2009年11月25日水曜日

マルコによる福音書 第16回目の質問

第16回目の集まりのために

マルコによる福音書16章

1)女たちは何をするためにイエス様が埋葬された墓にやってきましたか。そもそも、どうして女たちは墓にきたのでしょうか。

2)イエス様の復活は何についてのしるしでしょうか。

3)イエス様の復活は私たちの心をどのようにゆりうごかしますか。

4)マルコによる福音書16章9~20節はもともとは福音書に入っていませんでした。これは私たちにとってどのような意味を持っていますか。

5)復活された主が弟子たちにあらわれた出来事について、マルコによる福音書16章以外の聖書の記述を調べてみてください(たとえば、コリントの信徒への第1の手紙15章1~11節など)。どの出来事があなたを一番感動させますか。イエス様が500人以上の弟子たちにあらわれた出来事について、私たちは何を知っていますか。どのようなことが、イエス様の実の弟ヤコブを不信仰な者からイエス様を信じる者へと変えたのでしょうか。私たちは十分に知ることができるのでしょうか。なぜ聖書は私たちに(復活の主の顕現という)これらの奇跡についてもっと詳しく教えてくれないのでしょうか。

6)私たちがイエス様の復活を信じることには、何か理性でも納得のいくような理由があるのでしょうか。論理的に考えることで、人は正しい結論に導かれるものでしょうか。

7)(海外)宣教活動を行うようにという明確な「主の命令」があります。私たちはどんな具体的なことを宣教活動のために行うことができますか。

8)「信じるか信じないかによって、救われるか滅びるかが決まる」と、イエス様は明確な境界線を引いておられます。私たちの住んでいる国では、イエス様のこうした見方は十分はっきりと伝えられているでしょうか。海外宣教活動においてはどうでしょうか。

9)イエス様は、御自分を信じる者には「しるし」がともなう、と言われています。そして、しるしは弟子たちの伝道活動にともなっていました。このことはイエス様の当時の弟子たちに関してだけ言われているのでしょうか。それとも、現代でも、福音が正しいことを証するために、しるしが信仰者にともなっていなければならないのでしょうか。

10)「キリストが天にあげられ、神様の右の座に着かれている」というのは、私たちにとってどのような意味を持っていますか。