2018年5月23日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック おわりのメッセージ

おわりのメッセージ

「イエスは彼に言われた、
「わたしは道であり、真理であり、命である。
だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
(「ヨハネによる福音書」14章6節、口語訳)

主はあたかも次のようにおっしゃりたいかのようです。
「私はあなたたちに対して忠実でありたいし、
あなたたちのことを深い海を超えて死から永遠の命へ、
この世と悪魔の帝国から天の父の御許へと連れて行きたいと強く願っています。
だからこそ、私自身が道、真理、命であろうとするのです。
私についてはそのような存在(道、真理、命)として
呼称されるのが至当だからです。」

ここで注目していただきたい。
私の理解によれば、
冒頭の御言葉は今も同様にキリストお一人のみを指しています。
キリストは初めに道であり、次に真理であり、最後には命であられます。
どのような場合にもキリストは「すべて」なのですから。
初めも続きも最後もすべて含めて私たちの救いなのです。
キリストを初めの「石」として受け入れましょう。
そして、この石を礎として次々とほかの石を積み重ねていきましょう。
キリストは、天まで延びる梯子における最下段の横木であり、
また真ん中の横木であり、さらに最上段の横木でもあります。

この御言葉の核心にあるメッセージは次のようなものです。
「信仰を通してキリストにしっかり繋がりなさい。
そうすれば、あなたは正しいやりかたで物事を始めることになります。
キリストに自らの安全を求めなさい。
そうすれば、正しいやりかたで人生を送ることができます。
終わりまでキリストのうちに留まりなさい。
そうすれば、あなたは救いの幸いに与ることができます。」


(マルティン・ルター)

以上で「フィレモンへの手紙」ガイドブックの配信をおわります。

2018年5月16日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック おわりの質問


「フィレモンへの手紙」についてのおわりの質問

パウロはこの手紙を通してフィレモンに接触を試みます。
フィレモンの奴隷であるオネシモの件が
この手紙の中心的な話題になっています。
使徒パウロは
友人フィレモンがこの奴隷を懲罰することなく
ふたたび受け入れてくれることを懇願しています。
この手紙からは、
パウロがどれほど真剣に
キリスト信仰者一人一人のことに心を砕いていたかが伝わってきます。

1)「フィレモンへの手紙」を三回ほど通読してみてください。
それからまず、
パウロのこの手紙を読んだフィレモンがどのようなことを考えたか、
推測してみてください。
そして次に、
使徒パウロの手紙の言葉を聞いたオネシモは何を思ったか、
考えてみてください。
最後に、
パウロの手紙の内容を聞いたフィレモンのほかの奴隷たちが
どのような感想を持ったか、
想像してみてください。

2)イエス様が私たちのために何をしてくださったか、
私たちは必要十分にわかっているのでしょうか。
もしもよくわかっているとしたら、
どのような結果が生まれるでしょうか。

3)「兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。
聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」(7節、口語訳)

フィレモンを通してキリスト信仰者たちの心が力づけられた、
とパウロはこの節で書いています。
ここで使徒はいったい何を伝えたいのでしょうか。
私たちを通しても、
ほかのキリスト信仰者たちの心が力づけられることがあるでしょうか。
そのようになるために、
私たちには何ができるでしょうか。

4)使徒として自分がもっている権能を、
パウロはフィレモンに対してあえて行使しませんでした。
私たちは、
ほかの人々の益となるために
自らの地位や権力をあえて利用しない心構えができていますか。

5)私たちはほかのキリスト信仰者たちについても心を砕いていますか。
これは具体的にはどのような態度を指しているのでしょうか。
「正しい心配り」と「間違った心配」の相違点について考えてみてください。

6)パウロのこの手紙を読んだ後、
フィレモンはオネシモに対してどのような態度をとったと思いますか。
あなたの導き出した答えを理由付きで説明してみてください。

7)私たちはほかの人々に対してその罪を赦す心構えができていますか。
もしもほかの人の罪を赦すことが
自分にとって何らかの損害をもたらす場合であっても、
私たちは赦す心を保つことができるのでしょうか。
どのようにしたら私たちは
「ほかの人の罪を赦す」という姿勢を学ぶことができるのでしょうか。


2018年5月7日月曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック おわりの挨拶 23〜25節

おわりの挨拶 23〜25節

パウロのところにいた皆がそろって、
フィレモンとその家に集まる教会員たちに
この手紙のおわりの挨拶を送っています。
その人々の名前の多くは
「コロサイの信徒への手紙」4章10〜14節にも登場します。
たとえばエパフラスについて言えば、
彼がパウロと同じく投獄中の身であったかどうかについては、
断言はできないものの、
おそらくそうだったのではないかと思われます。
「わたしと共に捕われの身になっているエパフラス」(23節、口語訳)
という表現からは、
エパフラスが囚人パウロにとって親しい信仰の兄弟であり、
「戦友」であった様子が伺えます。


「フィレモンへの手紙」はおわりの祝福の言葉で閉じられます。
パウロはこの手紙の読者全員の上に
イエス様の恵みがあることを祈り願っています。

2018年5月2日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック オネシモの事件 8〜22節(その6)

 オネシモの事件 8〜22節(その6)


フィレモンが多くのキリスト信仰者の心を励ましてきたことを、
パウロは手紙のはじめのところでほめています。
そして、
今度は自分に対してそれと同じことをしてくれるように、
とフィレモンに頼んでいます。
囚人である使徒パウロが今必要としている「励まし」とは、
主人フィレモンが奴隷オネシモを
罰することなく再び受け入れてくれることです。

フィレモンがオネシモに対してどのような態度で接するべきかについては、
パウロは具体的な指示を書いていません。
このことは、
ほかならぬフィレモン自身が最良の方法を決めることができるはずだから、
というパウロの深い信頼の表れでもあります。

パウロは自分がもうすぐ牢獄から解放されると信じています。
「はたしてフィレモンは自分の依頼通りにしてくれたかどうか」
を知るために自ら出向くという意図もパウロにはあったのかもしれません。

もう一つの理由としては、
オネシモがパウロを通して神様からいただいた信仰に
今もちゃんと留まり続けているかどうかを
実際に彼にふたたび会って確認したかった、
ということもあるでしょう。