2008年5月23日金曜日

クリスチャンと同性愛

エルッキ・コスケンニエミ (日本語版翻訳編集 高木賢)

1.どうしてこのテーマをとりあげるのでしょうか?

フィンランドの教会では1970年代には「同性愛」についておおむね次のように考えられていました。「私たち人間には皆、脱することが難しい独自の罪、悪い習慣があり、私たちはそれらと戦わなければならない。同性愛もまたこうした傾向のひとつである。クリスチャンは、自己の悪習がどんなものであれその悪習と戦っている他の人たちを、愛をもって支えていかなければならない。たとえば、飲酒の欲、不機嫌、貪欲、同性愛はそうした悪習である。同性愛の傾向のあるクリスチャンにとって、その傾向は努力して戦っていかなければならない事柄であり、人はそうした罪の傾向に支配されてはいけないのだ。」

しかし、1970年代以後、状況は変わりました。一般の意見は大きく変わり、もはや同性愛を罪とはみなさず、医学関係者たちも同性愛をたとえば人間の左利きと同じようなレベルで扱うようになったのです。

こうした一般の潮流と軌をひとつにして、教会の内部でも変化が起きました。たとえば、1990年代には同性愛者の学生たちの聖書研究会が活動し、教会の総会では、「教会が同性愛を異性愛と同等にみなすことを宣言すること」を要求する案が提出されたりしました。

2000年代に入り、隣のスウェーデンのルーテル教会では同性愛者同士が教会で結婚式を挙げることができるようになり、そのための式文も用意されています。また、同性愛者の結婚を司式することを拒む牧師は職を得るのが難しくなってきているようです。ここフィンランドでも教会の押し流されている方向はあきらかにスウェーデンと同じであり、そうしたことから言っても、このテーマを今取り上げることは時宜に適っています。

私たちクリスチャンのキリスト教の信仰を理解するためには、新約聖書の書かれる以前の時代に遡って問題を検討する必要があります。たとえば、古代ギリシア・ローマ文明や、とりわけ旧約聖書がどのように同性愛に対して接しているか。しかし、その前に、医学的な見地からこの問題に少し触れることにしましょう。


2.医学はどう言っていますか?

同性愛をめぐる議論を支配してきたのはいわゆるKinseyの報告書[1]です。それによると、男性のうち約4パーセント、女性のうち男性よりもやや少ない比率の人間が、同性愛の性交のみを行っている、というのです。現代ではこの報告書は厳しく批判されています。なぜなら、調査の対象となったのは一般の社会人のグループではなく、そこには犯罪の経歴のある人たちが不自然なほどの高い比率で入っていたからです。新しい研究によれば、男性のうち同性愛者は約1パーセントです。

同性愛についてははっきりした定義がありません。同性愛を異性愛と同等に扱おうとするあるグループは、当然ながらあいまいな定義を捏造します。それによると、同性愛とは、同じ性別の人間同士の互いに対する感情やファンタジーや行動のことです。そして、それらがどのように実現されようとそれが同性愛であることにはかわりがないこととされます。この「定義」は意図的に若者たちの強い友情の絆と同性愛との違いをなくそうとしています。私たちはここでは一義的な定義づけを行うことは控え、聖書は同性愛を「同性愛の性交」としてのみ捉えていることを挙げておくにとどめます。聖書は、同性愛の思想とか感情とかについては一切語っていません。

医学的な研究は同性愛の理由を説明することができずにいます。同性愛者たち自身、彼らの行動が彼らの性的な成長があるレヴェルでストップしてしまったためであるという説明をはっきりと拒絶しています。もともと生まれつきか、あるいは周りの環境の影響から、ある種の人たちは同性愛的な行動をとる傾向があります。これに加えて、すくなくともバイセクシュアル(異性愛と同性愛を両方とも行うこと)は学習の結果生じる現象である、ということを押えておくべきでしょう。このことは、バイセクシュアルという現象がどの程度一般的かは、同じ文化文明の中でも時代によってまちまちであることからもわかります。そして、ある民族の遺伝的な因子がそれほどまちまちに変化していくというのは、考えられないことです。


3.旧約聖書

よく知られているように、トーラー(モーセ5書、旧約聖書のはじめの5つの書物をさす)の同性愛に対する態度は無条件に厳しいものです。
「あなたは女と寝るように男と寝てはなりません。これは憎むべきことです。」(レビ記18章22節)
「女と寝るように男と寝る者は、両者ともに憎むべきことをしたのだから、必ず殺されなければなりません。」(レビ記20章13節)
町が滅ぼされる前に、ソドムの住民たちは、ロトのもとを訪れた神様の御使いたちに、ホモセクシュアル的な暴力を振るうために襲いかかろうとしました(創世記19章)。

多くの人は、同性愛を完全に拒絶するこうしたトーラーの姿勢を緩和するような例を旧約聖書の中から無理やり読み取ろうとしてきました。
たとえば、ダヴィデとヨナタンの間の強い友情を同性愛とみなそうとする人がいつの時代もいました。
「私の兄弟ヨナタン、あなたのため私は悲しみます。あなたは私にとって愛しい者でした。あなたが私を愛するのは世の普通のようではなく、女の愛にもまさっていました。」(サムエル記下1章26節。戦いに倒れたヨナタンを悼むダヴィデの言葉)
こうした「解釈」は、同性同士の真に深く強い友情がどれほどしばしば誤解されてきたかを物語っています。そしてこれはダヴィデやヨナタンの問題ではなくて、「解釈者」の誤謬なのです。
「旧約聖書は普通の同性愛についてではなく、カナン人たちのいろいろな宗教に付随したホモセクシュアルの職業的売春について批判しているのだ」と主張する人たちもいます。旧約聖書の同性愛に対するよく知られた嫌悪が当時の周辺世界の異教の儀式に関係していたことはまちがいありません。そうしたひどい儀式には、偶像モロクに子供を犠牲としてささげることや、男女間の猥雑な性的行動も含まれていました。
しかし、聖書の否定しているあること(同性愛)が、聖書の否定しているもうひとつ別のこと(異教の儀式)に結びついているからといって、「それゆえ、それら両方ともが許容されていて、神様の御心に適ったことである」などと結論することはもちろんできるはずがありません。

テキストを暴力的に曲解しようとはしない限り、旧約聖書が同性愛を許可したり、少なくとも同性愛を否定しないようにすることは到底不可能です。イエス様の時代のユダヤ教は当然ながらすべての点においてトーラーの規定に従っていました。資料の成立年代を決定するのは容易ではないとはいえ、少なくとも後になって文書として記録保存された伝統によれば、もしも同性愛を強制された者が12歳以上であった場合には、同性愛を行った者たちは双方とも石で打ち殺されなければなりませんでした(サンヘドリン7,4)。一方では、イエス様の時代のユダヤ人たちは同性愛と戦わなければなりませんでした(レヴィの遺言17、ナフタリの遺言4)。同性愛という現象はすでに当時存在していたのです。そして、ユダヤ教はそれを厳しく禁じ、それと戦っていたのでした。


4.ギリシア・ローマ文明

古代ギリシア世界では、人がバイセクシュアル(異性愛と同性愛の両方を行うこと)であることは非常に一般的であり、多くの場合承認された生き方でもありました。前古典期および古典期におけるギリシア(紀元前480~330年)は「男の世界」であり、そこでは同性愛は適当な生活様式でもありました。レスボス島の大女流詩人サッフォーの有名な詩はある種の性的な行動に名前を提供しました。他の多くの叙情詩人たちもまたホモセクシュアル的な愛をほめ歌っています。同性愛的な生き方にとくに重要な意味をもたせていたのはスパルタです。そこでは、若い男の子たちの年齢階層はこの「国民的な教育」とあいまって定められていました。共に戦っている者たちを結びつけていたのは、しばしばホモセクシュアル的な絆でした。アテナイでは、職業売春に基づくぺデラスティア[2]は制限されました。当時、ホモセクシュアルについて「それは自然に反した行為ではないか」という倫理的な疑問を投げかける人もいました。同性愛は新しい命の誕生を目的とするものではなく、人間を欲望の奴隷とするものであるからです(プラトン 法律1,636C)。しかし、たとえばプラトンの対話篇「饗宴」では、同性愛はまったく自然なことであるかのように取り扱われています。同性愛がどの程度の「不道徳」とみなされたかについては、ホモセクシュアルな者たちの間の三角関係から生じた喧嘩に関して、リュシアスの書いた法廷でのスピーチからうかがい知ることができます。法廷で事件の関係者は自分の欲望を審判者たちの前であきらかにしなければならなくなって少し恥ずかしくなります。しかし、そこで問題になっているのは、「自分の肉体の欲望に身を任せてよいか」という哲学者たちが警告していたことがらにすぎず、同性愛自体はさほど深刻に取り扱われてはいません。それはちょっとした悪習以上のものではなかったのです。
羊飼いの詩で有名なテオクリトスは、それから何百年か後のギリシア社会では、同性愛がすでに当たり前のこととみなされていたことを証拠立てています。

ローマ文明の黎明期に生きた喜劇作家プラウトゥス(紀元前254年頃~約184年頃)は同時代の民衆の言葉を用い、彼らの生き方や考え方を作品に反映させています。彼はまだ同性愛を「ギリシア人の慣習」と呼んでいます。
しかし、それから約百年後には状況がまったく変わっていました。大詩人の中ではカトゥッルス、「正しい人」と称えられているヴェルギリウス、またホラティウスなどは同性愛をまったく自然なことがらとみなしています。道徳的な詩の中でホラティウスは、「若い男たちは奴隷の少年か少女を手に入れるまでは、妻を得たりしないように」と忠告しています。辛らつなマルティアリスは、ホモセクシュアル的な行動の中にいろいろと笑いを誘うような特徴のある人たちのことをあげつらっています。
紀元後1世紀においても同性愛に対する人々の態度は以前と変わらなかったように見受けられます。理論的にも実生活でもホモセクシュアルとバイセクシュアルは、ヘテロセクシュアル(男女間の性関係)と同様に承認されていました。つまり同性愛は人々から完全に認められた生き方だったのです。そして、このような世界の只中で新しく生れたキリスト教が躍進を始めたのでした。はたしてキリスト教はこの同性愛という問題に対してどのような態度をとるのでしょうか?


5.新約聖書

同性愛に対する新約聖書の一番重要な姿勢は、よく知られているように、ローマの信徒へのパウロの手紙の中にあります(1章24~28節)。1章18~32節でパウロは、異邦人たちが神様の御前で罪人であることを示しています。異邦人たちは、神様の創造のみわざを目にしていながらも、神様を創造主として崇拝しようとはしませんでした。それどころか、彼らは神様の栄光を人間と動物の像のかたちに代えてしまいました。異邦人たちが「活きておられる神様」を捨てたため、活きておられる神様もまた彼らをお捨てになりました。パウロによれば、たとえば異邦人たちがどれほどひどく神様から離れ去っているか、まさにホモセクシュアルの問題にはっきりあらわれています。
「それゆえ、神様は彼らを侮蔑すべき情欲にお渡しになりました。すなわち、彼らの中の女性は、その自然な性的関係を不自然なものに代えてしまいました。同様に、男もまた同じように女性との自然な性的関係を捨てて、互にその情欲の中で燃え、男性は男性に対してみだらな行為をし、そしてその迷妄の当然の報復を自分の身に受けています。」(1章26~27節)
使徒パウロを通して与えられている神様のこの御言葉の背景には、旧約聖書とパウロの時代のユダヤ教とのホモセクシュアルに対する変わることのない嫌悪があります。
同性愛の傾向のある人たちと、異性愛の傾向があるにもかかわらず自然な傾向を他のものに「代えた」人たちとを区別することによって、パウロの考え方を救い出そうとする試みもあります。しかし、このような試みは、ユダヤ人たちの最高法院を原子力の反対派と賛成派に分けるのと同じくらい「自然」なことといえるでしょう。つまり、このような区別はパウロにとって思いもよらないものです。
パウロは、当時の異邦人たちが深い迷妄に陥っていることを示す絶好の例を見つけたのでした。つまり、異邦人たちにとって自然で、美しく、洗練されたことがらは、神様の啓示と、選び分かたれた民の確信とに基づけば、不自然で、不道徳で、ひどいことなのです。

同性愛は、「悪い行い」として初代キリスト教会が挙げている「一覧表」の中に少なくとも3回は登場しています。
コリントの信徒への第1の手紙6章9節では、アルセノコイタイ(同性愛の性交において能動的な側)とマラコイ(同性愛の性交において受身の側)が区別されています。双方について「このようなことを行う者たちは神様の御国を継ぐことはできない」と言われています。「あなたがたは知らないのですか」というパウロの言葉は、このことがコリントの信徒たち皆にとって周知であることを示しています。
初代教会では、人々が洗礼を受けるときに新約聖書の中にある「何が悪い行いか」を列記したリストの内容について教えを受けていたのは、まずまちがいありません。このように、初代教会は、異性愛の乱用や窃盗と同じように、同性愛もまたクリスチャンにはふさわしくない生き方であることを教会に属する者ひとりひとりがはっきりと知るように、取り計らったのでした。
他の箇所は、テモテへの第1の手紙1章10節と、フィリピの信徒へのポリュカルポス[3]の手紙5章3節です。後者の手紙にはコリントの信徒への第1の手紙からの直接の引用が含まれています。これらの箇所は初代教会の考え方をはっきり示しています。すなわち、(結婚生活における)異性愛は神様の創造のみわざに適った振る舞いであり、それを通して神様は御自分の賜物を分け与えてくださいます。それに対して、同性愛は自然に反したことであり、いかなる場合であってもクリスチャンにはふさわしくない生き方です。


6.教会の歴史

歴史的に見ると、ヨーロッパではキリスト教が広まっていくにつれて、人々の性的な行動も変わっていきました。同性愛は公共の場から消し去られ、禁じられたおぞましい振る舞いであるとみなされるようになりました。にもかかわらず、同性愛は決して消えることがありませんでした。それをよく物語っているのが、クリスチャンの国々における同性愛に対する厳しい罰則規定です。しかし1900年代に入ってから、状況が変わり始めました。この変化がはたして真の福音を見つけたことによるものか、それとも新たなる異邦化(反キリスト教化)の力が強まってきていることのおそるべき証拠であるか、私たちはそれぞれ見極めていく必要があります。


7.結論

ルター派の教義学は、それが御言葉の堅い基盤のみによって支えられていることを誇りとしています。人間的な考え方はどんどん変わっていきます。しかし、神様の御言葉は決して変わることがありません。ルター派では、倫理あるいは信仰にかかわる問題は昔から二つのグループに分けられてきました。ある事柄については聖書にはっきりと指示を与える御言葉がありますが、また別のことがらについては聖書は沈黙しています。ある問題について聖書が沈黙を守り、明瞭な聖書の箇所に直接基づいた指示を見出せない場合には、こうした問題は「どちらでもよいこと」(アディアフォラ)と呼ばれます[4]。こうした問題については、クリスチャンは、愛に留まりつづけることを忘れない限り、自己の良心に従って活動してもよいのです。ところが、聖書が何かの問題について語っている場合には、その問題はあらゆる時代のすべてのクリスチャンにとって、すでに「解決済み」なのです。これが伝統的なルター派の理解です。私は誇りをもって私たちの教会の伝統を告白し支持します。このような立場からみるとき、聖書はすでに同性愛という問題についても疑問の余地なく解決を与えていると、私は理解しています。もちろん、同性愛で苦しみ、それと戦っている人たちの心のケアのためには特別な知恵が要求されますが、それについてはここで触れることはできません。

私は1984年にこのテーマについて神学生たちに話をしたことがあります。約束どおり「ホモセクシュアルのクリスチャンのための聖書研究会」からも話を聞きに来た人たちがいました。盛んな議論が交わされました。その聖書研究会のグループの学生たちは、自分たちの弱さを認めてもらうことを周りから要求しませんでした。彼らの意見によれば、同性愛はクリスチャンにとって何の悪いことでもないのです。彼らの議論の根拠になっている考え方は教会でなされてきた女性牧師制についての議論の展開と同じでした。すなわち、「聖書は同性愛について語ってはいないか、あるいは、仮に語っているとしても旧約聖書だけだ。もしも新約聖書も同性愛について語っていることを認めなければならない場合でも、見なさい、イエスはこの問題について一度も語っていないではないか。パウロはたんなる人間だった。聖書を文字通りに受け取ってはいけないのだ。人が天国へ行くのは、その人がヘテロセクシュアルだからではなく、人が地獄へ行くのはその人がホモセクシュアルだからというわけでもない。」
彼らとの議論はすべてまったくむだだったように思えます。彼らにとって聖書の御言葉には何の価値も権威もないのです。

おそるべきことに、フィンランドの教会の神学者たち自身が、大学やメディアを通じてこのような「論理」を学生たちにも一般の教会員にも教え込んできたのです。同性愛の問題は、女性牧師制や離婚した人の再婚を教会で司式することや制度としての同棲を教会として容認することと同じように、上記に挙げたような議論のやりくちで片付けられてきました。同性愛の危険についての聖書の教えを無視して教会員に「違うこと」を教えている者たちは、「羊の群れの中にいる、羊のなりをした狼」です。もしも私たち牧師や神学者が神様の御言葉を軽蔑するように人々に教えるならば、私たちはこの国民が聖書の神様の語りかけを聴くことができなくしてしまうのです。この国(フィンランド)には神様の律法によって自己の良心をとがめられ、キリストが十字架で確保してくださった恵みに感謝して満ち足りるような「罪人」がもはやほとんどいないのではないでしょうか。それは非常に危険な状態です。

 あるリベラルな聖書学者は「同性愛と聖書の問題」というテーマを掲げました。こうした問題設定はある意味で本質をついています。まさしく具体的な聖書の箇所について、私たちが本当に「聖書的」であるか、それともたんなる「保守的」であるにすぎないのか、が試されます。私たちクリスチャンの使命は、「岩」の上に教会を築くこと、神様の御言葉という決して裏切らない基盤に立つことです。このようにしてのみ、教会の最も貴い宝、キリストの血の福音が混じりけなく純正に保たれるのです。
[1] たとえば、”Sexual Behavior in the Human Male”(1948).
[2] 成人の男と若者の男との間の性的な教育関係をさす。
[3] 使徒教父のひとり。
[4] 詳しくは、ルーテル教会信条集・一致信条書の中の和協信条・根本宣言第10条を参照のこと。