2009年4月8日水曜日

マルコによる福音書について 10章35~45節

ゼベダイの息子たち 10章35~45節

イエス様は12人の弟子たちを(使徒として)選ばれました。12という数にはあきらかに象徴的な意味があります。すなわち、これらの男たちはイスラエルの12部族に対応し、新しい神様の御国を代表するように選ばれているのです。この神様の御国を弟子たちは待ち望んでいました。とりわけ、彼らが「イエス様こそ(旧約)聖書で約束されているキリストである」と確信するにおよんでは、なおさらのことでした。来るべき神様の御国での「大臣職」をすでにこの段階で弟子たちが自分自身にわりあてるような真似をするのは、ある意味で自然な成り行きでした。このような「大臣ごっこ」にヤコブとヨハネというゼベダイの二人の息子たちも参加していました。こうして、前にもすでにあったパターンがここでも繰り返されることになります。イエス様が来るべき受難について話されると、すぐその後でイエス様の弟子たちの無理解が明るみになります。イエス様とヤコブとヨハネの話し合いからは、イエス様が彼らと親しく身近な間柄であったことがわかります。まず、イエス様は彼らに、御自分のゆえに苦しみを受ける用意ができているか、お尋ねになりました。この後で、彼らが本当にイエス様のゆえに苦しみに遭うことが告げられます。それからようやく、イエス様は、御国のさまざまな要職を御自分で分けたりはせずに、父なる神様御自身がお決めになるのにゆだねるおつもりであることが、明かされます。ヤコブについて、このイエス様の予言はほどなく、エルサレムでの使徒会議(使徒の働き12章2節以下)が開催される前に現実のものとなります。ヤコブとヨハネのお願いを耳にし、その結果弟子たちの間で生じた怒りを目にして、イエス様は弟子たちに、「神様の御国の支配」に関する教えをもう一度復習させることにしました。この世の支配者たちは民を権力でねじ伏せていばっているが、神様の御国ではこうではない。一番えらくなりたい者は皆の僕になりなさい。そして、イエス様は直接御自分を模範として示されました。イエス様は、周りから仕えられるためにではなく、仕えて御自分の命を皆のためのあがないとして与えるために来られたのです。イエス様の使命は、「御自分を犠牲としてささげ、この世全体のために御自分の血をささげ、罪人を「神様のもの」とするためにあがなう」ことでした。このキリストの愛はイエス様に従う者皆にとって、模範でありつづけています。