2016年5月30日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 14章 「弱い」教会員とは誰か?(その1)



「ローマの信徒への手紙」14章 「弱い」教会員とは誰か?(その1


「弱い」教会員たちの意見は、
この箇所からは部分的にしかわかりません。
おそらくパウロはここで、
ローマの教会内部の問題について話しているのではないでしょう。

もっとも、
地方に点在する各個教会の一群を大きな一つの教会と見なす場合には、
もちろんこの話題はローマの教会にも関係してきますが。

パウロは他の教会での自身の体験について話しているのでしょう。
ここでの話題とかなり似通った内容のことがらを、
彼は「コリントの信徒への第一の手紙」810章においても取り上げています。
「弱い」キリスト信仰者は「強い」キリスト信仰者ほど強情ではない、
とは必ずしも言えません。
推測の域を出ないある種の理由から、
彼ら「弱い」キリスト信仰者たちは肉を食べることを拒否しました。
肉食を拒むことには多くの理由が考えられます。
異邦人の間では、
それは当時の一般的な考え方のひとつであったとも言えます。

2016年5月20日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 14章 皆で仲良く

皆で仲良く

「ローマの信徒への手紙」14

14章でパウロは
12章で始めたテーマ(キリスト信仰者の正しい生き方)を続けます。
これらの指示の中で今回扱う一連の指示は、
一番単純でもあり一番困難でもあるものです。
単純な真実の事柄を習得するために、
私たちはその全人生を費やすことになるわけです。


この章でパウロは
「強い」教会員と「弱い」教会員という表現をしています。
「強い」教会員はキリストへの信仰を十分にもっているため、
ある種の慣習に従うのをやめることができます。
「弱い」教会員にはこの「強い」信仰が欠けています。

パウロは当時の懸案事項を二つ指摘します。
一つ目は、
ある者は気にせず肉を食べたが、ある者は食べなかった、
という問題です。
もう一つは、
ある者は特定の日をお祝いしたが、ある者はそうしなかった、
という問題です。

2016年5月13日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 第11回目の質問

11回目の集まりのために

「ローマの信徒への手紙」13

公的権力に対して従順な態度を取り、
キリスト信仰者にふさわしい愛を保ちながら
常に目を覚ましているように
とパウロは勧めています。

1)マルティン・ルターにとって「ローマの信徒への手紙」のこの章は
後にとても大切なものとなりました。
彼はこの章に基づいて
「この世での公的権力は神様が設置なさったものである」と教えました。
かりに公的権力が存在しなければ、いかなる事態が発生するでしょうか。
このことに関連して、
停電状態になった大都市ニューヨークでどのようなことが起きるか、
を想像してみましょう。
たとえば、
警報装置が作動しないため商店からの略奪が無制限に行われることでしょう。
このことは人間というものについてどのようなことを教えてくれますか。
私たちの国は警察が存在しない場合にも秩序が維持されるものでしょうか。

2)自国民を敵に回して流血の事態を招くことも辞さない
残虐で横暴な国がこの世には存在します。
このような事態の最中におかれたキリスト信仰者は
どのような行動をとることができるでしょうか。

3)民主主義国家においては、
国民が国政に参加して批判も行うという積極性が
国民に対して期待されています。
この点で、今の時代はパウロの時代とは状況が異なっています。
ということは、
公的権力に対する従順な態度を教えるこの手紙の箇所は
今ではもう意味を失ってしまったのでしょうか。
腹立たしい税金や内容的に愚かな法制についてはどう考えるべきなのでしょうか。

4)キリスト信仰者である若者は良心の咎めを感じないで、
国の決めた徴兵義務に従い軍隊に行くことができるでしょうか。
教会が武器について神様からの祝福を願うケースについてはどう思いますか。

私たちは戦争兵器一式共々軍隊を放棄して、
必要に応じて武器を使用する警察だけを容認することが可能でしょうか。