2009年10月27日火曜日

マルコによる福音書について 15章42~47節

墓での安息 15章42~47節

金曜日も夕方になり、イエス様は死んで十字架の上におられました。モーセの律法は、神様の与えてくださった聖なる土地を汚さないようにするために、「木にかけられた者の死骸はかけられたのと同じ日のうちに埋葬されなければならない」と定めています(申命記21章22~23節)。ちょうど大きなお祝いの時期に聖なる土地を汚すのは、とりわけ人々の心を傷つける行為でした。それゆえ、大議会の議員でありながらイエス様の友人でもあったアリマタヤのヨセフは、意を決してピラトのもとへおもむき、イエス様を埋葬する許可を求めたのです。はじめピラトは「もうイエスが死んだのか」といぶかりました。イエス様の早すぎる死は、十字架刑の前にひどく鞭打たれて多くの血をすでに失っていたためであるのはまちがいありません。十字架から降ろされたときに、イエス様が息を吹き返す見込みはまったくありませんでした。墓に埋葬されたのは、人の目から見ると立派でも美しくもない死に方をしたひとりの男にすぎませんでした。その人は弟子たちや人々に見捨てられ、神様にのろわれた存在でした。こうして、イエス様のはじめた運動は決定的に瓦解したように見えました。しかし、この段階では詩篇22篇の初めの部分の御言葉が成就しただけであることを、私たちは知っています。