2009年10月12日月曜日

マルコによる福音書について 15章6~15節

民のご機嫌をとるために 15章6~15節

ローマの支配組織とユダヤ人たちの間の関係は非常に興味深い研究対象です。双方は、一歩も譲らない頑固さと自発的になされるわずかな妥協によってようやく保たれる折衝関係にありました。そして、こうした関係から生まれたネットワークによって双方が互いに相手を支配しようとしていました。ユダヤ人の過ぎ越しのお祝いの時期に牢獄の囚人の誰かを釈放する習慣は、ローマ側からのささやかな好意のあらわれであり、それによってピラトは自分の立場を人為的に強化しようとしました。ユダヤ人を軽蔑しきっているピラトはユダヤ人の指導者たちに教えをたれようとしました。「ユダヤ人の指導者層が死刑にしたがっている例の男を、ユダヤの民が釈放するように要求するなら、なんとも滑稽ではないか」という考えが背景にあったのかもしれません。しかし民は、捕らえられたその教師には見向きもしませんでした。暴力的な反乱分子バラバの方が民の気に入ったようです。民は自分たちの王様に対しては何の興味もありませんでした。「イエスを十字架につけよ!バラバを釈放せよ!」という声が飛び交います。こうして、大祭司たちの陰謀術数はピラトに最後の選択を迫るところまでいきました。イエス様の「犯罪」についてはもはや尋問されることもないまま、イエス様は死刑を言い渡され、鞭打たれ、十字架につけられることになりました。十字架刑は、ローマ人たちの知っていた処刑法のうちで最悪の恥辱と苦痛をともなうやり方でした。彼らはこの拷問刑をペルシア人たちから学んだのでした。この処刑法において現代の人々の理解がとうてい及ばない一番重要な点は、「受刑者をはずかしめること」でした。十字架には、すでに死んだ人間たちも打ち付けられて、皆のさらしものとしておとしめられました。人間が生きたままで十字架につけられる場合には、流れ出る血の量が最小限に抑えられるようにしました。こうして、あわれな受刑者は何日間も生きながらえることさえあり、ローマの軍隊の残忍さを十分に満足させるようなかたちで、のどの渇きか、傷による発熱か、あるいは呼吸が詰まって死に至るのでした。息の根を止めるのに、受刑者のかかととひざの間の足の骨を折るという方法が用いられました。この死刑はあまりにも酷いものだったので、十字架刑の前の鞭打ちは死に方を「人間的なもの」にするようにさえ思えてきます。鞭打ちによって血がたくさん流され、受刑者はより早く死ぬことができるからです。ローマ人たちは本国では主として凶悪な犯罪をおかした奴隷を他の者の見せしめとするために十字架刑に処しました。属州ではこの最悪の処刑法は、道端に出没する強盗やローマ帝国の反乱者に対して適用されました。その目的は、重罪をおかした者たちのおぞましい結末を見た者皆に恐怖の念を植え付けることにありました。主の民とこの世の最高権力とが、今、神様の御子をこの道へと送り出そうとしています。