2018年8月27日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その2)

1章3〜12節 喜びと苦しみと(その2)

神様の御業に対する喜び、および、それに基づく慰め、
という二つの要素が
この手紙の始めから終わりまでの基本的なテーマになっています。
神様の御国に属する者たちは、
この世においては
容易ならざる苦しみを甘受するほかない状態に置かれています。
しかし、これらの苦しみはわずか短い間だけ続くものです。
それは金細工職人が金属を取り扱う様子に比較できます。
金属は高熱の炉の中ですっかり溶解します。
精錬され形を整えられて、最終的には美しく素敵な玉飾りになるのです。
これと同じように
「信仰」という金が安物の金属の場合よりも
さらに過酷な条件の下で精錬されたとしても、
キリスト信仰者は驚いたり怪しんだりするべきではありません。
精錬によって作り上げられる最終的な形態、
すなわち神様の御許における「永遠の命」は、
どのような玉飾りよりもはるかに高価な宝物だからです。

この箇所ではまず、
旧約聖書と新約聖書が一体になっていることを私たちは確認します。
現代において、旧約聖書は
内容的に軽視されたり違和感を持たれたりすることが多い書物です。
しかし、旧約聖書に対するこのような現代人の態度は
キリスト教会には本来まったくそぐわない考え方です。
なぜなら、
新約聖書は旧約聖書なしには存在し得ない書物だからです。
旧約の預言者たちとキリストとは、
ひとまとめにして理解されるべきなのです。

2018年8月22日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その1)

 1章3〜12節 喜びと苦しみと(その1)

新約聖書のパウロの多くの手紙では、
はじめの挨拶の後に神様への感謝が続いています。
「ペテロの第一の手紙」もまったく同じようにしてはじまります。

この手紙の受け取り手たちは困難な状況の只中に置かれています。
しかし、手紙はそのことについてではなく、
神様とその偉大さについてまず語り始めます。
すべての出来事の始点には大いなる神様の働きかけがあるからです。
その大いなる御計画について、
神様はかつて旧約の預言者たちに啓示なさいました。
その御計画を預言者たちが神様の民に伝えていったのです。
今や、イエス様を通して永遠の救いの御業は成し遂げられ、
御計画はすっかり用意が整えられました。
これは死の只中における「新しい命」のことを指しています。
神様は十字架で死んだ御子イエス・キリストを
死者たちの中から復活させてくださいました。
またそれを通して、
イエス・キリストを救い主として信じるこの手紙の受け取り手たちにも
「新しい命」を授けてくださったのです。
あらゆる危害から守られて清く理想的な状態に保たれている
「天の御国」という遺産を受け継ぐために、
キリスト信仰者たちは今もなお「真の故郷への旅」を続けているのです。

2018年8月8日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 1章1〜2節 手紙の差出人と受け取り手

「ペテロの第一の手紙」第1章

1章1〜2節 手紙の差出人と受け取り手

古典古代における慣習に則って、
書き手の名前がこの手紙の冒頭に記されています。
書き手の名は使徒ペテロです。
すでに冒頭の数節において、
この手紙全体に通底するテーマが登場しています。
すなわち、
苦しみを受けている寄留者であり
神様の選ばれた民でもある人々に向けて
この手紙は書かれた、ということです。

「寄留者」としての生き方は信仰の教えに基づくものであり、
手紙の受け取り手たちの日々の生活と深い関わりがありました。
手紙の受け取り手たちは小アジアに偏在していました。
彼らはユダヤ人であるかどうかには関わりなく、
今や少数派として生きることを余儀なくされていました。
彼らの置かれた状態は旧約の民のそれと似ていました。
主の民は荒野を横断して約束の地への帰還の旅を続けました。
そして、そこに到着するまでは、
他所の土地に慣れ親しんでしまうことは許されないことでした。
この生き方は、当時も今もキリスト信仰者にとっての模範となるものです。

その一方で、手紙の受け取り手たちは、
たんに苦境に立たされている寄留者だっただけではなく、
全能なる神様が選び分かち愛してくださる民でもありました。
神様がこの世のはじまる前に用意なさった救いの計画を自ら実現され、
彼らをイエス様の血によって聖別なさったのです。
「イエス・キリストの血の注ぎを受けるために」(1章2節)という表現は、
この手紙においてこれから展開されていくことになる
最も重要なテーマを予告しています。
すなわち、私たちはキリストの血によって清められている、ということです。