2008年10月30日木曜日

マルコによる福音書について 第3回目の質問

第3回目の集まりのために

マルコによる福音書3章7~35節

イエス様は12人の使徒を召されました。またイエス様の評判がまわりに広がっていきました。それと共に、イエス様に反対する人たちも増えてきました。

1)人々は様々な方角からイエス様の御許に集まって来ました。それを地図で確かめてみてください。すでにこの段階でユダヤやエルサレムからも来ていた人たちがいた、というのは、この福音書の続きの部分と何か意味深いつながりがあるでしょうか?

2)なぜイエス様は使徒をちょうど12人だけ選ばれたのでしょうか?

3)「新しい12使徒がこの地上に存在しており、人々に誤謬なく教えている」と信じるグループがあります。あなたがたはこれについてどう思いますか?

4)イエス様の身内の者たちはイエス様を信じませんでした(3章21、31、35節)。なぜマルコによる福音書はこのことを包み隠さずにはっきりと述べているのでしょうか?

5)新約聖書が「主の兄弟」ヤコブについて何を語っているか、調べてください。ヤコブはマルコによる福音書6章3節で「イエス様の弟」として言及されています。おそらく彼もまたイエス様を家に連れ戻そうとしたグループに入っていたことでしょう(マルコによる福音書3章20~21節)。彼は自分の不信仰をもあらわにしました(ヨハネによる福音書7章1~10節)。ところが、イエス様が復活され昇天された後の状況を描き出している聖書の「使徒の働き」では、ヤコブはペテロの後任としてエルサレムの原始教会の指導者になっています(使徒の働き12章17節、15章13節、21章18節)。パウロはヤコブのことを「柱」と呼ばれる、教会の中心的な人物たちの一人として挙げています(ガラテアの信徒への手紙1章19節、2章9節)。
ヤコブの回心については新約聖書には記述がありません。この問題に関連した唯一の説明は、コリントの信徒への第1の手紙15章7節です。この箇所からどのようなことがわかるでしょうか?

6)「聖霊様を侮蔑すること」は、霊的、信仰的なことがらにかかわるカウンセリングでの話し合いの中でしばしば取り扱われるテーマのひとつです。それは、せっかく神様が人に仕事(使命)を与えようと招いてくださっているのに、その人がそれを軽んじて拒絶することです。つまり簡単に言うと、「不信仰」です。この不信仰の結果、神様なる聖霊様はその人を招くのを止められます。
聖霊様が人の中で仕事を止めてはおられないことを、私たちはどこから知ることができますか?何が聖霊様の使命でしょうか?たとえば、ヨハネによる福音書15章26節、16章12~15節を参照してください。

7)イエス様は御自分の母親や弟たちや妹たちと話すために出てこられようとはなさいませんでした。そして、神様の御心を行っている人皆が、御自分の母であり、弟であり、妹である、と言われました。
この御言葉は、誰に対して苦々しいものでしたか?誰に対して明るく喜ばしい教えでしたか?また私たちに対して、それはどのような意味を持っているでしょうか?

2008年10月27日月曜日

マルコによる福音書について 3章22~35節

何の権威によって? 悪魔の親玉の権威によって? 3章22~30節

これまでにも私たちは何度もイエス様の権威についての質問に出会ってきました。エルサレムからやってきた律法学者たちはある答えをひねり出しました。「イエスは悪魔の親玉ベルゼブルの与えた権威によって活動している。」というものです。「もしも大物の悪魔が権威を与えたのなら、その力によって小物の悪魔が退いたとしても、何の不思議もあるまい。」というわけです。
イエス様はこのような「答え」が的外れであることを速やかにかつ徹底的に示されます。「悪魔は自分の仲間の働きを邪魔したりはしないものです。もしもサタンが自分の仲間を迫害しはじめたのだとしたら、本当に奇妙な状況になるしょう。そうではないのです。悪魔を追い出しているのはサタンなどではなく、サタンに反対する力なのです。それでは、この「力」は何でしょうか?少なくともそれはサタンよりも強い力です。頼りなく弱い何者かが、それよりも強い人をやっつけて何かを奪い去っていくような真似はできません。サタンの支配権は崩れつつあり、それはサタンよりも強いお方が働きはじめている証拠なのです。」

イエス様の権威についての問題は、次のように再び書き換えることができます。
「もしもイエス様に権威を与えた者がサタンではなく、サタンよりも強い存在だったとしたら、それはいったい誰なのでしょうか?」
イエス様は典型的なユダヤ人であり、御自分の質問にはお答えにはなりません。しかし、正しい答えはもちろんひとつだけです。
「イエス様の中では、御自分の権威によってサタンを追い払われる全能の神様が働かれているのです。」

間違った教えを与えたエルサレムから来た律法学者たちに対して、イエス様は非常に厳しい御言葉を向けられました。彼らは神様の御霊とその力を確かに感じていたにもかかわらず、戦略的な理由からイエス様を拒絶し、イエス様と共に働いておられる神様の御霊もを否定したのです。神様の働きを拒絶する者は、聖霊様を侮蔑しており、もはや罪を赦されることはありません。イエス様のここでの警告は、何か不注意な言葉遣いに対してではなく、「イエス様を拒絶すること」について向けられています。
聖霊様に対する罪とは「不信仰」にほかなりません。


イエス様の真の身内の者たち 3章31~35節

イエス様とその身内の者たちについての描写がつづきます。興味深いことに、イエス様の父親はでてきません。しかし、母親と弟たちや妹たちはイエス様に対してある種の義務感から、イエス様のおられた家の外で立ち、イエス様と共に話し合う機会を待っていました。イエス様の権威を認めていなかった彼らは、「イエス様は気が狂った」と思ったのです。イエス様は身内の者たちと話すために外に出てきたりはなさいませんでした。そのかわり、イエス様は周りにいる人たちに対してこう言われました。
「神様の御心を行う者たちは、神様の弟たちであり妹たちでありまた母たちなのです。」
この世で生きておられたときにイエス様は、親戚や家族による保護もなく、ひとりぼっちでした。誰からもイエス様は、御自分の使命をまっとうされるための支えを受けることはなかったのです。

2008年10月24日金曜日

マルコによる福音書について 3章7~21節

強まる反対

マルコによる福音書3章7~35節

前回では、イエス様の活動によって皆がいかにイエス様の権威の偉大さに驚嘆したか、述べました。一方では、イエス様の活動がどのように人々の反対と怒りを生むようになっていったかについても触れました。今回の箇所では、この反対と怒りが強まっていく過程を、私たちは目の当たりにすることになります。


広まっていくイエス様の評判 3章7~12節

イエス様はゲネサレ湖のほとりで仕事をつづけておられました。イエス様は福音を説教し、病人を癒し、悪霊を人々から追い出されました。イエス様は悪霊が御自分について証できないように口を封じられました。イエス様の評判は時と共に広がっていきました。そして、イエス様のはじめられた運動も拡大していきました。ガリラヤだけではなく他の地方からも人々はイエス様の御許に押し寄せてきました。遠く北やユダヤやエルサレムからも、イエス様の話を聞きに、あるいはイエス様に助けを求めに、人々が訪れました。イエス様の周りは人で混み合うようになったのです。


12人の使徒たち 2章13~19節

イエス様は12人の使徒たちと共に山に登りました。イエス様は彼らにまったく特別な使命を用意しておられたのです。イエス様にはこの使徒のグループに属していない弟子たちや親しい友人たちもたくさんいました。

主がちょうど12人の使徒を選んだのは偶然ではありません。彼らがイスラエルの12部族に対応するように選ばれたのは間違いないでしょう。彼らには神様の御国においてまったく独自の使命がありました。彼らはキリストの受難と復活の証人となったのです。キリストの教会は常に「使徒的な信仰」の中に留まっているところにのみ存在してきました。

イエス様に従った人たちをより詳しく調べてみると、いろいろ興味深いことがわかってきます。とくに驚くべきことは、イエス様は「政治的には互いにまったく異なった考え方をしている者たち」をひとつにまとめられた、ということでしょう。カナネ―ウス・シモンは疑いの余地なく「ゼーロータイ」(熱心党)に属する民族解放運動の闘士でした。一方で、同じ使徒のグループには(ローマの手先として働いていた)取税人も属していました。このように、イエス様の使徒たちの中には本来なら互いに最悪の敵同士であるはずの人々がひとつのグループとなり、先生の赴くところならどこにでも従って行ったのでした。


イエス様の不信仰な身内の者たち 3章20~21節

イエス様の周りに集まる人たちの群れはどんどん増えていくばかりでした。マルコによる福音書は予想外の出来事について手短に報告しています。イエス様の身内の者たちは、イエス様の権威を理解せず、イエス様を家に連れ戻すつもりでした。彼らはイエス様の頭がおかしくなったのだと思い込み、イエス様を群集の中から連れ出そうとしました。イエス様の身内の者たちの不信仰については、他の福音書にも記述があります(とりわけヨハネによる福音書7章1~10節)。とはいえ、後になってイエス様の身内の者たちも、イエス様の権威が神様がお与えになった「本物」であることを信じるようになったように見えます。今扱っている箇所でイエス様の身内の者たちがイエス様のことがわからなかったという「盲目さ」は、マルコによる福音書では「メシアの秘密」と呼ばれる大きな全体の流れの中で理解されるべきものなのでしょう。福音書は、意外で残念な出来事であってもそれを無視して素通りしたりはしません。そのようなこともまた「イエス様の主権がどれほど隠されたものであったか」を示しているからです。

2008年10月21日火曜日

マルコによる福音書 第2回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

私の中にとどまりなさい

「人はもしも私の中にいなければ、枝のように外に投げ捨てられて枯れてしまいます。それらはひとつにかき集められて、火に投げ込まれ、焼かれてしまいます。」(ヨハネによる福音書15章6節)と、イエス様は言われています。
私は、どうすればキリストの中にとどまって、「生の枝」でありつづけることができるのでしょうか。生きるために幹から流れ出る樹液を取り入れつづける限りは、枝は新鮮さを保ちます。枝は、木の助けを必要としつづける限り、緑の葉っぱと木の実をみのらせます。あなたは、キリストの血による罪の赦しを受けた「ちっぽけで惨めな罪人」でありつづける限り、「枝」でもありつづけるのです。キリストのからだと血とが貧しい罪人の唯一の(天国への)「旅のお弁当」です。あなたは、それらを自分に必要としつづける限りは、生きつづけることもできます。
「わたしのからだを食べ、私の血を飲む者は、私の中にとどまり、私もその人の中にとどまります。」(ヨハネによる福音書6章56節)と、イエス様は言われています。
まさしくこの「とるにたりない罪人の立場にとどまる」という点で、私たちは競い合わなければなりません。なぜなら、この「罪人の立場」にある者にとって、唯一の慰めは罪の赦しだけであり、魂を満たしてくれる唯一のことは十字架にかけられたキリストだけだからです。枝は、木の幹の樹液に依存している限りは、生のままでありつづけます。しかし、幹との関係が切れると、枝は刈り取られ、枯れて、燃やされてしまいます。

主イエス・キリスト様!私たちが「真のぶどうの木」なるあなたの中で「枝」としておいていただけていることを感謝します。あなたがすでに洗礼で私たちを御自分に結び付けてくださったことを感謝します。私たちがあなたの中にとどまることができるように助けてください。キリストよ、あなたこそが、私たちの心と魂が慕い求める唯一のお方であってくださいますように。あなたのからだと血とが、今日もまた私たちの唯一の「旅のお弁当」であり、私たちの飢えと渇きを癒してくださいますように。主よ、私たちを祝福してください!

K.V.タンミネン (「よい守りの中で」)

2008年10月15日水曜日

マルコによる福音書について 第2回目の質問

第2回目の集まりのために

マルコによる福音書2章1節~3章6節

奇跡と前代未聞の権威によるイエス様の活動

1)2章1~11節の箇所では、罪の赦しの宣言につづいて起きた奇跡について語られています。ここで奇跡は何についてのしるしなのでしょうか?

2)ダニエル書7章11~14節を読んでください。「人の子」とは誰ですか?そして、それはどういう意味でしょうか?

3)神様の永遠の御国についての話は、私たちにとってどのような意味を持っているでしょうか?どのようなことがらが、私たちに対してこの話を疎遠にしてしまうでしょうか?あるいは、大切な愛すべきものにするでしょうか?

4)この章で扱った箇所ではじめて、征服者(ローマ)に協力して働く「取税人」が登場します。私たちが知る限り、スパイ行為や虐待や暗殺といった血塗られた手段を利用しない独裁者はひとりもいませんでした。これは人間の本質について何を語っているでしょうか?

5)ファリサイ人とは誰でしょう?私たちは、どの点で彼らの二の舞にならないように気をつけるべきでしょうか?また、どの点で彼らから学ぶべきでしょうか?

6)「私は、罪のない人たちではなく、罪人たちをさがしにきました。」とイエス様は言われています(2章17節)。このことについて私たちは十分に話し合ってきたでしょうか?

7)イエス様は、「私の弟子たちは、私が彼らと共にいないときに、断食します。」とはっきり言われています(2章20節)。ルター派の教会では、灰の水曜日[1]からイースターまで長い断食をし、アドヴェント[2]からクリスマスまで短い断食をします。こうして大きなお祝い(イースターとクリスマス)に備えるのです。 

8)あなたがたは「断食」についてどう思いますか?なぜ伝統的な教会の習慣である断食が現代では廃れてしまったのでしょうか?どのようにすれば、断食を再び意義深く実行できるでしょうか?

9)私たちクリスチャンの休日は安息日(土曜日)ではなく、イエス様が復活されたお祝いの日である日曜日です。それゆえ、礼拝は毎回イエス様の復活を祝う集まりなのです。私たちにとって日曜日はその本来の意味を帯びているでしょうか?日曜日に何をしてよく何をしてはいけないのでしょうか?どのようにすれば、日曜日の意味を大切にすることができるでしょうか?

[1] 灰の水曜日は、復活祭(イースター)の46日前で四旬節の初日にあたります。
[2] 教会暦を用いるルター派教会ではこの日から教会暦の一年が始まります。第一アドヴェント主日から3週間後の第四主日が、クリスマス直前の日曜日にあたります。

2008年10月13日月曜日

マルコによる福音書について 2章18節~3章6節

新しい信仰、新しい習慣 2章18~22節

ユダヤ人たちにとって「断食」は信仰生活の中心的な位置を占めていました。断食は、罪の告白、祈り、貧しい人の援助などとあいまってなされました。断食のやり方や習慣には、ユダヤ人のグループによってかなりのばらつきがありました。イエス様とその弟子たちは断食しませんでした。そして、このことは周りにいた一部の人たちの関心を集めました。

断食について質問を受けたイエス様の答えは次のようにまとめることができます。
「古い部分と新しい部分を集めてそれらを一緒に結び合わせることはできません。古い服を新しい布によって修繕はできないし、新しいぶどう酒を古い皮袋に注ぎいれることはできません。」
断食の問題を解く鍵は、「イエス様が共におられる」という点にあります。イエス様が「御自分のものたち」と共におられるときには、彼らはお祝いの席に連なっているのであり、お祝いの最中には断食などはしないものです。イエス様が共におられない場合には、状況がまったく異なります。


安息日を破るふたつの犯罪? 2章23節~3章6節

イエス様がこの世で生きておられた時代には、ユダヤ人たちのもっともよく知られている宗教的な特徴は、割礼[1]であり、安息日の遵守でした。安息日(土曜日)はモーセの律法によれば「休みの日」です。その日を仕事を行うことによって破ったり汚してはいけないのです。この規定をめぐって、「安息日に何をしてよく何をしてはいけないか」について多くの解釈が生まれました。前述したように、これらの解釈の背景には、神様の律法を破らないようにと、極度に細心の注意を払うという姿勢があります。今ここで扱っている福音書の箇所で、イエス様はふたつの主要な解釈に反して活動されたため、律法学者の怒りを買いました。

この箇所の前半で、イエス様の弟子たちは麦畑を通り過ぎるときに麦の穂をつんで手でもみ、実を食べて飢えをしのぎました。この行為は決して「盗み」ではなかったものの(申命記23章25節)、「仕事」として解釈される行いでした。先生は生徒たちの振る舞いについて責任を取るものです。それで、ファリサイ人たちはイエス様にくってかかりました。イエス様は旧約聖書の中にある例をもちだして(サムエル記上21章)、より普遍的な教えを与えられました。
「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではありません。休みの日はふつうの場合でも神様から人々への賜物なのであって、人を束縛する手かせ足かせなどではありません。さらに、人の子は安息日の主なのです。」
イエス様を犯罪者として責めはじめたとき、実は、律法学者たちは「越権行為」を犯してしまっていたのです。

この箇所の後半は、病人の癒しについて語っています。癒しも「仕事」としてみなされるべきものでした。それで、イエス様が何をするか、周囲は厳しく見つめていたのです。伝統的なユダヤ人のやり方に従って、イエス様はファリサイ人たちとヘロデ党の人々に対して、直接教える代わりに「質問」を提示なさいました。その質問は答えるにはあまりにも難しく、彼らは黙っていました。それから、イエス様は病人を癒されました。そして、それがどのような結果を招くか、まったく気にも留めませんでした。病人の癒しを通じて、ファリサイ人たちの怒りが次第につのりはじめました。この怒りが、最終的にイエス様を十字架につける結果を招きます。マルコによる福音書はイエス様の死をすでにここで予告しているのです。この福音書が「長大な序章を備えた(イエス様の)受難史」であるといわれるのは、このためでもあります。
[1] 割礼(かつれい)とは、男子の性器の包皮を切除することです。創世記17章9-14節には、アブラハムと神様との間の永遠の契約として、男子には生まれてから8日目に割礼を行うべきことが記されています。

2008年10月9日木曜日

マルコによる福音書について 2章13~17節

お金を捨てた取税人 2章13~17節

ライ病の人の他にも当時の社会組織から疎外されていたグループがありました。たとえば、当時のユダヤ国家を武力で鎮圧支配してきた者たちと密接な関係にあった人々のグループです。ユダヤ人たちから特に嫌われていたのは、「取税人」と呼ばれる、ユダヤ人たちが税金をローマに納める仲立ちをする職業に就いているユダヤ人たちでした。ローマ人たちには単純で厳しいシステムがありました。どの属州で誰が税金を徴収するかについて、ローマでは競札が行われ、競りに勝った者は国に約束の金額を支払い、自分の担当になった属州から私益を吸い上げたのです。属州の担当者は自分で方々の町や村に出かけていくような真似はもちろんせずに、直接税金を集める仲介者を大勢採用したのです。競りに勝った者は、これら仲介者たちに税金を徴収する権利を貸与しました。このシステムの流れの中で各人は本来の税金に加えて不当な私益をせしめることに余念がありませんでした。このシステムの末端に位置していたのが、町や村でこうした汚職を行っていたユダヤ人たち(取税人)でした。そして、彼らの不当な税金の取り立て方が問題になることはほとんどありませんでした。こうした理由から、取税人は他のユダヤ人たちから憎まれ嫌われていたのです。この取税人とはまったく異なるタイプのグループを形成していたのが「ファリサイ人」と呼ばれる人たちです。高度に組織化された、厳しい規律の枠組みの中に生活するこのグループの信仰生活の核心をなしていたのは、神様がモーセにお与えになった律法に厳格に従うことでした。ファリサイ派は祭司階級や教養人たちの間から生まれましたが、時が経つにつれてあらゆる階層のユダヤ人からも強い支持を受けるようになりました。このグループの目標は、全国民がモーセの律法に従うようになることでした。彼らはこの律法に詳細な注釈を施し、「神様の命令を柵によって守る」ことを、すなわち聖なる命令を少しでも破る危険を犯さないように用心することを、求めました。ファリサイ派は細部にわたる規則を定め、それらを知悉し、教授したのですが、それは、一方では「宗教的な傲慢」を、また他方では神様の御前での真の罪悪感を、彼らの中に生み出しました。クリスチャンの多くはファリサイ人に対して非常に否定的なイメージを抱いているため、聖書が彼らについて与えている全体像を考えてみようともしません。他のいくつかのグループとは異なり、ファリサイ人たちはイエス様を侮蔑して遠ざかったりはしませんでした。イエス様はファリサイ人の家の食事会に招待されてもいます(ルカによる福音書7章36~50節)。彼らはイエス様と話し合いました。もっともそれはニコデモのようにひそかになされたこともあったでしょう(ヨハネによる福音書3章)。そして、激しく議論が交わされました。イエス様の復活の後で、何千人ものファリサイ人たちが、「イエス様がキリストであった」ということに確信を持ったのは間違いありません(使徒の働き15章5節、21章20節)。確かにイエス様はファリサイ人たちの偽善的な面を厳しく批判して、「ファリサイ人たちの義は神様の御前では十分ではない」と言われましたが(マタイによる福音書5章20節)、私たちクリスチャンが神様の真理を聞き学んで行こうとする姿勢は、ファリサイ人たちの熱心さにも到底及ばないものでしょう。

イエス様はレビを他の弟子たちと同様に召されました。レビは座っていた商売机を置き去りにしてイエス様に従いました。新しい弟子レビは盛大な祝会を催して、自分の友人たちを招待しました。取税人たちが多く集まっているこの祝会には、ふだんは神様について何の関心も持たない人たちも参加しました。こうして奇妙な構図が生じました。イエス様はその夕べを地方のもっとも有名な罪人たちとともに過ごされたのです。こうしたイエス様の行動をにがにがしく感じたファリサイ人たちに対して、イエス様は短くお答えになりました。「医者が要るのは健康な者ではなく、病人です。」
イエス様がお召しになるのは、罪のない人ではなく、罪人なのです。

2008年10月1日水曜日

マルコによる福音書について 2章1~12節

これから第2回目の集まりのためのテキストがはじまります。


「あなたの罪は赦されます。」

マルコによる福音書2章1~3章6節

イエス様の権威の大きさ 2章1~12節

すでに1章で私たちはイエス様の権威についての問題に出会いました。イエス様はどうして病人を癒すことができたのでしょうか?イエス様はどのようにしてサタンの不遜をくじき、汚れた霊を追い払うことができたのでしょうか?2章のはじめはこの問題をさらにつきつめています。イエス様は再びカペルナウムで教えていました。イエス様のいた家の周りにはたくさんの人たちが集まっていました。家の中にはもはや場所がなく、入り口に近づくことさえかないません。窮地に立たされたある人たちは極端な手段に出ました。当時の家の建物の屋根はとてもこわれやすいものでした。それを利用して、イエス様の頭上で突然何かが起こりはじめました。屋根がはがされ、そこにできた穴からイエス様のいるところへと身体の麻痺した人がつり下ろされてきたのです。イエス様はすぐにその男の人に「罪の赦し」を宣言しました。その場にいた律法学者たちにとってこれは認めがたいことでした。「ひとり神様のみが罪を赦すことがおできになる。もしも人間が「罪の赦し」を宣言するならば、それは神様を侮辱する行為だ。」というわけです。イエス様は律法学者たちの心の中の批判を読み取り、それに対してひとつの質問を投げかけることで応答されました。イエス様は彼らが答えることを期待していたわけではありません。イエス様の言われたかったことは、「もちろんこの世の中には大言壮語がまかり通っている。しかし、それに付随する「大きなわざ」がなされることはほとんどない。」ということです。イエス様が身体の麻痺した人を立ち上がらせ健康にして自分の家に帰らせたときには、皆はさらに大きな驚嘆に包まれました。

このようにイエス様の権威は「秤にかけられた」のでした。「ただ神様のみが罪を赦すことがおできになる。ただ神様のみが身体の麻痺した人を癒すことがおできになる。もしもイエスが罪の赦しを宣言することで神様を侮辱したのなら、病人はどうして癒されたのだろう?神様は御自分を侮辱する者が大いなる奇跡を行うことをお許しにはならないはずではないか?しかし、もしもイエスが神様の権威によってその人の罪を赦したのであれば、この人はいったい誰なのだろうか?」

マルコによる福音書ではじめて「人の子」という言葉がここで登場します。新約聖書ではこの言葉はイエス様についてのみ用いられています。しかも、ほとんどの場合イエス様御自身がそれを口にされています。この言葉をイエス様以外の人が用いる例外は、ステファノ(使徒の働き7章56節)と、不思議そうに尋ねるユダヤ人たち(ヨハネによる福音書 12章34節)ぐらいしかありません。「人の子」の背景には、ダニエル書にある「天からやって来る大いなる支配者」についての言及が関係しています。そして、この「支配者」は、神様がお立てになった者として、すべての国民をたゆまずに支配しています(ダニエル書7章13~14節)。