2018年3月23日金曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック オネシモの事件 8〜22節(その1)

オネシモの事件 8〜22節(その1)

パウロは「キリストの使徒」です。
ですから、彼は
主から受けた「使徒の権能」をもって命令を下し、
自分の思惑通りにフィレモンが行うように強いることもできたはずです。
ところが、彼はそのようにはしませんでした。
それどころか、彼は
「使徒としての願いを叶えてくれるように」
と自分の友人に謙虚な態度で懇願しています。
このように、パウロは
フィレモンに一方的に命令する横柄な態度をとりません。
使徒パウロとフィレモンの間の関係は
強制に基づくべきものではなく、
キリスト信仰者としての愛に基づくべきものだからである、
とパウロ説明します。

「むしろ、愛のゆえにお願いする。
すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが」
(「フィレモンへの手紙」9節、口語訳)


このように、パウロは自分のことを
「偉大な宗教的指導者」としてではなく、
むしろ「白髪の混じった囚人」として提示しています。
この手紙の書かれた「ある目的」を達成するためにも、
年老いた使徒からの懇願のほうが、
上からの絶対的な命令口調よりもはるかに適切な態度であったのは
まちがいありません。

2018年3月19日月曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック 感謝の祈り 4〜7節(その2)

感謝の祈り 4〜7節(その2)

この節においてパウロは
友人に対していたって私的な語りかけをしています。
フィレモンは信仰の兄弟姉妹に対して数々の素晴らしいことを行いました。
たくさんのキリスト信仰者が
フィレモンのもとで慰めと新たな力とを得たのです。
この「よき知らせ」を伝え聞いた使徒パウロは大いに喜びました。
フィレモンが行った善い行いの具体的な内容については、
よくわかっていません。

それとは対照的に、
フィレモン本人はもちろんのこと、
彼の家に集合していた教会の信仰者たちもまた、
パウロがここで具体的にどのようなことがらを指して話しているのか
について知っていたのは確実です。

フィレモンがほかのキリスト信仰者たちに示した、
キリスト信仰者としての愛の行いについて、
パウロは礼儀正しい態度で委曲を尽しつつ書き記しています。
このような使徒の書き方は大げさすぎるのではないか、
と批判するのは適切ではないでしょう。
フィレモンがパウロの書いたとおりのことを行ったのは
確かであると思われるからです。

またこの箇所では、
パウロが「ある特定の意図」を念頭に置いて
この手紙を巧みに書き進めている点にも注目するべきでしょう。
フィレモンの示してきた「兄弟愛」について言及することで、
使徒パウロは以下に述べる「ある頼み事」を
フィレモンにとって承諾しやすいものとするための用意を整えている、
という言いかたもできるでしょう。

2018年3月14日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック 感謝の祈り 4〜7節(その1)

感謝の祈り 4〜7節(その1)

「はじめの挨拶」の次には「感謝の祈り」が続きます。
フィレモンを通してなされたすべての善い行いについて、
パウロは神様に感謝を捧げています。
フィレモンの愛と信仰は模範的と言えるものでした。
しかし、このことについて真っ先に感謝を受けるべきなのは、
フィレモンではなく神様です。
なぜなら、神様こそが
フィレモンにイエス様への信仰を授けてくださったからです。
信仰に加えて、主なる神様はフィレモンに愛をも与えてくださいました。
「フィレモン、あなたはイエス様を愛しています」、とパウロは断言します。
それがわかるのは、イエス様への愛が
フィレモンの生き方に正しいありかたで反映されているからです。
すなわち、フィレモンは
ほかのキリスト信仰者たちに対してキリスト信仰者としての愛を示したのです。
パウロとフィレモンの間には一致した信仰があり、
彼らの信仰告白は同一のものです。

「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、
わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、
知られて来るようになってほしい。」
(「フィレモンへの手紙」6節、口語訳)


この6節の終わりの部分はそれほどわかりやすいものではありません。
イエス様が私たち人間のために行ってくださった御業の意味を
フィレモンがよりいっそう深く理解していくように、
とパウロはここで祈っているのではないでしょうか。

イエス様がどれほど深くフィレモンのことを愛してくださっているのか、
よりいっそうわかるようになればなるほど、
フィレモンは隣り人たちのことをも
より深く愛することができるようになるはずです。

2018年3月7日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック はじめの挨拶 1〜3節(その2)

はじめの挨拶 1〜3節(その2)


差出人パウロと受取人フィレモンの間柄は良好であったことが
手紙からうかがえます。
自分が「使徒」という地位と権能を有していることを、
パウロはフィレモンに対してことさらに強調する必要はありませんでした。
彼に対してフィレモンが以前から従順だったことをパウロは覚えているからです。
この手紙の実際の受取人として想定されているのはフィレモンという人物です。
彼については詳しいことはわかっていません。
それでも、彼が比較的裕福なキリスト信仰者であったことは容易に想像できます。
彼は奴隷を所有しており、
キリスト信仰者の集会場所として使用できる大きな家屋をもっていたからです。
パウロはフィレモンを
「同労者」(ギリシア語で「シュネルゴス」)と呼んでいます。
フィレモンが教会において特別な任務に従事していたことが、
この表現からわかります。

この手紙では、フィレモンのほかにも二人の人物の名が挙がっています。
彼らのうちで、
アピヤはフィレモンの妻、
アルキポは彼の息子のことを指していると思われます。
新約聖書に収められているパウロの「コロサイの信徒への手紙」には、
「アルキポに、「主にあって受けた務をよく果すように」と伝えてほしい」
(4章17節、口語訳)という一節があります。
教会の職務を委ねられているこの人物は
「フィレモンへの手紙」に登場するアルキポと
おそらく同一人物であると思われます。
パウロはアルキポが彼とテモテにとって「戦友」
(ギリシア語で「シュストラティオーテース」)であると言っています。
この表現もまた、アルキポが教会において特別な職務を委ねられた人物
であったことをうかがわせます。

手紙の受取人には、今まで名前がでてきた三人のほかに、
フィレモンの家庭集会のキリスト信仰者の群れ(教会)も含まれています。
このことからわかるように、
「フィレモンへの手紙」はたんなる私信ではなく、
フィレモンの家に集う信仰者全員に読まれることをあらかじめ想定した
公開書簡だったのです。

フィレモンは自宅を教会の集会所として開放しました。
はじめの数百年の間、各地に点在していたキリスト教会では、
教会員の誰かの家に集まって礼拝するのが一般的でした。
壮麗な教会建造物が出現するようになるのは、
おびただしいキリスト教徒殉教者を生んだ幾多のすさまじい迫害が終焉した後、
ようやく300年代になってからのことです。

「フィレモンへの手紙」のはじめの挨拶を閉じるにあたり、
パウロは恵みと平和とを手紙の受取人全員(「あなたがた」)に願っています。
父なる神様と子なるイエス様こそが、
この恵みと平和の終わりなき源泉になっています。