2018年11月28日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章11〜22節 この世におけるキリスト信仰者

2章11〜22節 この世におけるキリスト信仰者

ペテロは奨励の言葉を続けます。
この箇所のはじめの二節は一般的なことがらを扱っており、
なぜ皆にとってこのような奨励が重要なのか、
その主な理由を説明しています。

それは、
キリスト信仰者はこの世に出自をもつものではないため、
この世では常に不可避的に「寄留民」として過ごさなければならない、
ということです。

この視点の背景に、
神様の民が寄留民として荒野を歩み続けなければならなかった
イスラエルの過去の歴史があるのは確実です。

約束の地への旅の途上にある彼らに対して、
神様は固定された家屋を建てることを許可なさいませんでした。
神様が御民を「約束の地」に導き入れてくださるまで、
彼らは天幕で生活しなければならなかったのです。

それと同じように、
私たちキリスト信仰者も旅の途上にあります。
私たちは二つの世界の国民なのであり、
永遠の故郷へと向けて旅を続けています。

この旅において私たちは、
この世やこの世が提供する物事を貴重な唯一の宝物だと思い込んでいる
大勢の人々と絶えず衝突を繰り返していくことになります。

この点で、私たちは自らを常に検証し続ける必要に迫られます。
はたして私たちは自分がこの世に出自をもつ者ではないことを、
どれだけ意識して生活を送ってきたでしょうか。
それとも、
私たちはいつか神様の御前で自分のことを恥じることになるのでしょうか。

2018年11月23日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 祭司制と牧師職

 祭司制と牧師職

現代では「祭司制」と「牧師職」をめぐる論議は
すっかり混乱してしまっています。
神様の御言葉によれば、
教会にはキリスト信仰者全員による万人祭司制(1)と、
それとは別に存在する牧師職(2)という
ふたつの異なる役割が存在していることを、
私たちは今ふたたび学びなおす必要があります。

1)「万人祭司制」とは、洗礼を受けた人は祭司となる、という意味です。

神様の御国においては、
キリスト信仰者ひとりひとりに対してそれぞれ大切な使命が与えられています。
それを探し求めつつ、御言葉に対して従順にそれを実行していくことは、
キリスト信仰者に与えられた課題でもあります。

たとえば、あなたは子をもつ母親かもしれませんし、
あるいは自分の姉妹にとってただひとりの弟であるかもしれません。
また、あなたは職場で自分がキリスト信仰者であることを明言している
唯一の人間かもしれません。
あなたには歌の才能が与えられているかもしれません。
また、あなたの使命はキリスト教の良質な新聞や雑誌を
できるだけ多くの人に販売することかもしれません。

このように、神様の御国においてやるべき仕事は
御国の住人全員に対して十分にあるのです!

2)「牧師職」は、ルーテル教会信条集によれば、
神様が自ら設定なさった職種です。
この職については、たとえば
「ペテロの第一の手紙」の第5章や
「使徒言行録」の第20章で取り上げられています。

「牧師」(「エフェソの信徒への手紙」4章11節)、
「長老」(「ペテロの第一の手紙」5章1節)、
「監督者」(「使徒言行録」20章28節)など、
新約聖書で牧師を表す用語はいろいろありますが、
それらは内容的には同じものです。

神様はある特定の人を
その人が所属している教会の責任を担わせるために召命なさる、
ということです。

この牧師職は神様からの恵みの賜物です
(「ローマの信徒への手紙」12章7節)。
そして、この職を委ねられた者は、
とりわけ神様に対する忠実さを要求されます。

残念なことに、現代の私たちのルーテル教会においては
「万人祭司制」(キリスト信仰者全員に与えられた共通の責務)も
「牧師職」(特定のキリスト信仰者に委ねられた職業的責務)も
一様に軽視される傾向がみられます。
この点においても、私たちは各自悔い改める必要があります。

2018年11月16日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その3)

2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その3)

前回引用したモーセが受けた御言葉は、
このペテロの手紙では、
民族的には異邦人すなわち非ユダヤ人によって構成された
キリスト信仰者の群れに宛てられたものとなっています。

ここで手紙の書き手は、
次に引用する旧約聖書の「ホセア書」2章23節に記されている
神様の約束に関する御言葉のことも
手紙の受け取り手たち自身にも当てはまるものとして書いています。

「わたしはわたしのために彼を地にまき、
あわれまれぬ者をあわれみ、
わたしの民でない者に向かって、
『あなたはわたしの民である』と言い、
彼は『あなたはわたしの神である』と言う」」
(「ホセア書」2章23節、口語訳)。

旧約聖書の預言書の一つである「ホセア書」は
新約聖書の他の箇所においても大切なメッセージを伝えています。
この書を通して神様は、
本来ならば「神の民」には属しえないはずの諸民族に語りかけ、
皆の予想を裏切るやりかたで、
「彼らもまた神の民である」と宣言なさいます
(「ホセア書」1〜2章)。

2018年11月9日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その2)

2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その2)

この手紙の書き手はさらに話を進めます。
キリスト信仰者はたんに「神殿の石」であるにとどまらず、
それと同時に「神殿の祭司」でもあります。
しかも、
これはある特定の教会員たちだけに関わりがあることではなく、
神様の民全員について言われていることがらなのです。

この背景にはイスラエルの民に向けられた神様の語りかけがあります
(「出エジプト記」19章6節)。
この聖句のことはより詳しく研究する必要があります。

「「それで、もしあなたがたが、
まことにわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るならば、
あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。
全地はわたしの所有だからである。
あなたがたはわたしに対して
祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」
(「出エジプト記」19章5〜6節、口語訳)。

この語っている内容は、私たちがしっかりと学ぶべき大切な事柄です。
神様はひとつの民、イスラエルを御自分のために選び出されました。
しかし、
この選びによって神様が他のすべての諸国民を見捨てた、
という意味ではありません。

むしろ逆です。

イスラエルは諸国民の間で、
神様の善なる本質をすべての人に伝えていく
「祭司」としての役割を担うようになった、ということです。

このことは、
神様がアブラハムをお選びになった際に
「アブラハムを通してすべての諸国民が祝福を受けるようになる」
と告げてくださった出来事と内容的に共通するものです。

神様がひとつの民を選ばれたことは、
他の諸国民の犠牲による選択なのではなく、
むしろ、それら諸国民のためになる選択なのです。

2018年11月5日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その1)


「ペテロの第一の手紙」第2章

「神様の民」に属しているのは誰でしょうか?

「ペテロの第一の手紙」はすでに第1章において、
私たちにこの手紙の特徴を伝えています。
この手紙には
素晴らしい「福音」とそれに続く「奨励」とが交互に記されているのです。
そして、この特徴は第2章でも続きます。


2章1〜10節 キリスト信仰者は王族の祭司階級に属しています(その1)

この章のはじめの2節は前に述べられた内容のまとめでもあります。

「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」
(1章24節、口語訳)。

これは本当です。
ですから、
キリスト信仰者は「小さい子ども」のようにならなければなりません。
生まれたばかりの乳児はただの水を瓶から飲むだけでは満足しません。
「混じり気のない本物の乳」以外のものだけでは満ち足りないのです。
本来、キリスト信仰者も
この「小さい子ども」とまったく同じような存在であるべきです。
私たちは神様の御言葉という「混じり気のない乳」以外のもので
満足するべきではありません。
もしも私たちに対して御言葉をねじ曲げた偽物が差し出される場合には、
教会全体が大声で異議を唱えるべきなのです。

聖書の他の箇所においてもしばしば見受けられる粛然とした態度で、
手紙の奨励の部がはじまります。
キリストは「隅の親石」です。
たしかに、はじめにキリストは捨てられました。
しかし、それから後になって、
キリストこそが「神様の御国」という建築物全体を支える
中心部であることが理解されるようになりました。

このようにして
「キリストの教会」についてのイメージが具体的に形作られていきます。
このイメージによれば、
キリスト信仰者は各人が「一個の石」として
神様の建築物の一部分を構成しています。

「神様の建築物とその一部分としてのキリスト信仰者」という同じイメージは
「エフェソの信徒への手紙」の第2章にも登場します。
「神様の宮」の一部分にさせていただくのは、
人間にとってこの上ない光栄です。