都が神様に対して「罪を悔い改めるべき時」を受け入れようとはしなかったからです。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、お前のところに遣わされた人たちを石で打ち殺すものよ、ちょうど雌鳥が翼の下にそのひなを集めるように、私はお前の子供たちを幾たび集めようとしたことでしょうか。それなのに、お前は(私に)聞き従おうとはしなかったのです。」(マタイによる福音書23章37節)
これからわかるのは、エルサレムは今聞いたことがらについて自分自身で責任を負わなければならない、ということです。エルサレムは今耳にしたことを無視したため、非常に厳しい状況に落ち込んでしまいました。「私を捨てて、私の御言葉を受け入れない者には、その人を裁くものがあります。私が語ったその御言葉が、その人を終わりの日に裁くでしょう。」(ヨハネによる福音書12章48節)
あなたは「異邦人」[1]ではありません。あなたはが本来のエルサレムがそうであったような「幸福な立場」にあります。あなたはイエス様の御声を聞いたし、イエス様の死へと洗礼を受けています。あなたは学校や家にいて、お母さんやお父さんなどにだっこしてもらえたり、堅信式でイエス様の御前に立ったことがあるかもしれません。ところが、イエス様が近づいてきてあなたを見ようとするときには、どうなりますか。あなたのせいでイエス様の目から涙がこぼれるのでしょうか。イエス様は悲しまれるのでしょうか。あなたのこれからの生き方はイエス様の御前でどのように見えるのでしょうか。イエス様はあなたのあまりのひどさに驚かれることになるのでしょうか。
「私のとうとい血によってあがないだされた人、私の死へと洗礼を受けた人、恵みの御言葉に包まれて成長した人、私がさまざまなやり方で自分のもとへと招いた人、この人が滅びようとしている、」と。
この人は、「本来は神様の御前で悔い改めるべきであった時」を受け入れようとはしなかったのです。おそらくあなたのそうした「神様を求める時」はまだ過ぎ去ってはいないでしょう。それとも、それは今日終わるのでしょうか。もしも今日あなたが主の御声を聞くのなら、心をかたくなにはしないでください。主イエス様の熱い涙のしずくがあなたの良心に降り注ぐにまかせなさい。
この涙を見て、活きた信仰の持ち主や説教者は恥じ入ることでしょう。人間に対する無限の愛について、どれほどイエス様の涙が語っていることでしょうか。周りにいる不信仰な親戚や友人や自分の子供に対して、私たちはいかに気にもかけずにやりすごしてきたことでしょうか。パウロにはイエス様の心がありました。それは、彼には自分の親戚や兄弟姉妹のゆえに心の中に絶えざる痛みと大きな嘆きがあったことからわかります。パウロは、「できることなら、兄弟姉妹のために自分がのろわれてキリストからひきはなされる」ことさえも願っていました。パウロの目には、イエス様と同じく、自分の所属する民(ユダヤ民族)のゆえに、涙がたまっていました。
主イエス様、あなたの涙が私たちに語りかけ、私たちの心を熱く潤し、隣人を無視して眠りつづける態度から私たちを目覚めさせてくださいますように。

K.V.タンミネン (「よい守りの中で))
[1] 「異邦人」とは「ユダヤ人ではない人」のことをさしますが、ここでは「クリスチャンではない人」という意味で使われています。

2009年5月11日月曜日

マルコによる福音書について 第11回目の質問

第11回目の集まりのために

マルコによる福音書11章

イエス様はエルサレムへロバに乗って入場され、神殿をきよめ、民の指導者たちに出会われます。

1)イエス様がロバに乗ってエルサレムに到着されたのは、何についてのしるしでしたか。

2)イチジクの木に実がなるのはいつの季節ですか?なぜイエス様はイチジクの木をのろわれたのでしょうか?「イチジクの木」がここで象徴しているものは何でしょうか。

3)イエス様はエルサレムの神殿をあらゆる偽善的な行いからきよめられました。マラキ書3章を読んでください。その内容とイエス様の行動との間には、どのような共通点があるのでしょうか。

4)私たちクリスチャンの信仰によれば、キリストはいつかこの地上に戻ってこられ、裁きが「神様御自身の宮」、すなわちキリストの教会からはじまることになっています(ペテロの第1の手紙4章17節)。そのとき主は何をごらんになると、あなたは想像しますか。

5)イエス様は、山を動かしすべてのことについてすべての人に赦しを与えるような「信仰」について話しておられます。私たちの信仰はどのようなものでしょうか。
山を動かすものでしょうか?イエス様の話には内実があるのでしょうか。
私たちはすべてについてすべての人に対し、赦しを与えているでしょうか。

6)なぜイエス様は民の指導者たちの質問にお答えにはならなかったのでしょうか。

2009年5月7日木曜日

マルコによる福音書について 11章27~33節

イエス様の権威はどのようなものでしょうか? 11章27~33節

マルコによる福音書では、すでにガリラヤでの段階で、「イエス様はどのような権威に基づいて行動し教えているのか」という質問が何度もとりあげられました。とりわけ宮清めの後で、これは時宜に適った質問になっています。「イエスがもしもふつうの人の権威によって活動しているのならば、彼は「神殿を汚した者」ということになる。イエスは自分の行動をどのような権威によっているものだと主張するつもりだろうか?」。イエス様を試験しようとする者たちは、思いがけなく逆にイエス様から、答えるのが難しい質問を投げかけられました。「洗礼者ヨハネの活動は天からのものであったか、それとも人からのものであったか」という質問です。戦略的な理由から、イエス様の反対者たちはその質問には答えようとはしませんでした。ここでイエス様は議論を打ち切りましたが、私たちはこのイエス様の質問の答えを知っています。イエス様の権威についての質問は、洗礼者ヨハネのもとですでに解決されていたのです。ヨハネがイエス様に洗礼を授けた時に、天から「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」という声が聞こえました(マルコによる福音書1章11節)。もしもヨハネが神様の敵であったのなら、この声の証を本気にする必要はありません。しかし、民全体が信じていたように、もしもヨハネが神様が遣わされた預言者であったのならば、イエス様は神様の御子の権威に基づいて神殿をきよめたことになります。このように、(今まで何度もとりあげられた)イエス様の権威についての質問に、今ここではじめて答えが与えられたのでした。しかし、その答えはまだエルサレムの人々からは隠されたままでした。マルコによる福音書の読者は、この点に関しては、たんに好奇心をかきたてられている民よりも話の筋道がわかる「よい立場」にあります。

2009年5月4日月曜日

マルコによる福音書について 11章20~26節

イチジクの木の結末 11章20~26節

マルコによる福音書は主がのろわれたイチジクの木を再び読者の前に提示します。たった一日のうちにその木は根まで枯れてしまいました。弟子たちはこの出来事に驚きました。イエス様は彼らに信仰の本質を教えました。ゆるがない信仰は、必要とあれば、木を枯らせるばかりか、山をも動かすことができるのです。神様との正しい関係は、力と愛との中にあらわれます。疑わない信仰は何でもできるのです。それはまた、神様が御造りになった人間ひとりひとりを赦すようにと、私たちを導いてくださいます。イチジクの木についての事件は意味のない奇妙な出来事ではありません。それは非常に象徴的な出来事でもありました。マルコによる福音書ではこの出来事は、イエス様の宮清めの前後に分けられています。それによってわかるのは、イチジクの木は、実はイスラエルをあらわしているということです。神様の御子が聖なる都に来られ、義をさがし求められます。しかし、その義は神殿にはありませんでした。エルサレムでイエス様が聖なる怒りをあらわにされたこととイチジクの木をのろわれたこととは対応しあっています。同様に、木が根まで枯れてしまうこととエルサレムの滅亡(70年)とも対応しあっているのだと思われます。

2009年4月30日木曜日

マルコによる福音書について 11章15~19節

神殿をきよめるイエス様 11章15~19節

イチジクの木をのろったあとすぐに、皆の注目を集める出来事が起きました。ユダヤ人たちには信仰生活の中心として唯一無二の神殿がエルサレムにありました。過ぎ越しのお祝いの時期には、数え切れないほどの人々が神様にささげものをし、ある種のお金のみによって支払うことが許されていた神殿税を払いました。つまり、そのお祝いの間には、おびただしい数の犠牲のための動物や大量の両替のためのお金が必要でした。このお祝いの機会を利用して短期間に金儲けをしようとたくらむ大勢の者が、店を開きました。神殿の光景を目にしたイエス様は、両替所の机をひっくり返し、商人を追い出し、主の宮への敬いの態度を要求なさいました。熱心に見える礼拝も人間の目で見た場合にのみ「よい行い」であったにすぎませんでした。神様の目から見ると、預言者たちが幾度も注意を喚起してきた慰めのない状況が、ここでも繰り返されていたのです。すなわち、神様の宮は強盗どもの巣窟にされてしまったのでした。イエス様のここでの活動は、神殿を悪用した偽善的な礼拝を批判してきた旧約の預言者たちを思い起こさせます。イエス様の神殿のきよめのときに、まだ他にも何か実現していたことがあります。そこでは、マラキ書にある預言の御言葉が実現していたのでした。すなわち、「突然、あなたがたが探している主と、あなたがたが慕っている契約の天使が神殿に来ます。見なさい。この方は来られます、と万軍の主は言われます。しかし、誰が主の到来の日に耐えられるでしょうか。主が現れるときに揺らがない者がいるでしょうか。主は金細工職人の火のようであり、洗濯人の石鹸のようなお方だからです。主は座って、銀を溶かし、混ぜ物を取り除きます。主はレビの息子たちを精練し、彼らを精練された金や銀のように、きれいにしてくださいます。それから、彼らは「義とされたもの」として、主にささげものをもってきます。」(マラキ書の3章を読んでください)。今や、神様御自身が御自分の民に評価を下す「日」が来たのです。この瞬間は、神様の民にとって、混ぜ物の入った金や銀に対して金細工職人が行うのと同じくらい厳しいものとなることが、予告されています。金細工職人は、炉に火を起こし、容赦なく純金とその他の混ぜ物を互いに乖離させます。職人が満足するのは、純粋さで輝いている金のみです。それと同様に、神様に受け入れていただけるのは、純粋な信仰と純粋な義のみです。それを神殿で見出さなかったイエス様は、神殿をきよめ、大祭司たちを驚愕させたのでした。

2009年4月28日火曜日

マルコによる福音書について 11章12~14節

よくない休憩所 11章12~14節

イエス様がエルサレムにロバに乗って入城された時刻は、すでにおそい夕方になっていたため、その日にはそれ以上劇的なことは起きませんでした。その次の日は、朝早くから衝撃的な出来事の連続でした。イチジクの木の奇妙な事件はこの日に起きました。それはイエス様がエルサレムで行った唯一の奇跡であり、イエス様が何かを呪われた唯一のケースでもありました。もうひとつ奇妙なのは、イエス様は、ベタニヤでの宿泊所だったと思われるライ病人シモンの家(14章3節)を出てきたばかりなのに、もうお腹がすいてたまらなかった、という点です。しかし、この出来事で一番奇妙なのは、イエス様が木からイチジクの実を過ぎ越しのお祝いの時期である春にさがそうとなさった、ということです。春には、前の秋になった実などが残っているはずはなかったからです。イチジクの実は早くても6月頃に熟します。暖かな冬のあとに、木に実が残っていて、ようやく春になってから熟する、ということはありえました。しかし、聖書の伝えるこの事件は非常に奇妙です。マルコによる福音書にもはっきりと「イチジクの季節ではなかった」と書いてあります。私たちは弟子たちと同様に、イエス様の振る舞いと、イエス様が木に対して言われた厳しい裁きとに、ただ驚くほかなさそうです。

2009年4月20日月曜日

マルコによる福音書について 11章1~11節

ダヴィデの子に、ホサナ!

マルコによる福音書11章


王が御自分の都に来られる 11章1~11節

イエス様がエルサレムに到着される様子を読むときに、復習しておきましょう。イエス様の活動の中心はエルサレムから遠く離れたガリラヤでした。このガリラヤからイエス様の評判がパレスティナのあちこちに広がっていったのです。今イエス様は弟子たちと共に過ぎ越しのお祝いに参加するためにエルサレムに来られました。状況は非常に緊張したものとなっていきます。大規模な過ぎ越しのお祝いは、エルサレムが真の意味での大都市に発展したことを物語っています。ユダヤ人たちは、神様が御自分の民をエジプトでの隷属状態から解放してくださったことを覚えるために、世界のあちこちから聖なる都へとやってきました。このお祝いでの「イエス様の役割」は何でしょうか。答えを長く待つ必要はありません。預言者ザカリヤは、「いつか王がロバに乗ってエルサレムへやってくる」と予言しました(ザカリヤ書9章9節)。
この予言は、「来るべき王はへりくだったお方で、高貴な騎馬ではなく庶民が物を運ぶために用いる動物(ロバ)に乗って、御自分の民のもとに来られる」と言っています。イエス様はロバを用意させ、それに乗って聖なる都に入って行かれました。「シオンの娘」はこの(イエス様の行動の)メッセージの意味を理解しました。神様が約束してくださった「へりくだった義なる王様」が今まさに都に来ようとしているのです。ダヴィデの王国を再建することについて、はるか昔からある約束が、今やついに実現しようとしていました。それゆえ、イエス様は王様のような歓迎を受けました(列王記下9章11~13節)。歓声をあげる群集は、イエス様がキリストであり約束された来るべき王であることを告白しました。イエス様は御自分が何をなさっているか、知っておられました。今、隠されていた権威がここで具体的な形となってあらわれたのです。ここにおられるのは、聖書全体が約束している来るべきキリストなのです!

2009年4月17日金曜日

マルコによる福音書 第10回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

いろいろなものをたくさんもっている人が神様の御国に入るのは、なんとむずかしいことでしょうか。自分の力で救われる人はだれもいません。これは原罪(生まれながらの罪)がひきおこした傷に由来するものです。このせいで、私たちは知らず知らずのうちに神様よりも被造物のほうにしがみついて生きています。
人は、喜んで信頼をよせることができる対象として「神」を必要としています。人は本当の神様か、あるいは偶像をもっています。私たちが自ずと神様よりも神様のあたえてくださっている「賜物」(才能とか財産とか)に頼るとき、人の力で救われることはありえません。神様が御手によって事を正しい方向へと運んでくださらなければならないからです。神様はまったくはじめから人の心を御自分のほうへと向けさせ頼るようになさらなければならないのです。それによって、人が、「私には神様からのよい賜物がたくさんある。けれども、それらのものが私にとってあまりにも大切なものになって、そこから喜びをさがすようなことにはならないように、私は気をつけなければならない。私はそれを神様が許してくださる限りは、神様の栄光になるように、自分自身の必要を満たすために、また隣人を助けるために用いたいと思う。しかし、もしも神様がお許しにならない場合には、私は(自分にふりかかる)危機と恥を耐え忍ぶし、(賜物をあたえてくださった)創造主をなくすよりも神様からの賜物を失うほうをむしろ選ぶつもりだ。」と言えるようになるためです。
聖霊様は「私たちを新しく生む」というみわざをなさっています。そうでなければ、すべてはまったくだめになってしまうことでしょう。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)

2009年4月15日水曜日

マルコによる福音書について 第10回目の質問

第10回目の集まりのために

マルコによる福音書10章

イエス様はエルサレムへと向けて旅立たれます。そして、旅の途中で民を教えられ、奇跡を行われます。

1)イエス様は、「離婚の後で新たに結婚することは神様の御心に反することである」と、はっきりと誤解する余地のない形で、言われています(10章11~12節)。
イエス様がこう言われる根拠は何でしょうか。このことは私たちにとってどのような意味をもっているでしょうか。「家族」というものは、私たちの間でどのように位置づけられていますか。

2)イエス様に従っている人たちの間では、女性の地位はどのようなものでしたか。また、それは初期の教会においてはどうでしたか。

3)子どもが人からプレゼントをどう受け取るか、気がついたことがありますか。子どもはどのように神様の御国を受け入れるのでしょうか。それは、どのような点で「模範的」なのでしょうか。

4)イエス様はある男の人に対して、その持ち物を全部売り払い、御自分に従うようにと要求なさいました(10章17~22節)。
イエス様はこの男の人に対してなさったのと同じようなやり方で、すべての人を召されましたか。イエス様は皆から一律に同じこと(持ち物を全部売り払うなど)を要求されましたか。こうした要求は私たちにとってどのような意味をもっていますか。

5)多くのアフリカのクリスチャンは、たとえば10章17~22節に語られている話のゆえに、アメリカやヨーロッパのクリスチャンの生き方をクリスチャンにはまったくふさわしくないものとみなしています。このような意見には根拠がありますか。誰が金持ちで、誰が貧しいのでしょうか。どのような場合、富は私たちにとって危険なものとなりますか。ヤコブの手紙5章1~11節を読んでください!

6)イエス様は28~31節で「御自分に属する者たち」に対して非常に多くのことを約束してくださっています。
イエス様はあなたがたに対してもこの約束を守ってくださいましたか。あなたがたは神様の御国のゆえに、失ったものよりも多くのものをいただきましたか。それとも、逆でしょうか。「キリストと共に歩めば「陽だまり」(この世的な順風など)の日々が始まるよ」などと人々に約束するために、この聖書の箇所を用いてもよいものでしょうか。

7)イエス様の3度目の受難告知(10章32~34節)では、イエス様が弟子たちに先立って進んでいかれる様子が注目を引きます。
これはどんなことについての「しるし」なのでしょうか。

8)ゼベダイの子ヤコブやヨハネは、後にどうなりましたか。

9)イエス様の時代のパレスティナでは、目の見えない物乞いの人の生活はどのようなものでしたか。

10)バルテマイは、神様が与えてくださったチャンスをちゃんと利用する大切さを教えてくれる「模範」になっています。彼は何年間も目の見えないままで座っていたくはありませんでした。そして、「もう少し大きな声で助けを呼ぶべきではないか」と考えたのです。彼には短いチャンスの時しかありませんでしたが、彼はそれを正確に用いることができました。
私たちは彼からどんなことを学ぶべきでしょうか。

2009年4月14日火曜日

マルコによる福音書について 10章46~52節

目の見えない乞食 10章46~52節

イエス様がこの世で生きておられた当時のユダヤ社会では、目の見えない人の立場は惨めなものでした。もしも親戚がその人の世話をしないならば、その人は物乞いをして自分で生計を立てていかなければなりませんでした。それも、そんなことができる間の話です。その人を待ち受けているのは、深刻さを増していく悲惨さであり、しまいには孤独な死でした。これがバルテマイの生活の状態でもありました。彼は群集がイエス様とともに動いていくのを耳にして、自分の人生の転換期が来たことを知りました。彼は命がけでイエス様に助けを求めました。彼には「黙れ」という声がかけられましたが、彼はこの唯一のチャンスにしがみついて、群集の言うことなどには耳も貸しませんでした。イエス様はバルテマイの叫びを聞き、彼を助けてくださいました。バルテマイの人生は「御言葉の一撃」でまったく変わりました。バルテマイの癒しもまた、イエス様の受難の告知に結びついています。それは8章22~26節で語られているのと同じような出来事です。キリストの受難の傍らでは、目の見える者たちは目が見えず、目が見えない者たちは目が見えるのです。

2009年4月8日水曜日

マルコによる福音書について 10章35~45節

ゼベダイの息子たち 10章35~45節

イエス様は12人の弟子たちを(使徒として)選ばれました。12という数にはあきらかに象徴的な意味があります。すなわち、これらの男たちはイスラエルの12部族に対応し、新しい神様の御国を代表するように選ばれているのです。この神様の御国を弟子たちは待ち望んでいました。とりわけ、彼らが「イエス様こそ(旧約)聖書で約束されているキリストである」と確信するにおよんでは、なおさらのことでした。来るべき神様の御国での「大臣職」をすでにこの段階で弟子たちが自分自身にわりあてるような真似をするのは、ある意味で自然な成り行きでした。このような「大臣ごっこ」にヤコブとヨハネというゼベダイの二人の息子たちも参加していました。こうして、前にもすでにあったパターンがここでも繰り返されることになります。イエス様が来るべき受難について話されると、すぐその後でイエス様の弟子たちの無理解が明るみになります。イエス様とヤコブとヨハネの話し合いからは、イエス様が彼らと親しく身近な間柄であったことがわかります。まず、イエス様は彼らに、御自分のゆえに苦しみを受ける用意ができているか、お尋ねになりました。この後で、彼らが本当にイエス様のゆえに苦しみに遭うことが告げられます。それからようやく、イエス様は、御国のさまざまな要職を御自分で分けたりはせずに、父なる神様御自身がお決めになるのにゆだねるおつもりであることが、明かされます。ヤコブについて、このイエス様の予言はほどなく、エルサレムでの使徒会議(使徒の働き12章2節以下)が開催される前に現実のものとなります。ヤコブとヨハネのお願いを耳にし、その結果弟子たちの間で生じた怒りを目にして、イエス様は弟子たちに、「神様の御国の支配」に関する教えをもう一度復習させることにしました。この世の支配者たちは民を権力でねじ伏せていばっているが、神様の御国ではこうではない。一番えらくなりたい者は皆の僕になりなさい。そして、イエス様は直接御自分を模範として示されました。イエス様は、周りから仕えられるためにではなく、仕えて御自分の命を皆のためのあがないとして与えるために来られたのです。イエス様の使命は、「御自分を犠牲としてささげ、この世全体のために御自分の血をささげ、罪人を「神様のもの」とするためにあがなう」ことでした。このキリストの愛はイエス様に従う者皆にとって、模範でありつづけています。

2009年4月6日月曜日

マルコによる福音書について 10章28~34節

弟子たちに用意されている報酬 10章28~31節

マルコによる福音書は、弟子たちの「受ける分」についてのイエス様の御言葉を伝えています。多くの人たちは、主に従う中で、多くのものを捨てなければならなくなりました。イエス様がおそばに召された人たちはとりわけ厳しい目に遭いました。さらに悪いことに、来るべき迫害さえもが予告されています。しかし、イエス様は御自分に属する者たちに、すでにこの世の時において「豊かな人生」を、さらに、来るべき時には「永遠の命」をも約束してくださっています。ただし、この約束には、「人は神様の御国の宝を、それと気付かないうちにいともたやすく失ってしまうものである」という警告が伴っています。


3度目の受難の予告 10章32~34節

イエス様が来るべき御受難について弟子たちに告げられたのは、これで3度目です。今回の内容は前の2回よりも詳細になっています。神様はイエス様を大祭司や律法学者たちの手に渡される、というのです。イエス様は(最高会議で)死を宣告され、異邦人たちに(ローマ人たちに)引き渡されます。この受難告知には、弟子たちの先に立ってエルサレムへと向かって進まれるイエス様の揺るぎのない決意も語られています。苦難と死が待ち受けているのを知りつつもそれらへ向けて歩んでいかれる、このイエス様の姿勢は弟子たちの間に困惑と恐れを呼び起こします。お父様が御子にお与えになった「道」を、イエス様は一歩たりとも踏み外したりはなさいませんでした。この「道」はまた聖書にあらかじめ示されていた道でもありました。

2009年4月3日金曜日

マルコによる福音書について 10章17~27節

富の危険 10章17~27節

イエス様は数え切れないほどの人たちを教え、きっと何千人もの人たちと個人的に話し合われたことでしょう。聖書は、イエス様がどのようにしてひとりの人を弟子として召されるかについて、何度か語っています。今の箇所でこのような召しを受けることになる男の人が登場します。彼は、人生のもっとも大切な質問に対してイエス様から答えを得ようとしました。イエス様のはじめの答えは基本的な答えでした。しかし、男はそれには満足しませんでした。イエス様の次の答えは彼にとって爆弾のようなものでした。彼はその答えを聞いて、もはやイエス様と話し合う気をなくしてしまいました。イエス様は金持ちの男に、「持ち物を全部売り払って貧しい人たちに分け与え、こうして天に富を積んで、それから私に従いなさい」と命じられたのです。しかし、男には、すべてをイエス様にゆだねて自分の人生のあり方をまったく変えてしまうような信仰はありませんでした。それで、彼はイエス様のみもとを立ち去りました。お金は懐にかかえたまま、その実、ひどく困窮して。今回のイエス様の召しは「うつろな耳」に響いたのでした。この出来事には、富の危険についてのイエス様の深刻な警告が含まれています。金持ちが神様の御国に入るのは、非常に難しい、というか、はっきり言えば、不可能なことなのです。お金が人を縛りつけ、連れ去ってしまいます。弟子たちは天の門の狭さに驚きます。救いはまさしく神様のみわざとしてのみ可能なのであって、人自身の行いによっては無理なのです。

2009年4月1日水曜日

マルコによる福音書について 10章13~16節

子どもたちを祝福なさるイエス様 10章13~16節

イエス様が子どもを祝福なさるこの箇所(「子どもの福音」)はよく知られ、人々に愛されている箇所です。ユダヤ人たちは、律法遵守の義務を成人に対してだけ負わせました。このことに基づいて、弟子たちは、「子どもたちはイエス様の教えを受けるにはまだ幼すぎる」と考えたのでした。ところが、イエス様は違う教え方をなさいます。子どもは大人と比べて未熟な存在などではなく、逆に、大人が「模範」とすべき存在なのです!人は神様の御国を子どものように受け入れなければなりません。神様に認めていただけるのは、大人や、いろいろなことがよくできる者ではなく、子供たちなのです。ところが、人々は「子どもたちが神様にお仕えすることなどはまだとうていできはしない」などと思い込んでいたのでした。このことは、より広大な(救いの歴史の)全体の中にあらわれる特徴のひとつです。すなわち、福音によれば、「終末が近づいている時」には、この世の価値観は他の場合に関しても転倒してしまいます。たとえば、金持ちは傍らへ斥けられ、貧乏人は受け入れられます。「立派な人」は捨てられ、収税人や娼婦が神様の御国の中に入っていきます。同じように、とても賢い大人たちはここで、イエス様が子どもを正しい信仰者の模範として置かれるさまを、その傍らから眺めることになりました。

2009年3月19日木曜日

マルコによる福音書について 10章1~12節

誰が一番えらいのでしょうか?

マルコによる福音書10章


離婚についてのイエス様の教え 10章1~12節

マルコによる福音書の1章から8章までは、ガリラヤでのイエス様の活動が描かれています。イエス様がいくつかの例外を除けば、とても狭い地域で活動なさっていたことを、ここではおさえておきましょう。イエス様は、今までは真の中心地、エルサレムには来られませんでしたが、この10章ではとうとうユダ地方に到着されました。イエス様の周りに集まった大勢の人たちの運動については、もちろんエルサレムにもすでに知られていました。それゆえ、緊張した雰囲気の中で、ファリサイ人たちはイエス様がどのようなお方か確かめようとしたのでした。イエス様の教えの信憑性を試すため、はじめの質問として「離婚」がとりあげられました。結婚はユダヤ人たちにとって聖なるものであり、神様御自身が設定なさったものです。申命記24章1~4節は、夫が妻を離婚して立ち去らせようとする場合には、妻に離婚証書を与えるようにと、要求しています。これについてどう思うか、イエス様は質問を受けました。それに対してイエス様は、ユダヤ人のやり方に従って、逆に質問を投げかけることによってお答えになりました。「モーセは夫が離婚証書を書いて妻を捨てることを許している」とファリサイ人たちは考えていました。しかし、イエス様はこれとは違う教えをなさいます。それは、「離婚証書についてのモーセの規定は、夫のかたくなな心に対して妻を守るために与えられている」というものです。すなわち、心をかたくなにした夫が妻を捨てる場合には、彼は妻に「この女は新たに結婚することができる」ことを証明する文書を与えなければなりません。当時、夫から捨てられた女性は、再婚しない場合には、貧窮するか、あるいは、娼婦になるか、事実上この二つしか選択肢がなかったのです。離婚は神様の創造のみわざの目的に沿ってはいません。結婚は神様が設定なさったものであり、そこでふたりの人が「ひとつの肉」となり、彼らはひとつの存在となるのです。神様がこうして男と女をひとつに結び付けてくださったので、人はもはや結婚という契約を取り消すことができません。モーセは離婚を許したのでは毛頭なく、逆に、心をかたくなにした夫の恥知らずな数々の行いから、女性を守ったのです。弟子たちに対しては、イエス様はこの問題についてさらに、「離婚の後の再婚は神様の御心に反することであり、罪である」と教えられました。力強い教えによって、イエス様は女性たちを、それまで彼らがユダヤ教の社会の中ではもちえなかったような「立場」に引き上げました。妻を捨てる者は、神様に対してだけではなく、妻に対してもまた、罪を犯しているのです。女は、男たちの話題にあがる「物」などではありません。困窮するか娼婦に身を落とすかの選択を、男が勝手に女に迫る権利などもありはしないのです。神様は人を男と女として創造なさり、男と女はひとつの肉となります。イエス様は、御自分の行いによって、その教えをどのように実行するべきか、示されています。マルタとラザロの姉妹マリアは、たんにすばらしい給仕であっただけではありません。彼女はまずもって、主の足元で主の教えに聞き入っている「弟子」でした(ルカによる福音書10章38~42節)。
悪いうわさが立てられることも気にせずに、イエス様は女たち(中には未婚者も既婚者もいました)に、御自分と共に行動しその教えに従うことを許されました(ルカによる福音書8章1~4節)。女たちはまた、イエス様の復活の知らせを伝えるために、空っぽの墓から駆け出して行きました。初期の教会はイエス様のはじめられた革新的なやり方から逸脱したりせずに、イエス様の教えに忠実に活動をつづけました。女性は、男性と同様に、最初から「教会の会員」でした。たとえば、聖書で名が挙げられている最初のヨーロッパのクリスチャンはルデアという女性です(使徒の働き16章11~15節)。女性はまた、教会で積極的に活動していました。たとえば、ローマの信徒への手紙16章にある、9人の女性たちへのパウロの挨拶や、プリスカの活動(使徒の働き18章24~28節)などが挙げられます。にもかかわらず、教会の牧師職は男性だけのものであるという制限が与えられています(コリントの信徒への第1の手紙14章33~40節)。ここで教会は「主の命令」(37節)に全幅の信頼を寄せて、使徒の職に男性だけを選ばれたイエス様を模範としているのです。

2009年3月16日月曜日

マルコによる福音書 第9回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

「もしも滅びの裁きを宣告する任務が光栄なものだとすれば、義を宣告する任務は、それよりもはるかに栄光にみちたものです。」(コリントの信徒への第2の手紙3章9節)

ここで使徒パウロが書いていることをクリスチャンはきちんと学ぶようにしてください。異端教師の権威ぶった教えや、悪魔のわなである「人を苦しめる考え」などは気にしないように!悪魔は律法を引き合いに出して、人が義を自分自身の行いによってさがしもとめるようにしむけ、「救われるためには、お前は本当はあれもこれもやらなければならなかったのだ」などという考えを吹き込んで、あなたの心をいたぶります。しかし、あなたは悪魔からその武器をうばいとってこう言わなければなりません。
「なぜお前は律法や行いを引き合いに出して私をいたぶるのか。お前がどんなに長く説教したとしても、罪や死や地獄を私の上にかき集めてくるだけではないか!そんなことをしても、私は神様の御前で自分の義をいただくことはできないのだ!」
聖パウロがこの箇所で「律法の栄光」について書いていることがらは、ユダヤ人の教師たちが自分の行いを誇るときに引用する箇所でもありますが、もともとは出エジプト記20章と34章にある出来事にもとづいています。そこでは、神様が王にふさわしい大いなる栄光をまとって天からおりてこられたときに律法がどのようにして与えられたか、について語られています。稲妻の閃光と雷動のなかでシナイ山全体が炎に包まれました。律法の板をかかえて山からおりてきたモーセの顔はあまりにも輝いていたため、イスラエルの民はモーセを直視することができず、モーセは顔に覆いをかけなければなりませんでした。ユダヤ人の教師たちがあまりにも自分の行いを誇り高ぶっているために、聖パウロは次のようなことを一息に話し始めたのでした。
「たしかにこれも王様の栄光ではあります。しかし、この栄光は人を神様から逃げ出させ、死と地獄に追いやることしかしません。それとは逆に、私たちにはまったく異なる「任務」の栄光があり、これについて私たちは誇りを持っています。マタイによる福音書17章2~4節の福音によれば、キリストは太陽のように輝いている御顔の栄光を、弟子たちがはっきりと見れるようになさいました。弟子たちは逃げ出したりはせず、そのお顔にうれしそうにうっとりとみとれていました。そしてこう言いました。「主よ、私たちがここにいるのはすばらしいことです。もしもお望みでしたら、私たちはここに三つの幕屋を立てたいと思います。」。」
これら二つのイメージをくらべてごらんなさい。そうすれば、使徒が何を意味していたのかが、わかります。前にも言ったように、律法は、その光が私たちの心の奥まで照らして、私たちがそれを本当にしるようになったときには、どんな人にも恐れと死をもたらすだけなのです。それとはちがって、福音は、慰めと平和と喜びとを与えてくれます。

フレドリック・ガブリエル・ヘドベルグ (「救いへの唯一の道」)

2009年3月12日木曜日

マルコによる福音書について 第9回目の質問

第9回目の集まりのために

マルコによる福音書9章2~50節

イエス様は「輝きの山」で御自分の本来のお姿を示され、御自分に対して無理解な人々の中で活動をつづけられます。

1)輝きの山で信仰は目に見えるものに変わりました。それは、御子についての父なる神様御自身の力強い証でした。ふつう私たちクリスチャンは、目には見えないものを信じることで満足しなければならないものです。輝きの山にはまた象徴的な意味もあります。それは強烈な信仰体験です。
あなたがたにはこうした「輝きの山」での体験がありますか。こうした体験は(クリスチャンにとって)必要不可欠のものでしょうか。

2)ペテロの第2の手紙1章16~21節を読んでください。この箇所はクリスチャンに対して「使徒による証」がどのような意味をもっている、と語っているのでしょうか。

3)人間の魂は死んだ後で肉体から別の肉体へと移り行くものでしょうか。たとえばコリントの信徒への第1の手紙15章35~36節を読んでください。

4)24節で子どもの父親は自分の信仰を大声で告白し、それと同時に、不信仰の中にいる自分を助けてくださるようにイエス様に頼みました。どのような信仰ならイエス様に受け入れていただけるのでしょうか。私たちの人生の中では信仰と不信仰が別々に並んでいるのではなくて、むしろ互いに入り組んでいるものですが、そのことについて自分の体験を話し合ってください。

5)イエス様に聞かれたくはなかった自分たちの話し合いを聞かれてしまって、弟子たちは困ってしまいました(9章33~37節)。
「イエス様が家のかしらであって、すべての話し合いに耳を傾けている目に見えない聞き手であること」を語る文が額にはめられて壁にかかっている家があります。イエス様はあなたがたの家でどのようなことを聞くことになってしまったのでしょうか。そして、それでもイエス様はまだそこに住んでくださるのでしょうか。

7)新約聖書はイエス様の互いに正反対であるようなふたつの御言葉を書き留めています。それらは、「私たちに反対しない者は、私たちの見方です」(マルコによる福音書9章40節)と「私の側ではない者は、私に反対する者であり、私と共に集めない者は、散らすのです」(マタイによる福音書12章30節)というものです。互いに異なる御言葉には、それぞれ別の背景があります。どのような状況にこれらの御言葉はそれぞれ合致しているのでしょうか。

8)他の人たちを信仰から引き離すように誘惑する人々は非常に厳しい裁きを受けることになる、とイエス様は言われています(9章42節)。牧師や教師や両親たちが、ここでイエス様が警告なさっている「惨めな結末」を避けるためには、どうしたらよいのでしょう。

9)イエス様は「御自分に属する者たち」に、信仰生活の「目的」をはっきり心に刻んでおくように忠告なさっています。人が神様の御国の中に入ることの大切さに比べたら、他のことは何の意味も持たないほどです。また、もしも人が地獄に落ちてしまうならば、人生でどんなに立派なことを実現したとしても、何の役にも立ちません。
どのような誘惑が、私たちクリスチャンにとってとりわけ危険なものでしょうか。はたして私たちは、イエス様が要求されているように、目を覚ましていて、神様の御国のためならばどのようなことでも捨て去る用意ができているでしょうか。

10)49節にある「火」とはどういう意味でしょうか。

11)塩で味付けなければならないささげものについてのイエス様の御言葉はどういう意味なのでしょうか。「ささげもの」とは何であり、「塩」とは何なのでしょう。どのようにして「塩の味」が抜けてしまうのでしょうか。

マルコによる福音書について 9章41~50節

気をつけなさい! 9章41~50節

イエス様はクリスチャンにとって躓きとなる誘惑について話されます。「キリストのもの」である者たちが信仰を捨て去るようにしむける人々がいます。そのような人間の受ける裁きは厳しく情け容赦のないものになります。この罪以上の厳しさで裁かれている犯罪は、聖書の中にはあまりありません。「キリストのもの」である人たちに対して、そうした誘惑に耳を貸さないように、という厳しい警告がここで与えられているわけです。イエス様の御言葉の内容は明瞭です。大切なのはたったひとつのことだけです。すなわち、人がいつか神様の御国の中に入ることです。これと比べたら、あらゆる誘惑に対する極端な反対さえも、行き過ぎた否定的態度ではありえません。もしも人が神様の御国の中に入れないならば、その人にとって、たとえば「健康」などは陰府では何の役にも立ちません。三番目の警告もまた「キリストのもの」である人たちに対してです。この箇所は非常に難解です。たとえば次のように理解することができるでしょう。イエス様に属する人は皆、火の様な試練に遭い、神様の御国のために自分を捨てざるをえなくなります。このような人は、「モーセの律法にしたがって塩によって味付けされた神様へのささげもの」のような存在です。「塩味の付けられた」というのは、「イエス様とその御国とに結びつけられた」ということでしょう。にもかかわらず、こうした塩をもつ人が、自分で考えているよりもいともたやすくその塩を失ってしまうことがあるのです。そうした危険について、イエス様はここで厳粛に警告なさっています。

マルコによる福音書について 9章38~40節

見知らぬエクソシスト 9章38~40節

イエス様の御名によって悪霊を追い出している見知らぬ男があらわれ、弟子たちの間には困惑が広がりました。弟子たちは彼の活動をやめさせようとしましたが、イエス様は彼がしたいようにさせておきなさいと言われました。イエス様の御名によって奇跡を起こす者が、すぐにイエス様の悪口を言ったりはしないものです。人々を弟子たちの仲間に入れるのが大切なのであって、彼らを「お前たちは弟子ではない」と外に追い出すべきではないのです。イエス様に反対しない人は、イエス様の味方です。このイエス様の御言葉は、おそらく後の教会の状況の中で実際にくりかえされたことでもあるでしょう。クリスチャンが周囲の怒りの対象となり迫害される中で、迫害する側にも迫害される側にもつかない人たちがいました。彼らに対して次のどちらの御言葉を適用するべきなのでしょうか。「私たちに敵対しない者たちは私たちの味方です」でしょうか。それとも、「私の側ではない者は私に敵対しており、私と共に集めない者は散らしているのです」(マタイによる福音書12章30節)でしょうか。ここでイエス様は、キリストに属する者たちに同情する人は、たとえその人が沈黙を守る少数派に属していたとしても、報酬を受けないでいることはないことを、私たちに思い出させてくださいます。それゆえ、イエス様に属する者は、あまりにも厳しい基準を設けて「弟子とそうではない人」とを性急に分け隔ててはいけません。そうした境界を引くのは、神様おひとりのみわざに属することがらですから。

マルコによる福音書について 9章30~34節

2度目の苦難の予告 9章30~32節

イエス様は弟子たちを群集の中から連れ出して彼らに対してだけ教え始められました。その教えの内容はフィリポ・カイザリヤでのものと同一です。すなわち、「人の子なるイエス様は人々の手中に落ち、殺され、死んだ後で3日目によみがえる」というものです。この教えはイエス様の教えの核心であり、イエス様のもっとも大切な使命にかかわっていることなのに、弟子たちはそれをまったく理解できませんでいた。旧約聖書においてすでに準備されている神様の御計画は、人々にとっては理解しがたいものでした。弟子たちでさえわからないままだったのです。このように「キリストの秘密」は、イエス様が教えてくださっているにもかかわらず、依然として「秘密」のままでした。


誰が一番偉いか? 9章33~34節

イエス様が御自分に訪れる受難についてはじめて弟子たちに告げられたときのように(マルコによる福音書8章)、弟子たちはイエス様が二度目にこのことを告げられたときにもその「受難」の意味を理解しませんでした。つまり、イエス様の弟子たちさえもイエス様のことがわかってはいなかったのです。これもまたキリストの十字架の道の一部でした。弟子たちはイエス様から「あなたたちはここに来る途中で何を論じ合っていたのですか?」と尋ねられました。弟子たちにとって、これは先生から訊かれたくない質問でした。弟子たちは恥ずかしくて答えることができませんでした。「自分が他の人よりどんなに偉い立場にあるかについて言い争っていたのだ」などとは誰も言いたくはなかったのです。イエス様は彼らの真ん中に小さい子どもを連れてきて、神様の御国の「憲法」にかかわる教えをなさいました。すなわち、「一番偉い人は皆の僕にならなければならない」ということです。神様の御国には偉い人のための名誉職などはなく、あるのはただ僕の職のみなのです。小さい子どもに仕える者は、その子を通してキリストに仕えているのです。そして、キリストに仕える者はキリストを通して神様に仕えています。

マルコによる福音書について 9章14~29節

「不信仰な私を助け出してください!」 9章14~29節

輝く山のふもとにはこの世での苦難が待ち受けていました。小さな子どもを苦しめている悪霊を弟子たちが追い出すことができなかったため、大騒ぎになっていました。イエス様がデーモンに命じると、それは子どもから出て行きました。実は、この出来事の核心には、すべての人を悩ませている「信仰と不信仰」という問題があります。弟子たちの信仰は暗闇の諸霊と戦うには十分ではありませんでした。大勢の人たちや苦しんでいる父親の見守る中で、弟子たちは悪霊に敗北してしまったのです。自分たちの不信仰に悩まされ、興味本位で騒ぎたてている群衆に取り囲まれて、弟子たちはふつうでは考えられないほどの忍耐を強いられたのでした。この子どもの父親の信仰と不信仰は、今に至るまで人々の心に深い印象を与えてきました。父親は信じています。しかし、彼の信仰はイエス様の求めておられる「水準」には足りませんでした。信じる者にはあらゆることが可能です。父親の信仰の力では「山を移動させる」ことができません。にもかかわらず、父親はイエス様に助けていただくために、イエス様の御許に留まり続けようと決心しました。イエス様は彼を追い出すどころか、自分の不信仰を嘆くあわれな父親とその息子に対して、助けを差し伸べられたのでした。

マルコによる福音書について 9章11~13節

誰がエリヤか? 9章11~13節

旧約聖書の最後を飾るマラキ書は、「預言者エリヤが主の日の到来の前にやってきて民を神様へと方向転換させることになる」と教えました(マラキ書3章23節)。マルコによる福音書のこの箇所で弟子たちは、「エリヤがまずはじめに来なければならなかったのでしょうか?」とイエス様にたずねました。実は、その質問は「弟子たちの信仰告白」でもあったのです。まずはじめにエリヤが来て、それからキリストが来るはずでした。いまやキリストが来てくださった、ということは、エリヤはどこにいるのだろうか?「エリヤはすでに来たのだけれど、人々は彼に注意を向けなかったのだ」とイエス様は言われました。マタイによる福音書ではさらに、イエス様はここで洗礼者ヨハネを意味しておられた、と説明しています(マタイによる福音書17章13節)。この箇所に関連してよく聞かれる質問で、まったく聖書的ではない考え方について、ここで触れておかなければならないでしょう。それは東洋的な宗教性としてしばしばとりあげられる「魂が遍歴するという教え」です。この教えは、「人はひとつのまとまった存在である」とする旧約聖書的な考え方とは相容れないものです。東洋の宗教によれば、それぞれの人の魂には「不死なる神性」が微量ながら含まれています。これと同様の迷信は古代のギリシア人たちの中にも見出せます。こうした考えに従って、「人は死んでもその魂はこの世に残り、新しい肉体を見つける」と信じ込まれていたのです。しかし、聖書にはこのような考え方はまったくありません。聖書によれば、人の肉体と魂は神様の創造のみわざの結果であり、神性の一部分などではありません。それゆえ、魂も人から人へと遍歴するようなことはないのです。魂は神様の創造なさった人の中にある、神様が創造なさった一部分なのです。エリヤは特別なケースです。というのは、彼は生きたままで天へとあげられたからです(列王記下2章18節)。

マルコによる福音書について 9章2~10節

輝きの瞬間

マルコによる福音書9章2~50節


輝きの山の栄光 9章2~10節

前章はマルコによる福音書の分岐点でした。「イエス様はキリストです」という弟子たちの信仰告白のあとで、イエス様の「道」が孤独と十字架と死へと下降しはじめたのでした。神様が遣わされたキリストは栄光に輝く王国を築くはずではなかったのです。キリストの道は「御自分の命を失い、それをふたたび神様の御手から受け取る」というものでした。イエス様は孤独でした。神様の道は人々の目から隠されたものだったからです。神様の道の下降していく有様とまったく異なっているのが、この高い山でのたった3人の弟子たちを前にしたイエス様のお姿でした。ペテロとヤコブとヨハネは信じがたい光景を目の当たりにしました。イエス様の外見が言葉には尽くせないほどの輝きと素晴らしさに満ち、衣服も光を放っていました。旧約聖書のもっとも偉大な人物たちであるエリヤとモーセが現れて、イエス様と語り合っていました。この世の終わりに臨んでユダヤ人たちが出現を待ち望んでいた人物はまさしくエリヤとモーセであったことが、知られています。そしてそれは、この「輝きの山」で実現したのでした。しまいには神様御自身が雲の中にあらわれて、「イエス様は神様の愛する御子であり、人々はこの方に聞き従わなければならない」ことを証してくださいました。そのあと、突然この光景は消えうせ、弟子たちと共にいたのはイエス様おひとりだけでした。この輝きの山での出来事はマルコによる福音書全体を視野に入れて読むべきです。人々の間ではイエス様は御自身の本当のお姿を隠しておられました。群集の目にはイエス様の「下降の道」は恥辱と屈辱にすぎませんでした。しかし、真実はちがっていました。神様の御子が御父の与えた使命をいまや成就なさろうとしていたのです。イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった瞬間の出来事、フィリポのカイザリヤで、実は自分でも何を言っているのかよくわからないままペテロが「イエス様はキリストです」と信仰告白した出来事を、神様はこの輝く山ではっきりと力強く示してくださいました。イエス様の真のお姿が一瞬強烈な光を放って明かされたのです。ところが、山から下りるときにイエス様は再び御自分を「キリストの秘密」の中に覆い隠されました。「人の子が死者の中からよみがえるまでは、輝きの山での出来事を誰にも一言も話してはならない」とイエス様はお命じになったのです。弟子たちはその指示に従いましたが、その意味を理解することはありませんでした。

マルコによる福音書 第8回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

悔い改めなさい!

イエス様はこう言われます。「私はあなたに対して責めるべきことがあります。あなたははじめの愛を捨ててしまいました。そこで、あなたはどこから落ちてしまったかを思い出して、悔い改めてはじめのわざを行いなさい。」(ヨハネの黙示録2章4~5節)
イエス様がまっさきにごらんになるのは、私たちのわざではなく、私たちのわざの原動力となっているものだ、ということがこれからわかります。「あなたは私に祈っていますか、あなたは私に対して信仰を告白しますか、あなたは私のために何かについて苦しみを受けていますか、あなたは私のために犠牲になっていますか」などと、イエス様は尋ねたりはなさいません。イエス様が訊かれるのは、「あなたは私を愛していますか、私はあなたにとって愛するものでしょうか」ということです。

どうですか。イエス様は私たちにとって愛するお方でしょうか。イエス様への自分の愛が確かなものだと(自分やまわりの人に)納得させなければならないとき、おそらく多くの人たちは黙り込んでしまうのではないでしょうか。それでもあなたは、自分を恥じながらも、かすかな声でこの質問に「そうです」と答えるのではないでしょうか。あなたはそうするほかはないでしょう。あなたが「なぜイエス様が自分にとって愛するお方であるのか」を自問するときに、「なぜ罪深い女がイエス様を愛するようになったか」を説明するイエス様の次の御言葉は、あなたにも当てはまるのではないでしょうか。「それゆえ、私はあなたに言います。この女の多くの罪は赦されているのです[1]。それで[2]、彼女はたくさん愛したのです[3]。」(ルカによる福音書7章47節より)
あなたはほかの理由を見つけないでしょう。まさにあなたの罪のゆえにあなたは、「人間の罪のために死ぬことによって罪を赦してくださったイエス様」を必要としているのです。

ところが、多くの人は、心の中でこの信仰の出発点をすっかり忘れて、立派で聖なる者になってしまい、十字架につけられたキリストとそのあがないの血が、彼らの内なる命の唯一のよりどころではなくなってしまうようです。そのかわりに彼らにとっては、福音のために労苦すること、罪や悪に激しく反対すること、正しい教えを守るために激しく戦うこと、さらには、イエス様のために苦難を受けること、などが大切になってきます。そのような者たちにイエス様はこう言われます。
「あなたは、どこで躓いたのかを思い出して、悔い改めなさい。」
人が貧しい罪人の立場をはなれて立派になり、日々の罪の赦しを必要ともしないで生きていくようにさせるような「霊的生活」は決して正しいものではありません。キリストのあがないの血による恵みが、私たちの人生の夕べにいたるまで常に、私たちが呼吸する「空気」であり、私たちが生きていくために必要な「食べ物」でなければなりません。

主、イエス様!私たちはあなたの御前で心を開いています。私たちを試してください。そして、私たちの内なる命の唯一の太陽となってください。世の罪を担ってくださる方よ!

K.V.タンミネン (「よい守りの中で」)
[1] 完了形。
[2] 「なぜなら」とも訳せる。その場合意味がすっかり変わってしまうことに注意。
[3] アオリスト。

マルコによる福音書について 第8回目の質問

第8回目の集まりのために

マルコによる福音書8章1節~9章1節

弟子たちは「イエス様がキリストであられる」と告白しました。イエス様の道はまもなく十字架に向かっていきます。

1)この段階になって、なぜイエス様からしるしが要求されたのでしょうか?それまでなされた奇跡では足りなかったのでしょうか?旧約のしるしを(神様の)権威に基づいて与えた人たちは誰でしたか?

2)人生のどのような状況の中で、私たちは神様からしるしを求めることができるでしょうか?奇跡は、十字架につけられた主イエス様を信じるように、人を導くことができるでしょうか?

3)目の見えない人を癒される出来事(8章22~26節)は福音書全体にかかわりをもっている箇所です。目の見える者は実は目が見えません。しかし、イエス様は目の見えない人を見えるように癒されました。

この出来事は霊的な盲目とその癒しについて話すときに正当にも引き合いに出される箇所です。「イエス様のみが霊的な盲目を癒してくださる」ということは、私たちにとってどのような意味をもっているでしょうか?使徒信条の第3信条(聖霊様への信仰)についてのルターの教理問答書は、次のように始まります。「私は自分の理性や力によっては主イエス・キリストを信じることも、その御許に行くこともできないけれども、聖霊様が私を福音を通して招いてくださっていることを、私は信じます。」

4)「栄光の神学」は、神様の力やキリストの栄光やキリスト教信仰の合理性やクリスチャンの強さを強調します。一方、「十字架の神学」の核心には、神様は御自分の力をこの世では隠しておられることにあります。それゆえ、神様の力があらわれるのは、傷つけられたキリストの中、人間的な理性に反しているように見えるキリスト教の信仰の中、また、クリスチャンたちの弱さの中なのです。ペテロはどちらの神学を代表していますか?イエス様はどちらの神学を教えておられますか?私たちのそれぞれの教会では、どちらの神学がより強い支持を得ていますか?「正しい」栄光の神学というのは、ありえないのでしょうか?

5)8章34~38節をもう一度読んでください。この箇所の御言葉に従って、教会史に登場する有名な人物たちは持ち物すべてを人に分け与えました。今でもクリスチャンは皆、自分が所有しているものを全部捨て去るべきなのでしょうか?

6)9章1節の意味は何ですか?

2009年2月9日月曜日

マルコによる福音書について 8章34節~9章1節

十字架と苦悩 8章34節~9章1節

ペテロはイエス様に自分の忠告を押し付けようとして失敗しました。イエス様は民衆を御許に集めて、皆に「十字架の道」について話されました。その話のポイントは、「私たちは神様の道に従って歩まなければならない」ということです。この道を歩む者は、この世の心地よい陽だまりから引き離されて、暗い谷へと導かれます。イエス様に従っている者たち自身も、十字架の道を歩み始め、イエス様と福音のために自分の命を失うことになります。このように自分の命を失うことによってのみ、人は自分の命を見出すことができるのです。もしもイエス様が最後の裁きの座でその人を「御自分のもの」として認めてくださらないならば、お金も、人間が手にいれることができるどんなものも、役には立ちません。キリストをこの世で恥じる者を、キリストは最後の裁きの座で恥とみなされます。イエス様がこの箇所の終わりで言われている御言葉(9章1節)は、これに続く箇所(栄光の山での出来事)に文脈的に属している、と後世の教会が判断してきたものです。この節は多くの人々を困惑させてきました。イエス様はここで、「私と共にいる者のうちの何人かは、神様の御国が大いなる力をもって出現するまでは、死ぬことがありません」と約束なさっているからです。この節についてはさまざまな説明がなされてきました。たとえば、「神様の御国は栄光の山でその力を現した」(9章2~10節)という説明があります。確かに栄光の山には何人かの弟子たちがイエス様と共にいました。「一日は主の御前では千年に等しく、また、千年は一日に等しい」(ペテロの第2の手紙3章8節)という御言葉に注目する人たちもいました。しかしこれらの説明では、「9章1節の御言葉はすみやかに実現するかのような印象を与えるものであるにもかかわらず、なぜイエス様はなかなかこの地上に戻ってきてはくださらないのだろうか」という疑問が残ります。「イエスの予想は間違っていた」と考える人たちも大勢います。しかし、使徒パウロはどう言っていますか?マルコによる福音書よりも前に書かれたローマの信徒への手紙9~11章では、おおむね次のように言われています。神様はキリストにおいて、まずはじめに御自分の所有の民であるイスラエルを招かれました。何人かの例外を除けばイスラエルは神様の御言葉に耳を貸さず、自分たちに用意されている救いを拒絶してしまいました。それゆえ、神様は福音が異邦人たちの間で受け入れられ広がっていくようになさったのです。つまり神様は計画を変更されたのです。全宇宙の主として神様はそうする権利をおもちです。救われるべき異邦人の数が神様の御国に満ちたとき、福音はユダヤ人たちにも受け入れられるようになります。このように神様は、異邦人をもユダヤ人をも皆一律に、心がかたくなになって罪の赦しの恵みを求めざるを得ないような状況に閉じ込めたのでした。「神様は、御自分の民をそのかたくなな心にゆえに裁くことはまだなさらず、逆に彼らを憐れむために、わざわざ迂回する道を選ばれたのだ」、とパウロは書いているわけです。私たちも「自分たちがまだこの同じ迂回の路上にいるのだ」と考えることができるでしょう。

2009年2月4日水曜日

マルコによる福音書について 8章31~33節

苦しむキリスト? 8章31~33節

「イエス様がキリストです」という弟子たちの告白には、「イエス様がイスラエルの王、真のダヴィデの子となる」という信仰とあきらかに結びついていました。彼らは目に見えるような王国を待ち望んでいたのです。だから、イエス様が御自分の歩まれる受難の道について話し始められたのは、彼らにとって思いもよらぬことでした。イエス様は、どのようにして御自分が捨てられ、殺されるか、しかしまた、どのようにして死者たちの中からよみがえられるかについてお話しになりました。今イエス様はこれから起こることについて、いっさいを包み隠さずに話されました。ペテロにとってはこれは衝撃であり、彼の思いを傷つけるものでした。イエス様は弟子たちのグループのリーダーであるペテロの叱責を激しく拒絶されました。そして、サタンが今ペテロのペルソナ(人格)の中で、神様が王のために用意なさった「受難の道」をキリストが歩まないように誘惑しているのだと、看破されました。イエス様の受けられるべきものは、この世的な幸福ではなく、苦難だったのです。こうして、メシアの秘密のカーテンがこのように開かれてみても、誰もその意味を理解しなかったことがはっきりしました。

この箇所では二種類の「神学」が提示されています。そのうちのひとつは「栄光の神学」と呼ばれるものです。この神学は、神様の力、キリストの栄光、キリスト教信仰の合理性、クリスチャンたちの強さなどを強調します。もうひとつは「十字架の神学」と呼ばれるものです。この神学の核心は、「神様は御自身の力をこの世では隠される」という点にあります。それゆえ、神様の力があらわれるのは、傷つけられたキリストの中、人間的な理性に反しているように見えるキリスト教の信仰の中、また、クリスチャンたちの弱さの中なのです。この段階で、ペテロは栄光の神学しか理解できていません。しかし、イエス様はその歩みを受難と十字架の道へと向けられます。

2009年2月2日月曜日

マルコによる福音書について 8章22~30節

目の見えない人の視力の回復 8章22~26節

不信仰で無理解な弟子たちとのやりとりの後で、イエス様は目の見えない男と話し合われます。この男の友人たちが助けをイエス様に求め、そして、イエス様はその人を癒されたのでした。目の見えない人についての出来事がこのタイミングで起きているのは、偶然ではないでしょう。ヨハネによる福音書9章もまた、「目の見えない者は見えるようになり、目の見える者は見えなくなる」ことを語っています(39節)。旧約聖書の大いなる予言が実現していくとき、神様が約束してくださった救いの時が来ているのです。


「あなたはキリストです!」 8章27~30節

フィリポ・カイザリヤの近郊で真実が明かされる時が来ました。イエス様はまず弟子たちに、「人々は私が誰であると言っていますか」とお尋ねになりました。洗礼者ヨハネ、エリヤ、あるいは預言者のひとり、などと答えはまちまちでした。引き続きイエス様は弟子たちにはっきりと「あなたがたは私が誰であると言いますか」と質問されました。弟子たちはどう答えたでしょうか?「イエス様はキリスト、神様の約束された王です」とペテロはためらわず素直に告白しました。こうして、イエス様をキリストと告白する光が世に一瞬輝きました。しかし、その後ふたたび「秘密のカーテン」が神様のお定めになった暗闇の時までこの告白の光を覆い隠すことになります。ともあれ、この段階で弟子たちはイエス様が「どなた」であるかしったのでした。

2009年1月30日金曜日

マルコによる福音書について 8章11~21節

しるしなしで 8章11~13節

ファリサイ人たちはイエス様からしるしを要求しました。ここで問題になっているのは、奇跡が惹起したたんなる好奇心ではなく、イエス様の権威を確証するために必要不可欠な「しるしのみわざ」のことです。このようにはっきりと(神様からの)権威を証明するしるしの例として、カルメル山におけるエリヤを挙げることができます(列王記上18章)。預言者イザヤは同じようなしるしをアハズ王に示しますが、この王は自ら選んだ背信の道を歩み続けました(イザヤ書7章11~12節)。イエス様はこれまでもしるしのみわざを行われてきました。しかし、しるしを求める者たちの前ではまだでした。イエス様は見世物になるのを拒まれ、ファリサイ人たちの不信仰に驚かれつつ、彼らから退かれました。


メシアの秘密 8章14~21節

ここでマルコによる福音書は日常の些細な出来事について語っています。ところが、イエス様の一言でこの出来事は思いがけないほど広範な意味を持つようになりました。舟の中で弟子たちは、一緒にいる13人(イエス様と12人の使徒たち)のために一個のパンしかないことに気が付きました。どうしたものかと話し合っていると、イエス様は弟子たちにファリサイ人たちやヘロデのパン種に気をつけるように忠告なさいました。弟子たちはイエス様のこの御言葉を相変わらずふつうの意味でのパンのことに結び付けて考えましたが、それはまったくの誤解でした。「パン種」[1]という言葉でイエス様が意味しておられたのは、「教え」のことだったのです。教えは料理全体の味を決めてしまう微量の調味料のようなものです。もしもパン種がパンに入らないようにしたいのなら、イスラエルの民がモーセの律法に従って過ぎ越しの祭りの時にはいつでもそうしてきたように、パンの生地を入れる器を丁寧に洗ってきれいにし、パン種はごく微量たりとも生地に混ぜないように細心の注意を払わなければなりません。つまり今ここでイエス様は、弟子たちがファリサイ人たちやヘロデの教えから完全に離れ去るように忠告なさっているのです。「ヘロデの教え」というのは、あるグループ内にあった「ヘロデこそが旧約聖書に約束されているキリストである」という考え方をさしていると思われます。この箇所の文脈では、この箇所の出来事の一番大事な意味は、「弟子たちがイエス様の話されていることをまったく理解しなかった」ということでしょう。何千人もの人々に食べ物を分け与えた奇跡が繰り返されたにもかかわらず、依然として弟子たちは手持ちのパンがあまりにもわずかしかないことを心配していました。イエス様の話されたことを彼らは理解していなかったのです。「あなたがたはまだわからないのですか?」というイエス様の御言葉は、たとえの意味がわからないというだけでなく、なによりもまずイエス様の権威についての無理解をさしています。弟子たちは「彼らの只中にいるのがどなたであるか」について告白する用意がいまだにできてはいなかったのです。
[1] 「パン種」については、マタイによる福音書13章33節も参照してください。

2009年1月26日月曜日

マルコによる福音書について 8章1~10節

「あなたはキリストです!」

マルコによる福音書8章1節~9章1節


マルコによる福音書が全体として明確に二部に区分されることについては、すでに序で触れました。今回取り扱う8章において、福音書は第一部から第二部へと移ります。この章ではペテロがまずイエス様をキリストと告白します。そしてその後で主は、これから十字架と苦しみの道へと出発することを告げられます。これはマルコによる福音書の中で最も大切な箇所のひとつです。


群集に食べ物を与える二度目の奇跡 8章1~10節

マルコによる福音書6章は5千人の男に食べ物を与える奇跡について語っています。8章でも福音書は、前回とほぼ同様の奇跡について語っています。つまり旧約聖書が記している「食べ物を与える奇跡」がイエス様の活動の中で再度繰り返されたのでした。この出来事のすぐ後には3つの出来事が続き、それから福音書は第一部から第二部に移動します。この奇跡が福音書でこの位置にあることは、この奇跡にある種の意味をもたせています。すなわち、イエス様は大いなる奇跡を行われたにもかかわらず、神の民の指導者たちはイエス様を認めず、イエス様の弟子たちもイエス様のことを理解しなかった、ということです。

2009年1月21日水曜日

マルコによる福音書 第7回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

信じる者には、すべてが可能です。(マルコによる福音書9章23節)

信仰によって私は、私のものではない「宝物」を自分のものとします。いいかえれば、私はその宝物が見えないし、ふつうに考えれば所有もしていません。しかしながら、信仰には、みることもしることもできないような、信仰ならではの利益があります。信仰は宝物を、あたかもそれが手の中にあるかのように用いることができます。信仰のもつ唯一の慰めは、「神様は決してうそをつかない」という確信だけです。どんな状況であってもこの確信を与えるのは、信仰にほかなりません。

たとえば、死が目前にあらわれて、私が死ななければならないとき、この世から離れていかなければならないとき、これからどこに私は足を踏み入れようとしているのかわからないとき、不信仰はおびえきって、「どこに私は落ちていくのか、目的地について誰か何かをしっているのか」という疑いにとらわれます。このように、不信仰はいつでも「みてしりたい」ものなので、もしもそれができないとなると、絶望してしまいます。ところが、信仰はこう考えます。「どこにいくのか私はしらない。この世から私は離れていくほかない。何もみえないし、何もしらないけれど、「あなたのあらゆる心配事を主の上に投げ出しなさい」(ペテロの第1の手紙5章7節)と言ってくださったお方に自分をゆだねようと思う。こう信頼しつつ、この世から私は離れていく。「神様はうそをおつきにはならない」と、私はしっているからだ。」

このように、信仰には命があります。信仰にある命はみえないし、それとは正反対のものにみえてしまうことさえあるにもかかわらず、そうなのです。このことについて、どこから確証を得るのでしょうか。それは次の主の御言葉からです。「彼らを私の手から奪い去る者はいません。」(ヨハネによる福音書10章28節)

マルティン・ルター (「神様の子供たちにあたえるマナ」)

2009年1月19日月曜日

マルコによる福音書について 第7回目の質問

第7回目の集まりのために

マルコによる福音書7章

イエス様は律法学者たちの抱いている「聖なる生活への憧れ」を打ち砕かれます。そして、さらに新しい奇跡が起こります。

1)ファリサイ人たちや律法学者たちの宗教的な特徴はどのようなものでしたか。彼らのことを私たちは不適切なほど厳しく批判することに慣れてしまっているのではないでしょうか。彼らと私たちクリスチャンとの考え方は、どの点で相違し、またどの点で共通しているでしょうか。

2)7章1~13節で問題になっているのは、どのような「洗い」についてですか。

3)ファリサイ人たちと律法学者たちとは神様の御言葉を非常に厳格に実行しようとして、律法に基づき詳細な生活規定を設け、「こう行うのは神様の御心に従うことだ」と考えていました。しかしイエス様は、こうしたことはすべて偽善に過ぎないことをあきらかになさいました。

私たちが神様の御言葉に厳密に従おうとするときに、逆にそれによって御言葉の真の意味を理解できなくなってしまうような場合がありますか。そのような場合には、どのような「薬」がよく効くでしょうか。

4)7章14~23節で、イエス様は「食べ物はすべて清い」と宣言されました。これと同じ教えは、たとえばローマの信徒への手紙14章14~15節や、テモテへの第1の手紙4章4~5節に記されています。こういうわけで、モーセの律法が定めている、たとえば「豚の肉を食べない」などという食べ物に関する限定事項は、クリスチャンには関係がありません。そうした規定はユダヤ人たちに対してのみ与えられています。

あなたは、この点で今述べたこととは違う考え方をする宗教的なグループを知っていますか。また、使徒の働き14章14~15節に関わる規定に関してはどうでしょうか。

5)ユダヤ人たちは異邦人たちに対してどのような態度で接していましたか。イエス様はいつ異邦人たちにお会いになりましたか。

6)フェニキア生れの女は神様から何もいただけなかったにもかかわらず、主の御許を立ち去ろうとはしませんでした。彼女はイエス様にすがりつづけ、ついには望んでいたものをいただきました。

この女の粘り強い信仰は私たちに何を教えているでしょうか。あなたは何かのために何年間も神様へと叫びつづけてきたことがあるでしょうか。

2009年1月14日水曜日

マルコによる福音書について 7章31~37節

耳が聞こえない人の聴力の回復 7章31~37節

イエス様はツロの地方を後にし、かなりの遠距離を踏破なさってデカポリスの地方に来られ、そこを通してゲネサレ湖に戻られました。そこでイエス様は話すことも聴くこともできない人に出会われました。マルコによる福音書は、どのようにしてイエス様がその人を癒されたか、詳細に記述しています。ここでもイエス様は癒された人に対して、「このことについて誰にも話してはいけない」という禁止命令を出されましたが、今回もまた、イエス様が禁じれば禁じるほど、逆に、癒しの奇跡についてのうわさはますます広まっていく結果となりました。神様の大いなる約束が成就するのを目の当たりにした人々が、それについて話さずにおくことがどうしてできたでしょうか。(イザヤ書35章を読んでください)

2009年1月12日月曜日

マルコによる福音書について 7章24~30節

奇跡を生む信仰 7章24~30節

この箇所はフェニキア生まれの(つまりユダヤ人ではない)女の信仰について語っていますが、この出来事を調べる前に、しばしば忘れられていることがらをここで思い起こす必要があります。それは、「神様は御自分の律法をユダヤ人たちに対してのみお与えになったこと」と、「ユダヤ人たちのみが神の民を構成していたということ」です。ユダヤ人たちは「異邦人」たち[1]とは付き合わず、彼らと一緒に食べることも、彼らと婚姻関係をもつこともしませんでした。ユダヤ人たちはまた、異邦人たちが崇拝しているのと同じ神々を崇拝するようなことはせず、全般的に見れば、異邦人たちと関わりをもとうとはしませんでした。特に宗教に関しては、異邦人たちは神様が「御自分の民」(ユダヤ人)にお与えになったあらゆること(特権)からまったく締め出されていました。ユダヤ人だったイエス様もこの地上で生きておられた間は、死刑の判決を受けられた席以外の場では、ほとんどまったく異邦人たちとはお会いにはなりませんでした。このように、この箇所の出来事に登場するフェニキアの女がユダヤ人たちから見てどのような立場にあったかは、当時の人々にはいわずと知れたことでしたが、現代の私たちはそれを意識して思い起こす必要があるのです。この哀れな女はイエス様に対して助けを求めて叫びますが、イエス様はそ知らぬふりをなさいました。これはまさしくユダヤ人たちのやり方でした。イエス様がこの女の助けを求める叫びに対してたとえによってお答えになる、というのもユダヤ人に典型的なやり方です。「ユダヤ人たちは神様の子どもたちだが、他の民族は犬に過ぎないのだから、子どもたちにあげるためにとってあるパンを犬に与えるのはよくない」というのがそのたとえです。自分の娘が悪霊によってひどく苦しめられているという緊急事態の中で、フェニキアの女はイエス様の御言葉に傷ついたり、尊大になってイエス様の御許から立ち去ったりもしませんでした。女は、テーブルから落ちてくる子どもたちの食べ残しを待ち構えている「子犬」の立場に自分をおくのをいとわないことをイエス様に話しました。そして、この彼女の信仰がイエス様の態度を変えました。主は彼女に助けを与えて立ち去らせなさいました。現代の読者たちはこうしたイエス様の振る舞いに面食らいます。このイエス様の態度の背景にはイエス様の使命があったのです。その使命とは、イエス様は神様の御心を成就するために御自分の民(ユダヤ民族)の只中へと来られたということでした。「まず子どもたちに十分食べさせなさい」とイエス様は言われています。この段階では「異邦人たちの時代」はまだ来てはおらず、異邦人たちの出番は神様の御計画の中では後になってからだったのです。フェニキアの女はあきらめずに、粘り強くイエス様に懇願しました。こうして彼女はあらゆる時代のあらゆるクリスチャンにとって、「粘り強い信仰の模範」となってきました。それと同時にフェニキアの女は、「神様はすべての民族をキリストにおいて招いておられる」ということを、多くの異邦人を含んでいたと思われるマルコによる福音書の読者たちに対しても示したのでした。
[1] ユダヤ人以外の民族のこと。

2009年1月9日金曜日

マルコによる福音書について 7章14~23節

民に向けられた率直な宣教 7章14~23節

イエス様は、ファリサイ人たちや律法学者たちの教えをたんに個人的に批判するだけでは満足なさいませんでした。イエス様は民を呼び集められました。そして彼らに、「律法遵守に関する質問への答えをイエス様から厳しく要求した者たちに対して、イエス様がどのようにお答えになったか」について率直に宣教なさいました。人間にとって危険なのは、外部から人に入ってくるものではなく、人の内部から出てくるものなのです。イエス様はこの御言葉を次のように単純に説明されました。「人が食べるものはまずお腹の中に入り、それから外に排泄されるので、食べ物は人にとって危険なものではありません。それとは逆に、人間をだめにするのは、悪い行いを生み出す悪い心です。」そして、イエス様は「悪い行い」について具体的な例をたくさん挙げておられます。[1] このように、イエス様はあらゆる食べ物を清いものとされました。

[1] 不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、そしり、高慢、愚痴。

2009年1月7日水曜日

マルコによる福音書について 7章1~13節

人間の規則をとるか、それとも神様の御言葉をとるか

マルコによる福音書7章


反対、そして食い違う意見 7章1~13節

6章の終わりに私たちは、イエス様の周りで人々の動きが絶えず拡大していくのを見ました。この段階ではまだイエス様がガリラヤで活動されていたことは、ともすると忘れられがちです。ガリラヤからユダヤの地方やエルサレムまではかなりの距離がありました。しかし、イエス様の周りの人々の動きがさかんになるにつれて、エルサレムの学者たちがこの運動についてなんらかの立場を表明するようになるのは時間の問題でした。律法学者たちやファリサイ人たちがイエス様の御許にやってきたのは、不思議ではありません。彼らがイエス様につき従っている人々の生活習慣について注意を喚起したのも、納得がいきます。律法学者たちの生活態度はモーセの律法に基づいており、さらには、律法に関連した伝統的な教えが定めている諸規則を遵守するものでもあったからです。彼らとイエス様との間の意見の食い違いが表面化したのは、「食事の前には手を洗うこと」と「市場から帰ったときに身を清めること」というファリサイ人たちの慣習についてでした。ここで問題になっているのは、現代的な意味での「洗い」ではなく、宗教的な意味づけをもった「清め」です。モーセの律法が定めてはいないこの「しきたり」に対して、ファリサイ人たちはレビ記20章7節[1]にその根拠を求めました。イエス様の弟子たちがこの慣習に従わなかったため、ファリサイ人たちや律法学者たちはその理由をイエス様に尋ねました。イエス様はどうして弟子たちがそうするか説明したり、細かい点について議論したりはなさいませんでした。イエス様はファリサイ人たちが抱いている「聖なる生活への憧れ」をここでいっぺんに打ち砕かれたのです。
人を神様の御許近くへと導かないようなしきたりはすべて、形骸化した「聖なる習慣」にすぎないのです。厳密な律法遵守を目的としていた律法学者たちは神様の御言葉を守るどころか、それとは逆に、御言葉を人々からも自分自身からも遠ざけてしまいました。イエス様はまた、どのようにして人間の言い伝えが神様の御言葉を無視する結果を招くか、具体的な例を挙げておられます。聖書以外の文献からも知られているように、両親の財産を相続した息子がその財産を神殿に献納するというケースが当時本当にありました。その場合、その奉納者本人のみが生涯にわたってその財産から生活費を享受できるという仕組みになっていました。また彼は(おそらく自分とは険悪な関係にある)両親の世話をする義務からも解放されました。おそらく律法のこうした解釈の背景には、「神殿に犠牲の捧げ物をすることは第一戒(「あなたには他の神があってはならない」)に基づいており、それゆえ第四戒(「父と母を敬え」)よりも優先して実行されるべきだ」という考えがあったのでしょう。しかし、イエス様はこのような論理をお認めにはなりません。具体的な神様の御言葉は聖なるものであり、人間による解釈がそれをわきに斥けてしまってはいけないのです。イエス様がここで言われていることを読むときに私たちが踏まえておくべきなのは、ファリサイ人や律法学者の教えを批判していた教師は当時イエス様だけではなかった、ということです。死海のほとりに住んでいたエッセネ派の人々はファリサイ人や律法学者の教えをイエス様よりも厳しく批判していました。また、神殿の祭司階級の間で堅固な支持を得ていたサドカイ派の人々は、多くの点でファリサイ派の人々とはまったく反対の立場をとっていました。このように、当時のユダヤ教は「ひとつの石から切り出された彫像」のようなものではなかったのです。それは多様な、局所的には互いに激しい争いを繰り広げている宗教運動を一括した名称であり、ある種の基本的な諸問題に加えて、民族的な紐帯によっても結び合わされているものだったのです。

[1] 「あなたがたは自分を聖別して、聖なる者とならなければなりません。私はあなたがたの神、主です。」