2020年8月28日金曜日

「ルツ記」ガイドブック 死ぬまで変わらぬ友愛 「ルツ記」1章6〜18節(その2)

 死ぬまで変わらぬ友愛 「ルツ記」1章6〜18節(その2)

 

「しかしナオミは言った、「娘たちよ、帰って行きなさい。

どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。

あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。」

(「ルツ記」1章11節、口語訳)

 

当時の中近東の世界において

夫に先立たれた妻の「やもめ」という立場はたいへん困難なものでした。

事実上、彼らには次の三つの選択肢しか残されてはいませんでした。


1)再婚する

2)自分の身の回りの世話をしてくれる親戚を見つける

3)娼婦になる

 

「あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか」

という上述の1章11節のナオミの言葉は、

ルツやオルパを妻として引き受けてくれる息子たちを

ナオミはもはや自分で産むことができない、という意味が込められています。

それに、たとえナオミがまだ子どもを産むことができるとしても、

ルツやオルパと結婚できるようになる年齢まで

息子たちが成長するためには少なくとも10年以上かかります。

はたしてルツやオルパはそれほど長く待ち続けることができるでしょうか。

また、生まれてくる息子たちが仕事に就いて

ナオミやルツやオルパを食べさせることができるようになるまで、

彼ら三人の女たちはどのようにして生計を立てていけばよいのでしょうか。

 

「娘たちよ、帰って行きなさい。

わたしは年をとっているので、夫をもつことはできません。

たとい、わたしが今夜、夫をもち、また子を産む望みがあるとしても、

そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。

あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。

娘たちよ、それはいけません。

主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、

あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。」

 (「ルツ記」1章12〜13節、口語訳)

 

ナオミには自らの希望を遠戚に託す勇気がありませんでした。

事実「ルツ記」4章では、

ナオミの土地を贖う権利のある近い親戚でさえ、

モアブ人ルツを妻として受け入れることを拒否したのです

(「ルツ記」4章6節)。

 

「しかしナオミはふたりの嫁に言った、

「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。

あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたように、

どうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。」

(「ルツ記」1章8節、口語訳)

 

ナオミがオルパとルツに

「それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい」と助言しているのは、

彼らの父親がすでに死去しているからではないでしょう。

むしろ、

このような状況では母親のほうが娘のことをよりよく理解してくれるだろう、

という気持ちがナオミの言葉から汲み取れるのではないでしょうか。

2020年8月24日月曜日

「ルツ記」ガイドブック 死ぬまで変わらぬ友愛 「ルツ記」1章6〜18節(その1)

 死ぬまで変わらぬ友愛 「ルツ記」1章6〜18節(その1)

 

神様はイスラエルをふたたび祝福してくださり、

その地にはもはや飢饉がなくなりました(「ルツ記」1章6節)。

それゆえ、ナオミは先祖の地に帰郷することにしました。

ナオミはその地に畑をもっており(「ルツ記」4章3節)、

その畑のおかげでナオミには

これからも生活していけるかもしれないという希望がもてたのです。

すでに高齢だったナオミには一人では畑を耕す力がありませんでした。

しかし、彼女はそれを売ることによって、というよりも人に貸すことによって

(先祖の土地を売ったままに放置することは許されなかったからです)、

どうにか生活していくのに必要なだけの収入を得ることができるはずでした。

 

「その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、

すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、

その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。」

(「ルツ記」1章6節、口語訳)

 

イスラエルの状況が好転したということではなく、

神様がイスラエルの民のために働きかけて食べ物を与えてくださったのだ

ということが、この節からは伝わってきます。

以下の例にみるように、

「ルツ記」には他の箇所にも神様の働きかけについての言及があります。

神様の働きかけは

人間の視点からすると常に喜ばしいであるものとはかぎりません。

しかし、神様は、それ自体は決して好ましくない辛い事情や出来事を通してでも

御心を実現なさる場合があるということを「ルツ記」は私たちに教えてくれます。

 

「そのためにあなたがたは、

子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。

あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。

娘たちよ、それはいけません。

主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、

あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。

(「ルツ記」1章13節、口語訳)

 

「ナオミは彼らに言った、

「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、

マラ(苦しみ)と呼んでください。

なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 

わたしは出て行くときは豊かでありましたが、

主はわたしをから手で帰されました。

主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、

どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。」

(「ルツ記」1章20〜21節、口語訳)

 

「ナオミは嫁に言った、

「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、

どうぞその人を祝福されますように」。

ナオミはまた彼女に言った、

「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。」

(「ルツ記」2章20節、口語訳)

 

「そのとき、女たちはナオミに言った、

「主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、

きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。

どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。

彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。

あなたを愛するあなたの嫁、

七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから」。」

(「ルツ記」4章14〜15節、口語訳)

 

たとえ息子の嫁たちを一緒にベツレヘムに連れ帰ったとしても、

彼らにはそこでも厳しい人生が待ち受けていることを、

ナオミはよく知っていました。

もちろん、ナオミの親戚の誰かがナオミを引き取って

一緒に住まわせてくれる可能性はありました。

しかし、イスラエルの民が嫌悪するモアブ人であるふたりの嫁まで一緒に

引き受けてくれる人が現れるなどとは

普通ならばとても考えられないことでした。

 

「しかしナオミは言った、

「娘たちよ、帰って行きなさい。

どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。

あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。」

(「ルツ記」1章11節、口語訳)

 

この節がレビラト婚のことを指しているのは明らかです。

この婚姻の慣習が当時どれほど広範に影響力をもつものだったのか、

私たちは知りません。

ただ、「ルツ記」3章12節から察するに、

かなり遠い親戚であっても、

死んだ親戚のやもめを妻として迎えることで、

土地を含めたやもめの所有する一切のものを、

レビラト婚を通して生まれてくる息子に引き継がせることは

可能であったようです。