2009年8月26日水曜日

マルコによる福音書について 13章14~23節

大いなる苦難 13章14~23節

暗闇がましていくなかで大いなる苦難の時がやってこようとしています。「時のしるし」として「荒らす憎むべきものがいてはならないところにあらわれる」というのです。その時がきたら、ユダヤにいる人々はすぐさま町々から逃げ出して、持ち物などには目もくれずに、道もない山々に避難しなければなりません。この苦難の時は、もしもそれが寒い冬に起こる場合には、とりわけ厳しいものになります。さらに悪いことに、偽キリストたちと偽預言者たちがあらわれて、大勢の人々を「奇跡」によって惑わします。キリストが選ばれた、主の警告をしっかりと心に留めた者たちのみが、こうした惑わしをまぬかれます。イエス様の御言葉はとても謎めいていますが、それは「終わりの時」にかかわる予言ではよくあることです。ヴェールがかぶさった力強い言葉を説明しようとするときには、自制と慎みが必要です。教会の歴史のなかでは、数え切れないほどの人々が聖書のこの箇所についても自分たちの説明の正しさに確信をもっていました。しかし、自分たちの生きた時代の政治的あるいは宗教的な潮流をむりやり聖書に押し付けた「解釈者たち」などを本当は誰も信じるべきではなかったことを、歴史は証明しています。というわけですから、ここで私たちは聖書の難しい箇所について何が言えるか、慎重に試みることにしましょう。イエス様の御言葉のなかには、まぎれもなく「世の終わり」や「西暦70年に実際に起こったエルサレムの崩壊」に関係している部分があります。これらのふたつの予言を別々に選り分けるのは、不可能ではないにせよ困難な作業です。ともかくも、エルサレムは包囲され非常な苦難の時にみまわれ、ついに都は瓦解したのでした。石が石の上に残されることもありませんでした。当時すでにひどい迫害を受けていたユダヤ人クリスチャンたちが、このときイスラエルの反乱計画から身を引き、山岳地方に避難したのは、ほぼ確実です。ユダヤ戦争の間には都市でも山々でも言いようもない厳しさが待ち受けていました。つまり、これらのイエス様の予言は少なくとも一度はすでに現実のものとなったのでした。「荒らす憎むべきもの」とは、旧約聖書的な表現で、ある特定のことをさしています。紀元前160年、シリア王アンティオコス・エピファネスが軍隊をエルサレムに入城させました。この王の要求にしたがって、聖なる神殿ではギリシア人たちの最高神ゼウスに犠牲をささげる儀式が始められました。この異邦的な犠牲の儀式、「荒らす憎むべきもの」、が活ける神様の神殿で行われたことは、ユダヤ人たちにすさまじい憤怒を生みました。彼らは自分たちよりもはるかに強大な敵に立ち向かって反旗を翻し、勝利を収めたのです。アンティオコス王は神殿での異教の儀式を取りやめることを余儀なくされ、神殿はすみやかに清められました。この出来事の詳細は旧約聖書外典「マカバイ記」に記されています。またダニエル書も「荒らす憎むべきもの」について二度ふれています(ダニエル書11章31節、12章11節)。これは、もともとは聖なる神殿での儀式をひどく汚す行為をさしていました。エルサレムが破壊されたとき、神殿も破壊されました。ローマ人はユダヤ人がどんな民族か知っていたので、神殿を汚した年にはユダヤ人たちに対してとくに激しく攻撃をしかけてきました。歴史家ヨセフスによれば、ちょうどこの頃、神殿に自分のことをメシアと名乗り民に救いを約束する男があらわれました。こうして、「荒らす憎むべきもの」にかかわるしるしと、偽キリストがあらわれるというキリストの予言とは実現したのでした。エルサレム滅亡のまさにその時に神殿は汚されました。異邦人たちが神殿に自分たちの最高神であるジュピター(つまりゼウス)を敬うためになだれこんだのです。このように、イエス様の御言葉とイエス様の時代の後まもなく起きた出来事との間には多くの具体的な関係が見出されます。これらすでに起こった歴史上の出来事が語っているのは、「荒らす憎むべきものというイエス様の御言葉は聖書に書いてあるとおりにはもはや繰り返されない」ということでしょうか。神様だけがご存知です。私たちの生きている現代、エルサレム神殿のあった場所はムスリム(イスラム教徒)たちの聖なる場所、岩のモスクになっています。多くのユダヤ人はそれが取り壊されて二千年ぶりに新しい神殿が建てられることを要求しています。しかしそれを実現することは、すべてのムスリムに対して公然と宣戦布告するのと同じことです。このように、神殿のある地域は世界中でも最悪の「爆薬庫」になっています。イエス様の御言葉は黙示の言葉にふさわしく説明が難しい、ヴェールに包まれたものです。しかし、もしも予言がひとつのまとまりとして実現するならば、その出来事は誰の目にも明らかになるでしょう。