2009年12月10日木曜日

「エフェソの信徒への手紙」について 「教会」の手紙

「教会」の手紙

「エフェソの信徒への手紙」は手紙というよりも、「クリスチャンの間の結びつき」とか「教会とは何か」といった表題がふさわしい教科書です。この手紙の中心的な考えは、「キリストはすべての人に神様の御許への道を開いてくださった」というものです。この「神様への結びつき」は、一人一人の個人的なことがらに留まるものではなく、クリスチャンがより広範なひとつの「まとまり」に結びついていくのです。この「まとまり」とは、ちょうど頭が体を指導するように、キリストが指導している「世界に広がる教会」です。手紙のこのメッセージは、「クリスチャンの結びつきとは、具体的にはどのようなものでしょうか」という問題を読者に突きつけます。このガイドブックを通じて読者が、「教会が現存している」ということが神様の大いなる善性のあらわれであることに気づくことを、願っています。私たちは今「教会」を新約聖書の視点から「理想の教会」としてとらえます。ひどく荒れているかもしれない「現実の教会」ではないことに注意してください。

「エフェソの信徒への手紙」を調べていくときには、いくつかの言葉の意味を正確に定めておくことが大切です。これから先は「教会」という言葉を次の意味で用います。私たちはニケア信条で「唯一の教会」が存在することを信仰告白します。ですから、この「教会」という言葉で、天国への旅の途上にある人たち皆が属している「世界に広がっている聖徒の集まり」を意味している場合には、太線で書くことにします。ほかの場合には、ふつうの線で「教会」と書くことにします。なお、フィンランドではふつう「教会」は、ある教派の教会組織(たとえばルーテル福音教会)をさし、「各個地方教会」から区別されています。

教会に関する問題、すなわち、真の教会と偽の教会、さまざまな教派の教会組織、聖徒の結びつきに関する問題、については後ほどこのガイドブックでも取り扱うことになると思います。唯一の教会が存在すること、また、「エフェソの信徒への手紙」ではこの言葉には肯定的な意味のみがあり、教会の本質を照らし出す多くの印象的なイメージが用いられていることを、ここではおさえておきましょう。