2011年6月29日水曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」16章13~24節 勧めと挨拶

   
勧めと挨拶 16章13~24節
 
パウロは手紙を終えるにあたり、さらにいくつか勧めの言葉を与えています。
「目を覚ましていなさい」というのは、「主の再臨を待ち望みなさい」という意味です。
キリストの再臨の日は、パウロの心から決して離れることがなかったように見えます。
パウロは、目を覚まし主の再臨を待つということを、コリントの教会の争いにも、また復活に関する論争にも、緊密に関係付けています。
 
ステファナ、アカイコ、フォルトナトは、パウロと共にエフェソに滞在したことがあります。
今回彼らはパウロの手紙をコリントへと届けてくれました。
手紙は、「ステファナのように教会のために大いに労苦している人たちをできるかぎり支えて、彼らの仕事への感謝の証を示すように」、と勧めています。
  
終わりの挨拶の中では、22節の「マラナタ」(「私たちの主よ、来てください!」という意味のアラム語です)という短い言葉に注目するべきでしょう。
これは初期の教会の聖餐礼拝で響き渡った初代クリスチャンたちの祈りの叫びなのです。
このように、真のクリスチャンは主の再臨を待ちつづけるのです。
  

2011年6月17日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」16章5~12節 現地訪問

 
現地訪問 16章5~12節
 
使徒パウロはエフェソからこの手紙を書いています。
彼はそこから船でコリントへと手際よく渡ることができました。
パウロは使徒の教会視察としての旅をつづける予定でした。
あきらかに彼は、同じ旅行の行程で、マケドニアの諸教会、テサロニケ、フィリピ、べレアの信徒たちと連絡を取り使徒としての義務を果たすことをめざしていました。
また、パウロはコリントにしばらく滞在する予定でした。
しかし、「コリントの信徒への第二の手紙」からわかるように、この計画は実現しませんでした。
パウロはコリントを訪れはしましたが、早急にその地を離れるべきであるとの判断を余儀なくされたのです(このことについては、このガイドブックの「はじめに」の部分を参照してください)。
パウロがコリントの信徒たちから派遣されて宣教の旅を継続する、などということは夢想すらできないひどい状況だったわけです。
 
エフェソにパウロはペンテコステの時期まで滞在する予定でした。
ユダヤ人たちはペンテコステを「レビ記」23章15~22節の規定に従ってお祝いしました。
このお祝いはイースターの50日後に行われました。
ここでパウロがユダヤ教のペンテコステについて話しているのか、それとも、キリスト教のペンテコステ(聖霊降臨)について話しているのか、はっきりしません。
エフェソでは、ある人たちは福音を信じ、またある人たちは福音を憎むようになりました。
エフェソでパウロの身の上に何が起こったのか、その詳細を私たちは知りません(15章32節を参照してください)。
「使徒の働き」には「大騒乱があった」と記されています(19章)。
熱心に福音の側に立つ者もいれば、本気で福音に反対する者もいました。
パウロにとってこれは他のところでも経験済みの状況でした。
  
テモテがコリントに来ようとしていたのは、まず間違いありません。
それに対して、アポロは事態の沈静化を待っていました。
1~4章からわかるように、多くのコリントの信徒たちはアポロをパウロの競争相手とみなしていました。
今パウロは、少なくとも彼とアポロという二人の説教者の間には仲違いがないことを示そうとしています。
アポロは確かに使徒パウロとは独自の行動をとっていて、彼の熱心な忠告にも耳を貸そうとはしません。
にもかかわらず、アポロは「兄弟アポロ」であって、パウロはアポロがコリントにいることに対して何の反対もしません。
むしろ逆です。
私が想像するに、コリントの教会は、今やあまりにも手がつけられない状態になってしまい、アポロにしても、このような「蜂の巣」に鼻を突っ込むような真似は避けたかったのでしょう。
  

2011年6月15日水曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」16章1~4節 

これからの計画
  
「コリントの信徒への第一の手紙」16章
 
 
エルサレムの貧しい人々のための献金 16章1~4節

  
エルサレムの使徒会議でなされた唯一の決定事項は、「貧しい人々のことを覚える」ということでした(「ガラテアの信徒への手紙」2章10節)。
もちろんパウロは、「自分にもそれを実行する義務がある」、と言っています。
これはいわゆるふつうの「貧民援助」ではありませんでした。
それには深い神学的な根拠があったのです。
福音はユダヤ人の中からはじまりました。
異邦人クリスチャンは、自分たちがこのことを自覚しているということを、「愛の贈り物」を通してエルサレムの教会に対して示さなければならないのです。
パウロは約束を実行する意志を固め、自分のためではなくエルサレムの聖徒たちのために、献金を熱心に集めます(「コリントの信徒への第二の手紙」8章1~7節や「ローマの信徒への手紙」15章25~29節も参照してください)。
1~4節でパウロは、献金を集める際の詳細な指示をコリントの信徒たちに与えています。
彼はこの献金活動を非常に重要視していたので、「コリントの信徒たちの献金活動がうまくいかずに落胆する」、といった構図は彼にとっては思いもよらないことでした。
  

2011年6月13日月曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」15章50~58節 全員死ぬのでしょうか?

全員死ぬのでしょうか? 15章50~58節
   
この章のおわりは、復活と最後の裁きとがパウロの考えの中で互いに緊密に結びついていたことを明瞭に示しています。
キリストが再臨されるときに、あるクリスチャンたちはまだ生きています。
それはしかし、彼らがそのまま神様の御国の中に歩みながら入っていくという意味ではありません。
「滅び行くもの」が「不滅のもの」を受け継ぐことはできないからです。
ここでのポイントは、キリストの再臨までにクリスチャン全員が死の眠りに就くわけではない、ということです。
しかし、キリストの再臨の際には、クリスチャン全員の上に変化が起こります。
その時にまだ生きているクリスチャンたちには、その変化は突然起こるのです。
このようにして「滅び行くもの」は「不滅のもの」を身にまといます。
ここでもまた、死や復活においてと同じことが実現します。
すなわち、「死は呑み込まれ、勝利が得られた」のです(55節)。
この来るべきキリストの再臨の光景をしっかりと見据えて、コリントの信徒たちはクリスチャンとして自らを鍛錬し続けていかなければならないのです。
  

2011年6月3日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」15章35~49節 人間の死後の状態

 
人間の死後の状態 15章35~49節
 
パウロはまた、死者がどのように復活して、どのような身体で生きることになるか、語っています。
彼はたとえを用いていますが、たとえで覆われたカーテンの後ろには、まだ多くのことがらが隠されたままなのです。
とはいえ、それについて何かしら語ることはできるでしょう。
この世での人生の間に、私たちは「はじめの人間、アダム」と同じような存在です。
しかし、来るべき命のときには、私たちはもうひとりの「はじめの人間、イエス様」のようになるのです。
私たちの変化は、滅びるはずの者が不滅を身にまとい、死すべき者が不死に包まれることによって起こります。
ここで、「身体のよみがえり」がそのポイントです。
もしも私たちの中から何かがよみがえるのだとしたら、人間全体が栄光を受けた存在としてよみがえることになるのです。
種が畑に蒔かれて、そこから植物が生えてくるのと同じように、死者の中からよみがえらされた人間と、この世で生きていた頃の人間との間には、どこかしら深い共通点と相違点があります。
このことについてパウロは、多様なたとえを用いて説明しています(ほの暗く光る星と光り輝く星、あるいは、魚の肉と鳥の肉、というように)。
(復活した)私たちがどのような存在になるのか、正確にはわかりません。
この点でも、私たちの好奇心は満たされないままです。
しかし、その時を待ちつづける忍耐があるならば、いつかそれを見ることができます。
大切なのは、キリストは死者の中から復活して、死の力を私たちのためにも打ち砕いてくださった、ということです。

2011年6月1日水曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」15章29~34節 復活がなければ、すべては徒労

  
復活がなければ、すべては徒労 15章29~34節
 
29節については、少なくとも30通りの解釈が提示されていますが、大部分の説明はよくないものです。
コリントの信徒たちは、ここで何が問題になっているか、知っていました。
「復活した後で、クリスチャンの家族や親戚と一緒になるために、クリスチャンになる人たちがでてきた」、というのはありえる見方です。
しかし、より真実に近いと思われる解釈は、「コリントの教会には、すでに死んだ家族や親戚のことも救い出すために、洗礼を受ける人たちがいた」、というものです。
パウロはこのことに関しては、認めもせずまた斥けてもいません。
彼は、こうしたケースを提示することで、復活の意味を強調しているのです。
もしも復活がないのならば、そのような洗礼は無意味です。
そして、使徒たち全員の労苦も、彼らが自らを危険にさらしたことも、無駄だったということになります。
このように復活は、それとともに教会が立つか倒れるか、というほどに大切な信条なのです。