2026年10月2日金曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」1章5〜9節 キリスト教会の指導者(牧師)の持つべき特徴(その2) 

キリスト教会の指導者(牧師)の持つべき特徴(その2)

「テトスへの手紙」1章5〜9節 


「テトスの手紙」の挙げる教会の指導者に求められる諸項目は
「テモテへの第一の手紙」3章1〜12節にある
一連の要求項目と似通っています。
相違点として
「テトスへの手紙」では自制心と慎み深さの重要性が
「テモテへの第一の手紙」よりも強調されています
(2章2、6、12節、「テモテへの第一の手紙」3章8節)。

 

「長老は、責められる点がなく、

ひとりの妻の夫であって、

その子たちも不品行のうわさをたてられず、

親不孝をしない信者でなくてはならない。」

(「テトスへの手紙」1章6節、口語訳)

 

「ひとりの妻の夫」という表現は結婚における忠実さを強調しています。

これは教会の指導者が必ず既婚者でなければならないとか、

やもめとなった場合には再婚しなければならない

という意味ではありません

(「テモテへの第一の手紙」3章2節も参考になります)。

 

「監督たる者は、神に仕える者として、

責められる点がなく、わがままでなく、

軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、

かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、

自制する者であり、教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。

それは、彼が健全な教によって人をさとし、

また、反対者の誤りを指摘することができるためである。」

(「テトスへの手紙」1章7〜9節、口語訳)

 

教会の指導者である「監督」の仕事とは

奇抜な教義や聖書解釈を捏造することではなく、

使徒たちから受け継いできた「教え」を忠実に伝えていくことです。

パウロは牧会書簡において

「健全な教」、

「わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教」、

「わたしから聞いた健全な言葉」

の重要性について繰り返し述べています

(「テモテへの第一の手紙」1章10節および6章3節、

「テモテへの第二の手紙」1章13節および4章3節で

合計8回の言及があります)。

これはパウロの他の手紙にはみられない特徴です。

しかしこれは、

パウロが他の手紙ではキリスト教信仰を「教え」として明示しなかった

という意味ではなく、

別の言いかたも用いることがあったということです。

例えば「ローマの信徒への手紙」の6章17節および16章17節でも

パウロは「教え」について述べています

(「伝えられた教」、「あなたがたが学んだ教」)。

最初期からキリスト教信仰は

ある種の「教えのかたち」を絶えず保ち続けてきたのです。

 

上掲の箇所で教会の指導者たちには

「二つの声」が要求されていることに注目しましょう。

彼らには福音の宣教者として

キリスト信仰者たちを励ます使命が与えられているのです。

その一方で、彼らには異端の教えの誤謬を看破する責務もあります。

 

2026年9月28日月曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」1章5〜9節 キリスト教会の指導者(牧師)の持つべき特徴(その1)

 キリスト教会の指導者(牧師)の持つべき特徴(その1)

「テトスへの手紙」1章5〜9節

 

「あなたをクレテにおいてきたのは、

わたしがあなたに命じておいたように、

そこにし残してあることを整理してもらい、

また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない。」

(「テトスへの手紙」1章5節、口語訳)

 

パウロはテトスをクレテ(クレタ島)に残しました。

「使徒言行録」には

パウロがクレテで福音を宣べ伝えたという記述はありません。

記されているのは、

カイザリヤからローマに囚人として護送される途中で彼がクレテを訪れた

ということだけです(「使徒言行録」27章7〜12節)。

パウロはローマでの最初の投獄生活から解放された後にクレテを訪れた

とも考えられます。

 

テトスのやるべき仕事は

クレテの諸教会の事柄を整理し

町々の教会に「長老」を立てていくことでした

(「テモテへの第一の手紙」4章14節、

「テモテへの第二の手紙」1章6節も参考になります)。

 

ギリシア語で「長老」(1章5節)は「プレスビュテロス」、

「監督」(1章7節)は「エピスコポス」といい、

西暦一世紀にはどちらの単語も教会の指導者を意味していました。


「長老」が各個教会を指導し

「監督」(英語の「ビショップ」に相当します)が同じ町の中にある各個教会を

一括して指導するという責任分担体制が一般化したのは

西暦二世紀に入ってからです。


「使徒言行録」20章17節および28節は

エフェソにある諸教会の指導者たちを

「長老」とも「監督者」とも呼んでいます

(「ペテロの第一の手紙」5章1〜2節の

「長老」についての記述も参考になります)。

 

パウロは各個教会の指導を信頼できる男たちに委ねては

新しい町々へと旅を続けていきました

(「コリントの信徒への第一の手紙」1章7節

および3章5〜11節および16章10〜12節、

「フィリピの信徒への手紙」2章19節)。

 

クレテからきたユダヤ人たちは

最初の聖霊降臨日(「五旬節の日」)の時には

すでにペテロの説教を聞いていました

(「使徒言行録」2章1、11節)。


しかしクレテにキリスト教会ができたのは

おそらく60年代であったと思われます

(上掲の「テトスへの手紙」1章5節を参照してください)。


クレテの教会の指導者たちが満たすべき諸項目の中には

「信者になって間もないものであってはならない」

(「テモテへの第一の手紙」3章6節)

という項目は含まれていません。


歴史が浅かったクレテの教会には

経験豊富なキリスト信仰者がそもそも存在しなかったのでしょう。

2026年9月4日金曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」1章1〜4節 はじめのあいさつ(その2)

はじめのあいさつ(その2)

「テトスへの手紙」1章1〜4節


神様は偽りを言われません(1章2節)。
神様の啓示は真理です。
偽りを言うのは人間たち(1章12節)や
悪魔(「ヨハネによる福音書」8章44節)のほうです。

 

この世の始まる前(「永遠の昔」)に

神様は人類を罪の圧制下から救い出すことをお決めになりました

(1章2節、他に

「エフェソの信徒への手紙」3章8〜11節、

「コロサイの信徒への手紙」1章25〜26節、

「テモテへの第二の手紙」1章9節も参照してください)。

 

「神は、定められた時に及んで、

御言を宣教によって明らかにされたが、

わたしは、わたしたちの救主なる神の任命によって、

この宣教をゆだねられたのである。」

(「テトスへの手紙」1章3節、口語訳)

 

神様は「定められた時に及んで」この救いの計画を実現なさいました

(「ガラテアの信徒への手紙」4章4節)。

神様はこの救いを宣べ伝えていく使命を

パウロや他の使徒たちに委ねられたのです

(「テモテへの第一の手紙」2章6節)。

 

パウロは「救い主」(ギリシア語で「ソーテール」)という単語を

新約聖書で12回用いており、

そのうちの半数(6回)は「テトスへの手紙」に登場します。

この手紙でパウロは「神」という単語を

3回(1章3節、2章10節、3章4節)、

「イエス」という単語を3回

(1章4節、2章13節、3章6節)用いています。

 

「信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。

父なる神とわたしたちの救主キリスト・イエスから、

恵みと平安とが、あなたにあるように。」

(「テトスへの手紙」1章4節、口語訳)

 

前述のようにテトスはパウロの伝道を通してキリスト信仰者となりました。

テトスはパウロの最も近しい同僚の一人でしたが、

新約聖書は彼についてあまり記述していません。

2026年8月31日月曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」1章1〜4節 はじめのあいさつ(その1)

 異端との戦い

「テトスへの手紙」1章

 

はじめのあいさつ(その1)

「テトスへの手紙」1章1〜4節

 

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――

わたしが使徒とされたのは、

神に選ばれた者たちの信仰を強め、

また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、

偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基づくのである。」

(「テトスへの手紙」1章1〜2節、口語訳)

 

新約聖書のこの箇所でのみパウロは自分のことを

「神の僕」と呼称しています。


「ローマの信徒への手紙」1章1節と

「フィリピの信徒への手紙」1章1節ではパウロは自分を

「イエス・キリストの僕」や「キリスト・イエスの僕」と呼んでいます。


また「ヤコブの手紙」1章1節でヤコブは自分のことを

「神と主イエス・キリストとの僕」と呼んでいます。

 

「神の僕」としてパウロに与えられた使命は福音を宣べ伝えることでした。

それゆえ彼は自分のことを「使徒」とも呼んでいました。

「使徒」はギリシア語で「アポストロス」といい

「使わされた者(遣わされた者)(男性)」という意味があります

(この単語の動詞形「アポステッロー」は

「使わす(遣わす)」という意味です)。

パウロは神様からの「よい知らせ」(福音)を宣べ伝えるために使わされたのです。

 

ギリシア語原文でのパウロの文章は一文がとても長いものが多くあります。

例えば「ローマの信徒への手紙」1章の1節のはじめから7節の終わりまでは

ギリシア語では一文を構成しています。

「テトスへの手紙」1章でも1〜4節は一つの文です。

このままでは読みにくいし意味も汲み取りにくくなるために

翻訳ではいくつかの文に分けて訳されることがしばしばみられます。

このガイドブックで使用している口語訳でもそのようになっています。

 

「信仰」(ギリシア語で「ピスティス」)と

「真理の知識」(ギリシア語で「エピグノーシス・アレーテイアース」)

(1章1節)とは互いに一つに結びついています。


私たちキリスト信仰者の信仰は真理に基づいて構成されています。


例えばイエス様の復活の歴史的な真実性は

キリスト教信仰にとってあまり重要ではないと考える人々もいますが、

次の引用箇所にあるように

パウロ(および他の最初のキリスト信仰者たち)は

それとは異なる考えかたをしていました。

 

「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、

あなたがたの信仰は空虚なものとなり、

あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

そうだとすると、

キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって

単なる望みをいだいているだけだとすれば、

わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

しかし事実、

キリストは眠っている者の初穂として、

死人の中からよみがえったのである。」

(「コリントの信徒への第一の手紙」15章17〜20節、口語訳)。

2026年8月21日金曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック 「テトスへの手紙」について

「テトスへの手紙」について 


「テトスへの手紙」は「テモテへの第一の手紙」とよく似ています。

パウロはアポロとゼナスがクレテに行こうとしていることを知って、

テトスに教会の牧会に関する指示を送りました(3章13節)。

パウロは「テモテへの第一の手紙」と「テトスへの手紙」を

おそらく同じ時期にコリントあるいはエフェソで書いています。

「テモテへの第二の手紙」はそれらよりも後で書かれた

「使徒の遺言」とでも呼べる手紙です。

 

ニコポリで越冬する予定を立てていたパウロは

テトスが自分のところを訪れるようにするために

アルテマスかテキコをテトスの代理として

クレテに派遣するつもりでいました(3章12節)。

「テモテへの第二の手紙」でパウロは

テトスがダルマテヤに出発したと述べています

(「テモテへの第二の手紙」4章10節)。

これがテトスに関する聖書の最後の記述です。

 

クレテ(クレタ島のこと)は不道徳さで悪名高い土地でした

(1章10〜16節)。

しかしパウロはテトスなら困難な状況も打開できるであろう

と信頼していたようです。

 

2章11〜14節にはキリスト教の信仰がまとめられています。

 

次の節を含む3章4〜7節では

洗礼と聖霊様との緊密な関係が明快に述べられています。

洗礼において神様は私たちを救われたのです。

 

「わたしたちの行った義のわざによってではなく、

ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、

聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである」

(「テトスへの手紙」3章5節、口語訳)

2026年8月12日水曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック テトスについて(その2)

 テトスについて(その2)

パウロはテトスをエフェソからコリントに派遣しました。

その目的はコリント教会に生じた問題を解決することでした。

その際おそらくテトスはいわゆる「涙の手紙」

(「コリントの信徒への第二の手紙」2章3〜4、9節

および7章8節で言及されている現存していない手紙)

を携えていたものと思われます。

テトスはコリント教会の混乱を収めることができましたが、

コリントからの便りがなかったため心配したパウロはマケドニヤに赴いて

(「コリントの信徒への第二の手紙」2章13節)テトスと再会し、

コリントの教会についての朗報をそこでようやく耳にしました。


マケドニヤでパウロは「コリントの信徒への第二の手紙」を書き上げ、

テトスをふたたびコリントに派遣します。

その目的はエルサレム在住の貧しい信徒たちのために

献金を集める計画を遂行させることでした

(「コリントの信徒への第二の手紙」8章15節)。


パウロはテトスを

「わたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者」

と呼んでいます(「コリントの信徒への第二の手紙」8章23節)。

 

「テモテへの第二の手紙」4章10節によれば、

テトスはダルマテヤに滞在したことがあります。

 

なお、教父エウセビオスは著書「教会史」で

テトスがクレテの初代の教会長となり、その地で高齢にて没したと述べています。

2026年8月10日月曜日

「テトスへの手紙」ガイドブック テトスについて(その1)

 「テトスへの手紙」ガイドブック

 

フィンランド語版執筆者 パシ・フヤネン

(フィンランド・ルーテル福音協会、牧師)

 

日本語版翻訳・編集者 高木賢

(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)

 

聖書の引用は原則として口語訳によっています。

引用箇所に章と節のみが記されている場合は

「テトスへの手紙」からの引用です。

ただし「「コリントの信徒への第一の手紙」1章13節および3章2節」

といった表記の場合には

どちらも「コリントの信徒への第一の手紙」からの引用です。

また日本語版では

聖書の箇所を明示したり原語の文法的な補足説明を加えたりするなど

日本の読者を考慮した編集がある程度なされています。

 

 

 

「テトスへの手紙」について

 

「テトスへの手紙」1章 異端との戦い

「テトスへの手紙」2章 教えと信仰生活

「テトスへの手紙」3章 この世で生きるキリスト信仰者として

 

 

テトスについて(その1)

 

テトスは新約聖書で13回その名が出てきます

(「テトスへの手紙」1章4節、

「コリントの信徒への第二の手紙」2章13節

および7章6、13、14節

および8章6、16、23節

および12章18節(2回)、

「ガラテアの信徒への手紙」2章1、3節、

「テモテへの第二の手紙」4章10節)。

しかし驚くべきことに「使徒言行録」には彼の名は一度も出てきません。

これはテトスがルカの親戚だった(もしかしたら兄弟でさえあった)

からではないかという推測もなされていますが、

たんなる仮説にすぎず確実なことは何も言えません。

            

テトスはギリシア人キリスト信仰者

すなわち異邦人の背景を持つキリスト信仰者でした。

ユダヤ人キリスト信仰者たちから要求されたにもかかわらず、

パウロはテトスに割礼を受けさせることを断固として拒絶しました

(「ガラテアの信徒への手紙」2章1〜4節)。

それとは対照的に、

パウロはテモテが割礼を受けることは承認しています

(「使徒言行録」16章3節)。


ユダヤ人の母親を持つテモテはユダヤ人とみなされたため、

パウロは

割礼を受けていないユダヤ人を自分の伝道グループに同行させることから

生ずるかもしれないユダヤ人たちとの間の軋轢を

できるかぎり避けたかったのです。


しかし、テモテとは異なりテトスは異邦人でした。


パウロがエルサレムに赴いて使徒会議に参加したのは

「異邦人も割礼を受けるべきかどうか」について

そこで議論されることになっていたからです

(「ガラテアの信徒への手紙」2章1節、

「使徒言行録」15章1〜2節)。


このことを踏まえると、

テトスはいわば「テスト・ケース」であったことがわかります。


もしもテトスが割礼を受けなければならないとしたら、

他の異邦人キリスト信仰者も皆

テトスと同じように割礼を受けなければならないことになります。

しかし、もしもテトスが割礼を受ける必要がないのなら、

他の異邦人キリスト信仰者も皆

割礼を受ける必要がないことになります。


パウロはすでに40年代にはテトスと知り合っていました。

テトスはシリヤのアンテオケのキリスト信仰者であり、

おそらくパウロの伝道を通してキリスト信仰者になったものと思われます

(1章4節)。