2009年10月7日水曜日

マルコによる福音書について 第14回目の質問

第14回目の集まりのために

マルコによる福音書14章

イエス様は聖餐式を設定なさり、ゲッセマネで祈られ、そして捕虜となられました。

1)なぜユダヤ人の指導者たちはイエス様に対して公に接触しようとはしなかったのでしょうか。

2)14章3~9節は、壺に入っていた高価な香油をイエス様に塗るというささげものをした女の人について語っています。損得勘定をしたりせずにすべてをささげる彼女の愛を、イエス様は感謝なさいました。私たちはこの女の模範にどの程度したがってきたのでしょうか。どうすればこの模範を実行できるようになるのでしょうか。昔の世代の人たちが建てた壮大な石造りの教会は、その建築と維持のために信じがたいほどの労力と費用を要しました。現代では、「飢えに苦しんでいる人たちをほうっておいて教会を不必要なまでに飾り立ててはならない」という社会からの厳しい要求があります。何が正しく、何が間違っているのでしょうか。

3)イエス様の受難の歴史の中に登場する人物の中で、イスカリオテのユダほど私たちの心をとらえる悲劇的な者はいないでしょう。ユダはどのような目的のために必要とされたのでしょうか。なぜ神様はユダの裏切りを妨げにならなかったのでしょうか。なぜユダは悔いたのでしょうか。ユダについて思いをめぐらすとき、あなたがいだくのは怒りでしょうか、軽蔑でしょうか、それとも同情でしょうか。

4)マルコによる福音書によると、イエス様が捕まえられたとき、ユダヤ人たちはすでに過ぎ越しの食事を済ませていました。ところが、ヨハネによる福音書によると、そのときにはまだ過ぎ越しの食事は済んではいませんでした。このような問題は私たちの信仰にとりどのような意味を持っているでしょうか。

5)出エジプト記12章と24章8節と、それからエレミヤ書31章31~34節を読んでください。イエス様の最後の晩餐の中で、ユダヤ人たちの過ぎ越しの食事を思い起こさせることは何でしょうか。また新しいことは何でしょうか。主の聖餐式の核心にあるメッセージは何でしょうか。

6)ペテロはゲッセマネに出かける前までは勇敢な男でした(14章26~31節)。ところが、後には自分の口にした勇敢な言葉を守ることができませんでした。こうしたペテロの振る舞いは私たちにどのようなことを教えてくれますか。

7)イエス様の祈りの戦いは心を揺さぶられる出来事であり、数え切れないほどの画家や讃美歌作者たちがこの題材に触発されて作品を生み出してきました。この戦いはどのようなことをあなたがたの心に訴えかけてくるでしょうか。

8)どのような犯罪についてユダヤ人の大議会はイエス様に対して審判を下しましたか。