2009年10月29日木曜日

マルコによる福音書について 第15回目の質問

第15回目の集まりのために

マルコによる福音書15章


イエス様は死刑の判決を受け、十字架につけられ、死なれ、埋葬されます。

1)ピラトの職歴はどのようなものですか。

2)なぜピラトは尋問中イエス様が黙っておられたのを不思議に思ったのでしょうか。マルコによる福音書は、イエス様は御自分を弁護しようとはなさらなかった、と語っていますが、それはどういう意味でしょうか。

3)なぜピラトはバラバという人物の名前を挙げたのでしょうか(15章6~15節)。ピラトの過ちから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

4)十字架刑とはどのような処刑法ですか。どのような人々が十字架につけられましたか。この処刑法を用いる目的は何でしょうか。

5)イザヤ書53章と「詩篇」22篇を読んでください。これらの箇所とマルコによる福音書との間にはどのような共通点があるでしょうか。

6)ローマの兵士は皆が聞いている中で「イエス様が神様の御子である」と、公然と告白しています。なぜこのような信仰告白が、マルコによる福音書のこの段階になってようやく公けになされたのでしょうか。

7)中世や宗教改革時代から伝わる賛美歌の多くは、「キリストの死は私たち(クリスチャン)の死ぬ瞬間における慰めである」というような表現をもっておわります。なぜ賛美歌作者たちはこのような歌を作ったのでしょうか。このことから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2009年10月27日火曜日

マルコによる福音書について 15章42~47節

墓での安息 15章42~47節

金曜日も夕方になり、イエス様は死んで十字架の上におられました。モーセの律法は、神様の与えてくださった聖なる土地を汚さないようにするために、「木にかけられた者の死骸はかけられたのと同じ日のうちに埋葬されなければならない」と定めています(申命記21章22~23節)。ちょうど大きなお祝いの時期に聖なる土地を汚すのは、とりわけ人々の心を傷つける行為でした。それゆえ、大議会の議員でありながらイエス様の友人でもあったアリマタヤのヨセフは、意を決してピラトのもとへおもむき、イエス様を埋葬する許可を求めたのです。はじめピラトは「もうイエスが死んだのか」といぶかりました。イエス様の早すぎる死は、十字架刑の前にひどく鞭打たれて多くの血をすでに失っていたためであるのはまちがいありません。十字架から降ろされたときに、イエス様が息を吹き返す見込みはまったくありませんでした。墓に埋葬されたのは、人の目から見ると立派でも美しくもない死に方をしたひとりの男にすぎませんでした。その人は弟子たちや人々に見捨てられ、神様にのろわれた存在でした。こうして、イエス様のはじめた運動は決定的に瓦解したように見えました。しかし、この段階では詩篇22篇の初めの部分の御言葉が成就しただけであることを、私たちは知っています。

2009年10月26日月曜日

マルコによる福音書について 15章33~41節

暗闇の瞬間と一瞬の輝き 15章33~39節

第6時ごろ、つまりお昼ごろから3時間にわたって、地上を暗闇が覆いました。ここに、おそらくイザヤ書の「私は黒い衣を天に着せ、悲嘆の荒布でそれを覆います」(イザヤ書50章3節)という予言との関係をみてとることができるでしょう。イエス様は十字架上で皆から見捨てられ、たったひとりで叫ばれましたが、それを聞いた者は間違って理解しました。イエス様はエリヤに助けを求めて叫ばれたのではなく、詩篇22篇を引用されたのです。詩篇の最初の数節を引用することは、その詩篇全体を引用することと同じでした。この詩篇22篇を読むことで、イエス様を侮辱する者たちの視線には映らなかった十字架上での出来事の本当の意味を理解することができるようになります。神様の義なる僕を、主は貶めて見捨てられ、神様をないがしろにする者たちの手に渡されたのです。しかし、苦痛を訴える僕は、窮地にあっても愚痴をこぼしたり信仰を失ったりはしません。彼は惨めな者の苦難を侮らず、助けを求める叫びを聞いてくださる神様に感謝します。苦しんでいる僕を神様が助けてくださるとき、主は全世界からの賛美を受けられます。イエス様は死にます。しかし、憤激する失敗者としてではありません。イエス様はたしかに私たちのせいで神様から見捨てられたのですが、死ぬときに神様をのろったりはなさいませんでした。御自分を死の瞬間にもお父様の御手にゆだねられ、神様の力に信頼なさいました。神様の与えられた「しるし」として神殿の幕が真っ二つに裂けました。それは、もはや異邦人とユダヤ人とを分け隔てる必要はないことを象徴する出来事でした。今や神様への道が開かれたのです。イエス様の受難と死の瞬間は、マルコによる福音書の頂点です。まさにこの頂点で、神殿の幕のほかにも「裂かれたもの」があります。長い間幾度も読者には理解しがたいままとして隠されてきた「メシアの秘密」が、ついにあきらかにされました。残酷な十字架刑の執行責任者であったローマ兵は、イエス様が死ぬのをみて、「この方が神様の御子である」と告白します。イエス様が神様の御子として知られるようになったのは、まさしく「十字架につけられ屈辱的に殺されたお方」としてでした。このようにイエス様は、人とはかかわりのない神的存在とか幽霊とかではなく、全世界の罪を帳消しにするために御自分のいのちを従順に死に渡された、お父様に忠実な御子でした。

2009年10月23日金曜日

マルコによる福音書について 15章21~32節

ゴルゴタへ 15章21~32節

処刑場というものは、どの社会共同体でもたいていは都市の外にあります。それはあたかも死刑囚が社会の外側へと追放されることを象徴しているかのようです。イエス様もまたこうした仕打ちを受けました。ここで、アレキサンデルとルポスとの父として名が挙げられているクレネ出身のシモンがイエス様の受難史に登場します。アレキサンデルとルポスとの名が挙げられているのは、彼らが初代教会でよく知られていた人物だったためでしょうか。没薬を混ぜたぶどう酒は、のどの渇きに苦しんでいる者にさらに拷問を加える一手段だったかもしれません(詩篇69篇21~22節)。しかし、それはまた、気持ちをほぐして痛みを和らげる飲み物であった可能性もあります。ともかくも、イエス様は差し出されたぶどう酒を拒まれました。イエス様は第3時ごろに十字架につけられました。それは、私たちの時計ではおよそ9時ごろにあたります。十字架にかけられた者の目の前で彼の服を誰がもらうか、くじが引かれました。「あの男」はもう服がいらないからです。こうしてまたひとつの予言が実現します(詩篇22篇19節)。ピラトは死刑の理由として「イエス様がユダヤ人の王になろうとしたこと」を挙げました。この王様を神様の民全員が今完全に捨て去ったのです。

2009年10月22日木曜日

マルコによる福音書について 15章16~20節

栄光の王様の下降 15章16~20節

ローマ帝国は兵隊をローマやイタリアからの人員だけではまかなうことができず、属州側の協力を必要としました。ローマは徴兵のさいに昔の争いと隣国間の不和を上手に利用しました。ユダヤ人を押さえつけていた軍団は主にシリアから雇われた兵士から構成されていました。これは、ユダヤの民と彼らを圧迫する兵隊とがいつか同調してしまう恐れをなくすためでした。今このような兵隊がユダヤ人の王を手中にしたのですから、敵意のこもった享楽がはじまったのはあたりまえでした。紫色の衣、茨の冠、葦の王笏、肉体暴力、道化芝居。これ以上の低みに神様の御子なる栄光の王様が下ることはもうありえないほどでした。マルコによる福音書の読者はここで、あらゆる軽蔑と恥辱の対象になりながらも神様に忠実を尽くしたイザヤ書の「苦難の僕」を思い起こすことでしょう(イザヤ書50章4~9節)。

2009年10月12日月曜日

マルコによる福音書について 15章6~15節

民のご機嫌をとるために 15章6~15節

ローマの支配組織とユダヤ人たちの間の関係は非常に興味深い研究対象です。双方は、一歩も譲らない頑固さと自発的になされるわずかな妥協によってようやく保たれる折衝関係にありました。そして、こうした関係から生まれたネットワークによって双方が互いに相手を支配しようとしていました。ユダヤ人の過ぎ越しのお祝いの時期に牢獄の囚人の誰かを釈放する習慣は、ローマ側からのささやかな好意のあらわれであり、それによってピラトは自分の立場を人為的に強化しようとしました。ユダヤ人を軽蔑しきっているピラトはユダヤ人の指導者たちに教えをたれようとしました。「ユダヤ人の指導者層が死刑にしたがっている例の男を、ユダヤの民が釈放するように要求するなら、なんとも滑稽ではないか」という考えが背景にあったのかもしれません。しかし民は、捕らえられたその教師には見向きもしませんでした。暴力的な反乱分子バラバの方が民の気に入ったようです。民は自分たちの王様に対しては何の興味もありませんでした。「イエスを十字架につけよ!バラバを釈放せよ!」という声が飛び交います。こうして、大祭司たちの陰謀術数はピラトに最後の選択を迫るところまでいきました。イエス様の「犯罪」についてはもはや尋問されることもないまま、イエス様は死刑を言い渡され、鞭打たれ、十字架につけられることになりました。十字架刑は、ローマ人たちの知っていた処刑法のうちで最悪の恥辱と苦痛をともなうやり方でした。彼らはこの拷問刑をペルシア人たちから学んだのでした。この処刑法において現代の人々の理解がとうてい及ばない一番重要な点は、「受刑者をはずかしめること」でした。十字架には、すでに死んだ人間たちも打ち付けられて、皆のさらしものとしておとしめられました。人間が生きたままで十字架につけられる場合には、流れ出る血の量が最小限に抑えられるようにしました。こうして、あわれな受刑者は何日間も生きながらえることさえあり、ローマの軍隊の残忍さを十分に満足させるようなかたちで、のどの渇きか、傷による発熱か、あるいは呼吸が詰まって死に至るのでした。息の根を止めるのに、受刑者のかかととひざの間の足の骨を折るという方法が用いられました。この死刑はあまりにも酷いものだったので、十字架刑の前の鞭打ちは死に方を「人間的なもの」にするようにさえ思えてきます。鞭打ちによって血がたくさん流され、受刑者はより早く死ぬことができるからです。ローマ人たちは本国では主として凶悪な犯罪をおかした奴隷を他の者の見せしめとするために十字架刑に処しました。属州ではこの最悪の処刑法は、道端に出没する強盗やローマ帝国の反乱者に対して適用されました。その目的は、重罪をおかした者たちのおぞましい結末を見た者皆に恐怖の念を植え付けることにありました。主の民とこの世の最高権力とが、今、神様の御子をこの道へと送り出そうとしています。

2009年10月9日金曜日

マルコによる福音書について 15章1~5節

苦しまれるキリスト

マルコによる福音書15章


沈黙を守る被告 15章1~5節

イエス様はユダヤ人たちの大議会の面前で裁かれました。大議会はイエス様に対して死の宣告を下したのですが、それは越権行為でもありました。それで、大議会はイエス様をローマ人の地区総督ポンテオ・ピラトの裁決にゆだねました。このピラトの職歴については正確なことはわかりません。はっきりしているのは、ピラトは皇帝ティベリウスの反ユダヤ的政策の時期にユダヤの地区総督に任命された、ということです。当時、ユダヤ人たちの支配者として、支配の対象であるユダヤ人たちを軽蔑し、必要とあらばどんな手段も辞さないような峻酷な人物が総督として任命されるのは、帝国の歓迎するところでした。西暦26年から36年までこの職にあったピラトは多くの流血事件を引き起こしたことで有名です。ローマへの反乱を少しでもかぎつけると、ピラトは情け容赦のない処置をとりました。(歴史家ヨセフスが伝える)聖なる山に結集したサマリヤ人たちや、(ルカによる福音書が伝える(13章1節))神殿の犠牲の儀式を行ったと思われるガリラヤ人たちなどが、そうした粛清による犠牲者たちの一例です。ローマで反ユダヤ的な傾向が収まると、ユダヤ人に対するある流血事件を起こしたピラトは、取り調べの結果、総督職を失い、左遷されました。ピラトはイエス様にひとつの核心を突く質問をしました。イエス様はそれに対して短く、しかも二通りの解釈ができるような、「それはあなたが言ったことです。」という返事をなさいました。「イエス様がローマ帝国に反旗を翻す王になったのかどうか」についてピラトがイエス様から引き出した答えはたったこれだけでした。イエス様は御自身に向けられたひどい誹謗中傷に一切弁明なさらず、ただ黙って聞いておられました。ユダヤ人は異邦人とは話したがらないものでしたし、ユダヤ人の自由のために戦った勇士たちが、尋問を受けているときにも、彼らが死にいたるまで守り抜いた確固たる態度を崩さなかったことを、ピラトもきっと耳にしていたことでしょう。にもかかわらず、拷問死を拒もうとはしないこの男は、ピラトには奇妙に映りました。ピラトが次のイザヤ書の予言をしっていたとしたら、どう思ったことでしょうか。「主は私たちのすべての罪の負債をこの方の上に投げかけられました。この方は虐げられ、それを甘んじて受けられ、口を開かれませんでした。ちょうどほふり場にひかれていく小羊のようであり、また、毛を刈り取る者たちの前で黙っている羊のように、この方は口を開かれませんでした。」(イザヤ書53章6~7節より)

2009年10月8日木曜日

マルコによる福音書 第14回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

主イエスは聖餐式を設定なさいました。その設定辞がはっきりと告げているように、聖餐式でイエス様は、パンとぶどう酒と共に、御自分のまことのからだを食べ物として、御自分のまことの血を飲み物として、私たちに本当に与えてくださいます。これは死なれる救い主が、この地上の御自分の教会のため、また私たちのためにしてくださった聖なる遺産です。それはイエス様が遺してくださった本当に不思議な、恵みゆたかな、神的な規定です。「不思議」だというのは、それを理性は理解しないからです。「恵みゆたか」だというのは、ここには恵みしかないからです。「神的」だというのは、この遺産の内容が神様のひとり子の肉と血だからです。神様だけがこのような規定を遺すことがおできになります。人間の世界でも、親は子供のために遺言状をつくり、彼らにこの世でのはかない残り物である資産の権利を譲ります。それに対して、私たちの神様、主イエス・キリストは、私たちのために苦しみを受けて死んでくださったときに、私たちに遺産として、金や銀やその他の資産ではなく、消えることのない永遠の天の宝を遺してくださったのでした。その宝とは、キリスト御自身にほかなりません。つまり、キリストのまことのからだという食べ物と、まことの血という飲み物です。私たちはこれよりよいものを願い求めることができるでしょうか。

このような贈り物、このような遺産を、万軍の神様、天の主からいただくことを、誰も願う勇気などはなかっただろうし、ましてひとりとして思いもよらなかったことでしょう。「真の神様」でも「真の人」でもある主イエスは、この聖餐式で御自分を遺産として私たちにあたえてくださいます。ここに私たちは主を見出し、ここに主はまるごと「私たちのもの」となってくださいます。主のまことの体と血とがあるところには、主御自身が神性の面でも人性の面でも完全に臨在なさっています。唯一の分離し得ない位格(ペルソナ)の中で、主の神性が主の人性に永遠に最も緊密に結びついているのと同様に、私たちは聖餐式で、キリストを、神様としても人としても、本当にまるごと受け取っているのです。ここには、たんなる人間の肉と血があるばかりではありません。それらは私たちの役にはまったく立ちません(「肉は何の役にも立ちません」(ヨハネによる福音書6章63節))。ここには、神様の御子の体と血があるのです。それらは死んでいたり、無力だったりはしません。逆に、それらは霊と命に満ちあふれています。

大いなる奇跡であり恵みに満ちた神性が、この遺産なのです。それについてすべてのクリスチャンは喜びなさい。神様に感謝して、それを用いなさい。それによって、あなたがゆたかになり、永遠の救いをもたらす慰めをいただくためです。

フレドリック・ガブリエル・ヘドベルグ 「救いへといたる唯一の道」

2009年10月7日水曜日

マルコによる福音書について 第14回目の質問

第14回目の集まりのために

マルコによる福音書14章

イエス様は聖餐式を設定なさり、ゲッセマネで祈られ、そして捕虜となられました。

1)なぜユダヤ人の指導者たちはイエス様に対して公に接触しようとはしなかったのでしょうか。

2)14章3~9節は、壺に入っていた高価な香油をイエス様に塗るというささげものをした女の人について語っています。損得勘定をしたりせずにすべてをささげる彼女の愛を、イエス様は感謝なさいました。私たちはこの女の模範にどの程度したがってきたのでしょうか。どうすればこの模範を実行できるようになるのでしょうか。昔の世代の人たちが建てた壮大な石造りの教会は、その建築と維持のために信じがたいほどの労力と費用を要しました。現代では、「飢えに苦しんでいる人たちをほうっておいて教会を不必要なまでに飾り立ててはならない」という社会からの厳しい要求があります。何が正しく、何が間違っているのでしょうか。

3)イエス様の受難の歴史の中に登場する人物の中で、イスカリオテのユダほど私たちの心をとらえる悲劇的な者はいないでしょう。ユダはどのような目的のために必要とされたのでしょうか。なぜ神様はユダの裏切りを妨げにならなかったのでしょうか。なぜユダは悔いたのでしょうか。ユダについて思いをめぐらすとき、あなたがいだくのは怒りでしょうか、軽蔑でしょうか、それとも同情でしょうか。

4)マルコによる福音書によると、イエス様が捕まえられたとき、ユダヤ人たちはすでに過ぎ越しの食事を済ませていました。ところが、ヨハネによる福音書によると、そのときにはまだ過ぎ越しの食事は済んではいませんでした。このような問題は私たちの信仰にとりどのような意味を持っているでしょうか。

5)出エジプト記12章と24章8節と、それからエレミヤ書31章31~34節を読んでください。イエス様の最後の晩餐の中で、ユダヤ人たちの過ぎ越しの食事を思い起こさせることは何でしょうか。また新しいことは何でしょうか。主の聖餐式の核心にあるメッセージは何でしょうか。

6)ペテロはゲッセマネに出かける前までは勇敢な男でした(14章26~31節)。ところが、後には自分の口にした勇敢な言葉を守ることができませんでした。こうしたペテロの振る舞いは私たちにどのようなことを教えてくれますか。

7)イエス様の祈りの戦いは心を揺さぶられる出来事であり、数え切れないほどの画家や讃美歌作者たちがこの題材に触発されて作品を生み出してきました。この戦いはどのようなことをあなたがたの心に訴えかけてくるでしょうか。

8)どのような犯罪についてユダヤ人の大議会はイエス様に対して審判を下しましたか。

2009年10月1日木曜日

マルコによる福音書について 14章66~72節

ペテロは? 14章66~72節

イエス様の弟子たちのリーダーであり、後の教会のまぎれもない第一人者となるペテロに対しても、マルコによる福音書は容赦していません。ペテロがどんなに臆病で、彼の自信
がどのように打ち砕かれたか、包み隠さず徹底的に描いています。ペテロの置かれた状況は困難で、自分の命にかかわることでさえありました。にもかかわらず、ペテロはまったくもって恥じ入るほかなかったのです。ほんの何時間前まではイエス様に対して死にいたるまでの忠誠を誓いさえした男が、今や幾人かの召使いの少女たちに対してさえおびえを隠せません。ペテロが悔いの嗚咽にむせぶとき、「イエス様のもの」である者たちの破綻は誰の目にも明らかでした。