2009年8月21日金曜日

マルコによる福音書について 13章1~13節

目を覚ましていなさい!

マルコによる福音書13章


ロバに乗ってエルサレムに来られてから死んで復活なさるまでの日々に、イエス様が何を教えてくださったか、また学ぶことにしましょう。福音書の頂点がまさにこれらの時期に位置しているため、私たちは今、御言葉の一語一語に注目して読み進める必要があります。今回の箇所(マルコによる福音書13章)でとても大きな位置を占めているのが、「来るべき滅び」についてのイエス様の予言です。この箇所をルカやマタイによる福音書の該当箇所とあわせて読むと、「どのように世界が終わるか」について、聖書でもまれにみるような詳細な説明がなされていることがわかります。


幸福な都? 13章1~2節

イエス様の時代のエルサレムは大都市でした。とりわけヘロデ王がつくらせた神殿は貧しいパレスチナの住民たちにとっては実に見ごたえのある光景でした。聖地に立つこの立派な神殿はとくにユダヤ人のお祝いのさいには皆から感嘆のまなざしを受けていました。ところが、イエス様の目には「幸福な都」とはちがうほかの光景が映っていました。すべては地に倒されて粉々になり、あとにはまったく何も残らない、という光景が。


「終わりの時」はどのように近づいてきますか? 13章3~13節

オリーブ山でイエス様は「終わりの時」について詳しく語られます。人間界はより輝かしい光へと向けて順調に歩んでいく、というわけにはいきません。それとは逆に、世界はそんどん陰惨な状態に沈み込んでいくように見えます。こうした状態に拍車をかけるのが、あたかも「正真正銘のキリスト」であるかのように人前にあらわれる「偽のキリストたち」です。多くの者は彼らを本物だと思い込んで間違った道にひきずりこまれていきます。戦争や地震や飢饉がおこり、「キリストのもの」である信仰者たちは法廷に引き出され、拷問を受けます。兄弟が兄弟を死に追いやり、父は子を死なせ、子は両親を死に渡します。怒りはますますどす黒く渦巻いていきます。そのようななかでも、神様の新しい時代が始まりつつあったのです。それは「産みの苦しみ」なしにはありえません。産みの苦しみの只中でキリスト御自身が「キリストのもの」である信仰者と共にいてくださり、導いてくださいます。そして、最後まで耐え忍ぶ者は救いにあずかります。