2009年4月17日金曜日

マルコによる福音書 第10回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

いろいろなものをたくさんもっている人が神様の御国に入るのは、なんとむずかしいことでしょうか。自分の力で救われる人はだれもいません。これは原罪(生まれながらの罪)がひきおこした傷に由来するものです。このせいで、私たちは知らず知らずのうちに神様よりも被造物のほうにしがみついて生きています。
人は、喜んで信頼をよせることができる対象として「神」を必要としています。人は本当の神様か、あるいは偶像をもっています。私たちが自ずと神様よりも神様のあたえてくださっている「賜物」(才能とか財産とか)に頼るとき、人の力で救われることはありえません。神様が御手によって事を正しい方向へと運んでくださらなければならないからです。神様はまったくはじめから人の心を御自分のほうへと向けさせ頼るようになさらなければならないのです。それによって、人が、「私には神様からのよい賜物がたくさんある。けれども、それらのものが私にとってあまりにも大切なものになって、そこから喜びをさがすようなことにはならないように、私は気をつけなければならない。私はそれを神様が許してくださる限りは、神様の栄光になるように、自分自身の必要を満たすために、また隣人を助けるために用いたいと思う。しかし、もしも神様がお許しにならない場合には、私は(自分にふりかかる)危機と恥を耐え忍ぶし、(賜物をあたえてくださった)創造主をなくすよりも神様からの賜物を失うほうをむしろ選ぶつもりだ。」と言えるようになるためです。
聖霊様は「私たちを新しく生む」というみわざをなさっています。そうでなければ、すべてはまったくだめになってしまうことでしょう。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)