2009年10月23日金曜日

マルコによる福音書について 15章21~32節

ゴルゴタへ 15章21~32節

処刑場というものは、どの社会共同体でもたいていは都市の外にあります。それはあたかも死刑囚が社会の外側へと追放されることを象徴しているかのようです。イエス様もまたこうした仕打ちを受けました。ここで、アレキサンデルとルポスとの父として名が挙げられているクレネ出身のシモンがイエス様の受難史に登場します。アレキサンデルとルポスとの名が挙げられているのは、彼らが初代教会でよく知られていた人物だったためでしょうか。没薬を混ぜたぶどう酒は、のどの渇きに苦しんでいる者にさらに拷問を加える一手段だったかもしれません(詩篇69篇21~22節)。しかし、それはまた、気持ちをほぐして痛みを和らげる飲み物であった可能性もあります。ともかくも、イエス様は差し出されたぶどう酒を拒まれました。イエス様は第3時ごろに十字架につけられました。それは、私たちの時計ではおよそ9時ごろにあたります。十字架にかけられた者の目の前で彼の服を誰がもらうか、くじが引かれました。「あの男」はもう服がいらないからです。こうしてまたひとつの予言が実現します(詩篇22篇19節)。ピラトは死刑の理由として「イエス様がユダヤ人の王になろうとしたこと」を挙げました。この王様を神様の民全員が今完全に捨て去ったのです。