私たちは聖餐について何を信じていますか?(その4)
イエス様が本当に聖餐の中に存在していることを
信じるのが難しい場合があるのは、
聖餐式がとても地味なものだからでもあるでしょう。
聖餐を配るのは不完全な人間であり、
聖餐式の時に天から音声が響き渡るわけでもないし、
聖餐にあずかるのも罪深い人々の群れです。
ルター派の教会の信仰の教えは「十字架の神学」と呼ばれます。
神様はこの世では御自分の力を隠しておられます。
そして、神様が働かれているのは、
一見するとそのようには思えないところにおいてこそなのです。
私たちが信じるか信じないかにはかかわりなく、
イエス様は聖餐の中に臨在しておられます。
私たちの信仰が聖餐をつくりだすわけではありません。
聖餐をつくりだす(すなわち、聖餐を聖餐たらしめる)のは
神様の御言葉です。
どのようにしてイエス様がパンとぶどう酒の中におられるのかについて、
私たちルター派キリスト教信仰者は無理やり説明を試みようとはしません。
なぜなら、
聖書自身がそれについて何も語っていないからです。
聖書自身がそれについて何も語っていないからです。
私たちの好奇心がそのことについてもっと詳しく知りたいと思う場合でも、
聖書が明言している内容についてのみ語ることで満足するべきなのです。
(次回更新は8月になります。)
(次回更新は8月になります。)