2012年4月30日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 13章1~10節 獣(その3)


 
獣 13110節(その3)

 
 
8節は難解な箇所です。
「神様はすでに天地創造の時点で、
ある人々を天国に、またある人々を滅びに定めている」、
ということがここで言われているのでしょうか。
ルター派の教理の形成に貢献した宗教改革時の神学者たちは、
二つのことを次のように互いに正しく区別して考えました、
「神様は誰のことも予め地獄へ行くように定めてはおられない。
しかし神様は、誰が天国に入ることになるか、御存知である。
そうでなければ、神様は「全知」ではなくなる」。
またルター派の教父たちは、
神様の「選び」は救いにのみ関わり、裁きには関係がない、
と強調しました。
神様は誰ひとり滅びへと予め選んだりはなさいません。
そのかわり、救われる人々を、神様は天国へと選ばれたのです。
これは、人間の理性にはわからない「奥義」です。
このことから、誤った結論を下すべきでもありません。
例えば、私たちが他の人々にイエス様を信じるよう勧めず、
そして、そのような態度を、
「天国に入れるのは、
神様がすでにそうなることを知っておられる人々だけなのだから」、
という理屈で正当化するのは、間違いです。
たとえ皆が救われるわけではないにせよ、
「神様は各人を救いたいと思われている」、
ということを私たちは皆に伝えます。
本当に神様はそれを望まれているのですから。
この難解な節にはまた、非常に素晴らしいメッセージが込められています。
イエス様を信じる人は次のように言うことができるのです、
「すでに天地創造の時に、私の名前は「命の書」に書き込まれた。
神様は私がいつか天国の家に帰ることを望まれている。
そのために、神様は私に信仰を与えてくださったのだ。
私が天国に入れるのは、
私自身ができる行いによってではなく、
神様が決定されたことと神様が全能であることに基づいている。
つまり、私が天国に入ることは、
絶対に信頼できるお方の御手にゆだねられているのだ」。
 

2012年4月27日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 13章1~10節 獣(その2)



獣 13110節(その2)

 
 
聖書は
「反キリスト」(「ヨハネの第一の手紙」218節)や
「滅びの子」(「テサロニケの信徒への第二の手紙」2310節)
について語っています。
彼らは、終わりの時にあらわれて、
大いなる力によって、活きておられる神様および神様に属する人々と戦い、
多くの人を自分の味方につけます。
おそらく獣の幻は、特にこのことを指しており、
ついには最悪のやり方で反キリストの活動として現実のものとなっていきます。
  
獣はあたかもその目標を達成してしまうかのように見えます。
7節には、獣がイエス様に従う人々のグループに打ち勝つ、とあります。
11章でもこれと同じことを取り上げました
(「ヨハネの黙示録」117節とその説明を参照してください)。
ちょうどイエス様の再臨の直前に、
「神様のもの」であるグループはひどく痛めつけられて、
負けてしまうように見えます。
しかし、それで終わりではありません。
「テサロニケの信徒への第二の手紙」にはこう書いてあります、
「その時に、「不法の者」があらわれるが、
この者を主イエス様は口の息吹によって殺し、
再臨の輝きによって滅ぼすことになります」
(「テサロニケの信徒への第二の手紙」28節)。
つまり、神様が最後の言葉を口にすることになるわけです。
キリストは勝利者であり、
勝利したかのように振舞う獣を打ち倒されます。
  
獣の活動も、神様が何を許可されるか、ということに左右されています。
7節からそれがわかります。
獣は、
行うことを許された(つまり、神様がそれをお許しになった)
ことだけを行います。
神様は万物の上におられ、
神様の決定されたことには、
悪魔もその手下も束縛を受けています。
  

2012年4月25日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 13章1~10節 獣(その1)


 
ヨハネの黙示録13
  
獣 13110節(その1)
   
  
ヨハネは海から上がってくる獣を見ます。
海は、聖書の少なくとも数箇所では、死や悪の象徴となっています
(例えば、「ヨハネの黙示録」211節)。
その意味では、獣が上ってくる場所自体がすでに、
その獣が誰の僕か、について語っています。
獣は恐ろしい姿をしています。
それには角や頭がたくさんついています。
これは獣のもつ力と権力と知力をあらわしています。
前章に出てきた竜が権力を獣に譲るのを、ヨハネは目にします。
それから、ヨハネは獣が神様と天の者たちを侮辱するのを聞きます。
さらにヨハネには、獣が「聖徒たち」、
すなわち地上で生活している神様に属する人々に対して
戦いを仕掛けてくる様が示されます。
誰の手先として獣が働いているか、疑いの余地はありません。
獣は悪魔のわざの手段なのです。
  
獣とは何か、あるいは何者か、
聖書の釈義者たちは考えあぐねてきました。
「獣はクリスチャンを迫害したローマ帝国をあらわしている」、
という説があります。
また、
「獣は悪魔の手下として働いている支配者を意味している」、
という意見もあります。
獣の候補として、
ネロ帝、ナポレオン、ヒトラー、スターリン、
その他大勢の人々の名が挙げられてきました。
ここで描かれている獣について、
私(このガイドブックの著者ヤリ・ランキネン)は
それらとはやや異なる解釈をしています。
聖書の予言のうちの少なくとも幾つかは、
何度も実現するもののように見えます。
獣の幻もまたこのようなものではないか、と思われます。
おそらく獣は、
ヨハネが幻で描き出しているようなやり方で悪魔に仕えている
「あらゆる権力や力」をあらわしているのではないでしょうか。
古代のローマ帝国には、
ここで獣について語られていることがらがよく当てはまります。
それと同じことは、ヒトラーのドイツやスターリンのソ連にも言えます。
要するに獣は、
ある特定の国や思想や支配者を指しているとは限らないのです。
歴史の流れの中で、多くの国やイデオロギーや支配者が
キリストの教会に対して戦いを挑みました。
それらは活きておられる神様を侮辱し、悪魔に仕え、
こうして獣の特徴を満たしました。
それゆえ、それらは「ヨハネの黙示録」の獣であった、と言えるわけです。
 

2012年4月23日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 12章13~18節 教会を滅ぼそうとする悪魔


  
教会を滅ぼそうとする悪魔 121318
  
 
地上に投げ落された悪魔は、
神様に属する人々に対して集中攻撃を仕掛けてきます。
おそらく、ヨハネに今示されたことは、
この章の初めに語られたのと同じ内容をあらわしているのでしょう。
ヘロデの怒りから逃れてエジプトへと旅するマリアを、ヨハネは見ます。
悪魔はヘロデを使って神様の御子とその母親を殺そうとしましたが、
神様はそれを許しませんでした。
イエス様が天に上り、もう手が出せなくなると、
悪魔は怒りをぶつける対象をかえました。
今、その怒りは神様に属する人々に向けられています。
とりわけ最初の頃のクリスチャンは、
この怒りをきわめて惨いかたちで経験することになりました。
彼らは迫害され、投獄され、井戸に投げ込まれ、
ライオンの前に引っ張り出されました。
そして、このようなことが起こったのは、
まさに、クリスチャンが神様の御言葉を守り、
イエス様への信仰を公に告白したからなのです。
17節の終わりで言われている通りです。
  
この章の終わりはおそろしいことを語っていますが、
にもかかわらず、それを外側から包むようにして、
神様に属する人々を励まし慰める内容が書かれています。
悪魔の活動は、それを神様が許可されるかどうか、によって左右されます。
悪魔は自由には活動できません。
とりわけこれは、神様に属する人々を襲う時に当てはまります。
このことを覚えるとき、
いかなる場合でもあわてる必要はないことがわかります。
神様は私たちの世話をしてくださいます。
私たちに起こることは、
神様がそうなるのを許されたことがらだけなのです。

2012年4月20日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 12章7~12節 天国での戦争

  
天国での戦争 12712
  
 
ヨハネはもうひとつの幻を見ます。
天で神様の天使の長ミカエルと悪魔との間に戦いが起こりました。
戦いは悪魔の敗北に終わり、
悪魔は手下の使いらと共に天から投げ落とされました。
天ではミカエルの勝利を喜ぶ声が上がりましたが、
天使の長の勝利は、地上では不幸の訪れを意味していました。
悪魔が地上に投げ出され、騒乱を巻き起こし、
悪を行い、神様に属する人々を迫害するからです。
この悪行を悪魔は倦むことなく続けますが、それには単純な理由があります。
地上で暴れることができる時間がもはや長くはないことを、
悪魔は知っているのです。
  
悪魔が実際に地上に投げ落されていることは、たやすく理解されるはずです。
悪魔の活動はさまざまな形で顕在化しています。
世界にはおびただしい悪があり、自然は汚染され、戦争が起こり、
人々は間違った道に迷い込み、神様の教会は苦境に立たされています。
これらすべてについていろいろな説明を与えることはできます。
天国から地上に投げ落とされた悪魔が私たちの世界で暴れ狂っているのが、
その真の原因なのだよ、と「ヨハネの黙示録」は教えているわけです。
  
10節で、悪魔は適切にも「告発者」と名づけられています。
まさに悪魔はそのような存在です。
悪魔は際限なく告発し続けます。
告発の対象となるのは、なによりも神様に属する人々です。
「お前はあまりにも出来が悪いので、「神様のもの」などではありえない。
お前はいともたやすく罪を重ねるくせに、
神様の子供のグループに所属しているなどと、よくもまあ言えたものだね。」
このようなことを言う者は、悪魔です。
ただイエス様のゆえに、
私たちは神様の民の一員として認められ受け入れていただける、
と神様の御言葉が保証しています。
私たちは罪人ですが、イエス様のゆえに「神様のもの」なのです。
悪魔が告発してくる時には特に、このことを思い起こすのが大切です。
 

2012年4月11日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 12章1~6節 女と竜

  
ヨハネの黙示録12
  
女と竜 1216
    
 
ヨハネは子を宿している女の人を見ます。
それは誰のことでしょうか。
ここでもそれは、「神様の民」、すなわち、
この世で生活している「神様に属する人々」を指しているものと思われます。
これまでの箇所には、「神殿」や「二人の証人」が出てきました。
おそらくこれらもまた、
地上で(信仰を守る)戦いを続けているキリストの教会
についてのイメージなのだろうと思われます。
それでは、ヨハネに示された「竜」とは誰でしょうか。
9節では、この竜は
「神様に属する人々」と戦い続ける悪魔である、と言われています。
竜は緋色で、七つの頭と十個の角をもっています。
前に述べたように、「ヨハネの黙示録」では「角」は力をあらわしています。
つまり、悪魔には力がたくさんある、ということです。
竜の十個の角は、そのことを想起させます。
  
2節と5節で、おそらくヨハネは、
神様の教会の一員、イエス様の母親である処女マリアを一瞬目にしています。
彼女は男の子を生みました。
この子こそが、イエス様、王の中の王です。
4節には、悪魔の使いとしてヘロデ大王が描かれています。
生まれたメシアを殺すために、
ヘロデはベツレヘム近郊の2歳以下の男の子を皆殺しにしました
(「マタイによる福音書」21618節)。
すでにその時点で、悪魔は
神様と「神様に属する人々」とに対して戦争を仕掛けていた、ということです。
聖家族は、ヨセフを長として荒野を越えてエジプトに逃げ、
ヘロデが死ぬまでそこに留まりました。
6節はこの旅について語っているのでしょう。
神様は御子とその母親とヨセフの面倒を見てくださり、
悪魔に御子を殺させませんでした。
ここで「三年半」という期間は、
悪魔が「神様に属する人々」を特に激しく攻撃する時期をあらわしています
(「ヨハネの黙示録」112節と、その説明を参照してください)。
 

2012年4月4日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第7回目の終わりのメッセージ

 
終わりのメッセージ
  
「この方は私たちの罪過のために傷を受けられました。」
(「イザヤ書」535節)
  
 
この御言葉から、あなたは、
神様の恵みを得るためになされる人間の労苦は
呪われたものであることがはっきりわかり、
実際にその通りであることを力強く示すことができます。
呪われているのは、
愛する主キリストを抜きにして
救いを報酬として受け取ろうとするような、
あらゆる賢さ、義しさ、聖さ、あらゆる行いと功績です。
  
「キリストは私たちの罪過のために傷を受けられた」、
というこの文は
人間が達成できるすべてを隅に追いやり倒します。
イエス・キリストが私たちのために苦しみを受けられたのですから、
私たちが今まで頼りにしてきた自分自身の義やよい行いや功績などは、
取るに足りないもの、ゴミとさえみなされるべきものなのです
(「フィリピの信徒への手紙」38節)。
はっきり言えば、
私たちは自分自身の中から抜け出して、
私たちの外部にある義に心からの信頼を大胆に寄せるべきなのです。
あたかも天と地の間を揺れ動くようにして、
私たちは、
見たり感じたりはできないが、
御言葉を通して提供されているこの義という贈り物を、
真剣な信仰によってしっかりと受け止めます。
  
(マルティン ルター 「神様の子供たちへのマナ」)

2012年4月2日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第7回目の質問(10~11章)

 
7回目の集まりのために
  
「ヨハネの黙示録」1011
  
 
「第七のラッパが鳴り響く時に神様の裁きが始まる」、
と告げる大きな天使をヨハネは見ます。
その天使の手には巻物があり、それをヨハネは食べます。
それからヨハネは
神様の神殿の大きさを測り、
神様の二人の証人を目にし、
第七のラッパが吹き鳴らされる時に何が起こるか、耳にします。
   
 
質問

1)神様の天使は海と地の上に立っています。
それは天使と、その天使が仕えている主人について、
どのようなことを語っていますか。
1014節の説明を参照してください。
  
2)ヨハネが
耳にしたことを書き留めるのを許されなかったのはなぜでしょうか。
  
3)神様は御計画を主の僕が告げたとおりに実現なさる、
と天使は確言します。
神様の僕たちとは誰のことでしょうか。
神様の僕たちの話は本当のことに感じられますか。
一般的にもそのように考えられていますか。
それらが本当であることを
私たちはいつ目にすることになるのでしょうか。
  
4)ヨハネが食べた巻物は甘くて苦いものでした。
それはどういう意味でしょうか。
10810節の説明を参照してください。
神様の御言葉が甘く、あるいは苦く感じられた
自分の経験を話してください。
  
5)「神様の神殿の大きさを測る」とはどういう意味でしょうか。
1112節の説明を参照してください。
それが私たちに伝えるメッセージは何でしょうか。
  
6)二人の証人とは誰でしょうか。
11314節の説明を参照してください。
幻が私たちに伝えるメッセージは何ですか。
人々は二人の証人の死を喜ぶということでしょうか。
そうだとしたら、それはどうしてでしょうか。
神様の御言葉というものについて、
このことは何を語っているでしょうか。
  
7)神様が権威を御手の中に収められると、
どのような結果を生みますか(1115節)。
その後の人々の生活はどのようなものになるでしょうか。