2018年6月7日木曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 素晴らしい生き方を宣べ伝える

素晴らしい生き方を宣べ伝える

このペテロの手紙は
とても困難な状況の下に置かれた人々に向けて書かれています。
自分の犯した過ちのせいで苦しみを受けるのがどれほど辛いことであるか、
ということは誰もが知っていることです。
ましてや、
自分の側に落ち度がなかったにもかかわらず
苦しみを受けなければならなくなった場合には、なおさらのことです。
当時のキリスト信仰者たちは
まさにこの後者のケースが当てはまるような状況に置かれていました。
彼らは誰に対しても何か悪いことをしたわけではありません。
にもかかわらず、
人々は彼らを憎悪し、あらゆる面で悪者扱いしました。
ローマ皇帝も庶民も、あらゆる階層の人々が皆こぞって、
キリスト信仰者を憎悪することを
あたかも彼ら自身の使命であると思い込んでいるようにさえ見えました。
キリスト信仰者は処罰の対象となり、流血の事態も起きました。
このような状況において、
キリスト信仰者はいったいどのように行動するべきなのでしょうか。

「ローマ皇帝や他のすべての人々に対して敬意を払うように」
と使徒ペテロはキリスト信仰者を奨励しました。
キリスト信仰者たちが彼らから不当に苦しみを受けていることを
この手紙の書き手はもちろん知っていました。
そうであっても、キリスト信仰者は
すべての人間に愛を示し罪の赦しを与えるべきであることを、
ペテロは奨励しているのです。

もしも自らの悪い行いのゆえに苦しみを受けることになるのなら、
自分自身を責めてしかるべきでしょう。
しかし、
もしもあなたが不当な理由から苦しみを受けることがあるのなら、
どうかその苦しみを「神様の恵み」とみなしてください。
後者のケースの場合の「模範」となるのは、
私たちの身代わりとして死の苦しみを引き受けてくださった
キリスト御自身です。
キリストはまったく罪のないお方であったにもかかわらず、
御自身に死刑宣告を下した人々や虐待を加えた人々に対して、
威嚇するような姿勢を一切示されませんでした。
今日でもこのイエス様の態度は、
キリストへの信仰を公に告白したせいで苦しい目にあっている人々に対して
「本当に素晴らしい生き方とはどのようなものであるか」を知らせてくれます。
これは、
自分を圧迫してくる者たちのことを赦し、
彼らに祝福を静かに願うという生き方です
(もちろん、これは圧迫などの悪行自体を容認するという意味ではありません)。
これは、
人に見せびらかすものでも自分を「殉教者」に祀り上げることでもなく、
心から素直にそれを実践していく生き方です。

2018年6月5日火曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 誰が、誰に宛てて、どうして、この手紙を書いたのでしょうか?

誰が、誰に宛てて、どうして、この手紙を書いたのでしょうか?

手紙に明記されている書き手の名は、
イエス・キリストの使徒ペテロです。
彼は手紙の受け取り手のことを
「神様によって選ばれた寄留の民」と表現しています。

「イエス・キリストの使徒ペテロから、
ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに
離散し寄留している人たち、すなわち、
イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、
父なる神の予知されたところによって選ばれ、
御霊のきよめにあずかっている人たちへ。
恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」
(「ペテロの第一の手紙」1章1〜2節、口語訳)

手紙のこの箇所には、小アジア地方の(全てではないですが)
多数のローマの属州の名が記されています。
ということは、
手紙の受け取り手たちは現在のトルコの地域に居住していたことになります。
彼らの大多数は
異邦人(つまりユダヤ人ではない)キリスト信仰者であったと思われます。
手紙の成立時期を正確に知るのは困難です。
唯一の手がかりは迫害です。
ローマ帝国全域にわたる最初の大規模な迫害は
皇帝ドミティアヌスによるものです。
それは西暦90年代に起こりました。
すでにそれ以前にペテロは殉教の死を遂げており、
死に勝利した天の御国の教会の一員に加えられていました。
当時のキリスト信仰者たちはすでに以前から各地で憎悪の対象となっていました。
ですから、
この手紙は最初の大規模な迫害の起こる以前に書かれていた可能性もあります。
この手紙を書き取ったのはシルワノという名の人物です(5章12節)。
彼はパウロの古くからの同僚で共に牢獄生活を送ったシラスと
同一人物であったとも考えられます(「使徒言行録」5章12節)。
このことについてはガイドブックの終わりで取り上げることにします。