2017年9月22日金曜日

使徒信条(ラテン語版から訳出)

1500年代に本格化した宗教改革において誕生した
福音ルーテル教会(福音ルター派教会)は、
キリスト教信仰についての自らの立場を
「ルーテル教会信条集(一致信条書)」に明記しました。

この信条集には、
古来より西方教会の教えの根幹として公認されてきた
三つの信条(信仰告白)が含まれています。
この事実は、
ルーテル教会が西方教会の教えの伝統を尊重し
忠実に継承してきたことを示しています。

これら三つの信条、
使徒信条、ニケア信条、アタナシウス信条をラテン語版より訳出します。
今回は使徒信条です。
(高木賢、フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)


使徒信条(ラテン語版から訳出)[1]

天地の造り主、
全能の父なる神様を
私は信じます。

そして、
神様のひとり子、私たちの主なるイエス・キリストを
私は信じます。

主は聖霊様によりて[2]宿り、
処女マリアから[3]生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、
死んで葬られ、
よみにくだり[4]
三日目に死者の中から復活し、
天にのぼり、
全能の父なる神様の右に座られました。
主はそこから来て、
生きている者と死んだ者を裁かれます。

聖霊様を
私は信じます。
また、
聖なる公同の教会[5]
聖徒の交わり、
罪の赦し、
からだの復活、
永遠のいのちを信じます。

アーメン。





[1] Die Bekenntnis-Schriften der evangelisch-lutherischen Kirche
1998  Herausgegeben im Gedenkjahr der Augsburgischen Konfession 1930. 12. Aufl., 47. -49. Tsd.
Göttingen : Vandenhoeck & Ruprecht.
 s. 21. “Symbolum Apostolicum”
[2] ”de”
[3] ”ex”
[4] ”descendit ad inferna”
[5] ”sanctam ecclesiam catholicam”

2017年9月13日水曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その10)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その10)

フィンランド語版著者 
ヤリ・ランキネン(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版編集・翻訳者 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)

「キリストのからだであることをわきまえないで聖餐を食べまた飲む者は、
自分に対して裁きを食べまた飲むことになります」
(「コリントの信徒への第一の手紙」11章29節)。

聖餐の食卓からキリストや恵みを求めない者もまた、
キリストのからだと血をいただきます。
ただし、その場合にはその人は裁きを受けることになってしまいますが。
ですから、聖書が聖餐式について教えていることを軽視する者は、
聖餐式に参加するべきではありません。
それほどまでに聖餐式は聖なるものだからです。

子どもが聖餐式をほかの食べ物から区別することを知っており、
「聖餐式はイエス様とお会いすることだ」と知っているなら、
その子どもには聖餐を配ることができます。
こうした問題について、子どもからはあまり要求しすぎてはいけません。

初期のキリスト教会では、
ひどい罪を行っている者に対しては
聖餐をあずからせないようにすることがありました
(「コリントの信徒への第一の手紙」5章5節)。

罪を悔い改めようとはしない人間はどのような場所へ落ちていくか、
ということを教えるために、教会はこのように行ってきたのです。
罪を悔い改めようとはしない者は、
神様の恵みを受け入れていないのですから、
その当然の報いとして神様のおられない場所へと落ちていくほかありません。

教会は今でも同じように教え、また実行するべきです。

そうすることは、
滅びへの道へとさまよいこんでいる多くの人々にとって必要なことであり、
きわめて真剣な警告を発することでもあり、
また、その人が救われることを親身になって心配していることを
教会自身が示すことにもなるでしょう。

そうすることはまた、
私たちが実際に「永遠の滅び」という状態が存在することを
本当に信じていることを示すことにもなります。


女性牧師の配る聖餐式は正しい聖餐式でしょうか?
私はこのことをあるフィンランド福音ルーテル教会の教会長(ビショップ)
に尋ねたところ、彼はこう答えました、
「私はわかりません。
神様の明瞭な御言葉に反して牧師になった人間が
施行したり配ったりする聖餐式を、神様が祝福してくださるかどうか、
私は知りません。
私自身は確実な道を選びます。
ですから、私は確実に聖餐をいただける聖餐式に連なるし、
他の人たちにもそうするように忠告しています」。

2017年9月8日金曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その9)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その9)

フィンランド語版著者 ヤリ・ランキネン
(フィンランド・ルーテル福音協会牧師)
日本語版編集・翻訳者 高木賢
(フィンランド・ルーテル福音協会)

どのような人が聖餐式に参加できるのでしょうか?
イエス様は聖餐の食卓におられ、
みもとに来るように呼びかけておられます。
2000年前に、
イエス様にとって「悪すぎる人」は誰もいなかったし、
イエス様を必要としないほど「善すぎる人」もいませんでした。
これは今も変わりません。


「自分が聖餐式に参加するために十分ふさわしい状態になってから、
聖餐式に行こう」、と考えている人が驚くほどたくさんいます。

ところが、ルターは次のように書いています、
「もしもあなたが本当に自分の義や清さを見つめて、
もはや何ものもあなたを誘惑できないような状態に至るまで
努力するつもりでいるなら、
あなたはいつまでたっても
決して聖餐式に参加することができないでしょう」。

悪魔は人にその人の罪をこれみよがしに示してきます。
なぜなら、
悪魔は人がイエス様から離れたままでいることを望んでいるからです。

聖餐式というのは、
人が目を自分自身から完全に背けて、
イエス様を見つめることにほかなりません。

イエス様から人は、
神様の子どもが生活を続け天国に入るために必要なすべてのものを、
贈物としていただくのです。

2017年9月1日金曜日

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その8)

私たちは聖餐について何を信じていますか?(その8)


「あなたがたは、
このパンを食べ、この杯から飲むたびごとに、
主の死を宣べ伝えているのです」
(「コリントの信徒への第一の手紙」11章26節)。

聖餐式は、イエス様の死を宣べ伝えています。
聖餐式は、イエス様の十字架について語る説教と同じように働きかけます。
すなわち、
十字架の意味がはっきりと示され、信仰が強められます。

どのようにして聖餐式がこのような働きかけをするのか、
私たちにはわかりません。
「私たちの信仰を強めてくれるのは、
私たちの理解力の及ぶことがらだけである」、
と私たちは考えがちなのです。

にもかかわらず、
聖餐式は実際に私たちの信仰を強めてくれるのです。
説明しようがない方法で、聖餐式は信仰を養ってくれます。

「主の死」を宣べ伝えることは、信仰について証することでもあります。
日曜日の朝に教会に行き、そこで聖餐にあずかるとき、
あなたはあなたの主を証しているのです。