目の見えない乞食 10章46~52節
イエス様がこの世で生きておられた当時のユダヤ社会では、目の見えない人の立場は惨めなものでした。もしも親戚がその人の世話をしないならば、その人は物乞いをして自分で生計を立てていかなければなりませんでした。それも、そんなことができる間の話です。その人を待ち受けているのは、深刻さを増していく悲惨さであり、しまいには孤独な死でした。これがバルテマイの生活の状態でもありました。彼は群集がイエス様とともに動いていくのを耳にして、自分の人生の転換期が来たことを知りました。彼は命がけでイエス様に助けを求めました。彼には「黙れ」という声がかけられましたが、彼はこの唯一のチャンスにしがみついて、群集の言うことなどには耳も貸しませんでした。イエス様はバルテマイの叫びを聞き、彼を助けてくださいました。バルテマイの人生は「御言葉の一撃」でまったく変わりました。バルテマイの癒しもまた、イエス様の受難の告知に結びついています。それは8章22~26節で語られているのと同じような出来事です。キリストの受難の傍らでは、目の見える者たちは目が見えず、目が見えない者たちは目が見えるのです。