2014年2月28日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 1章18〜32節 どうすれば神様を知ることができるのでしょうか(その1)


どうすれば神様を知ることができるのでしょうか 11832節(その1)



「ローマの信徒への手紙」11832節は、
こと信仰生活の領域においては
人間的な知恵がいかに足りないものか、を示すものです。

神様の偉大な創造の御業は、
造り主の存在について明瞭に証しています。
私たちは神様の偉大さを、
自然や、諸国民の成り行きや、
自分自身の生活を通して実際に目にしています。
それは、 
神様について誰も私たちに教えてくれない場合でも変わりません。

この事実は、
キリスト教の神学において、「一般啓示」と呼ばれています。

人間の及ばない至高の場所に由来する何らかの力をまったく信仰せずに、
神的存在を無視する国民は、世界のどこにも見当たりません。
こうした信仰を人間の心から根こそぎ取り除こうとする試みが、
歴史上今まで何度もありましたが、
それらはすべて失敗に終わりました。

無神論者のグループに心が惹かれる人も、中にはいることでしょうが、
それでもやはり、
圧倒的多数の人々は、何かを信じる心をもっています。

2014年2月26日水曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 1章8〜17節 挨拶と手紙の内容の告知

  
挨拶と手紙の内容の告知 1817
 
  
はしがきの後すぐに続けて神様への感謝を表すのが、
パウロの手紙の普通の書き方です。
例えば、
「コリントの信徒への第一の手紙」149節もまた同じ構成をとっています。
パウロは、
教会のことを祈りに覚える時、神様に感謝を捧げている、
と述べています。
きっと彼は、日々諸教会のために祈り、神様に感謝し続けていたのでしょう。

残念なことに、このような感謝と賛美を定期的に捧げる習慣は、
現代の私たちの間では失われてしまっています。
感謝の詩篇を唱えることで一日を始めてみませんか。
例えば、素晴らしい「詩篇」103篇によって。
ユダヤ人も、キリスト教会の偉大な教師たちもまた、
こうしたよい習慣を守ってきたのですから。

ローマの信徒たち(教会)に挨拶を送った後で、
パウロは、なぜこの手紙を書いたのか、説明しています。
すべての人に救いをもたらす福音を語りたい、
というのが、その動機でした。
キリストに属する人々が信仰の義によって活きる者とされた時に、
キリスト信仰者の只中で旧約聖書の「ハバクク書」[1]の預言が成就しました。
パウロはまず、
異邦人もユダヤ人も共に罪深い存在であることを示すべく心を砕きます。
「ローマの信徒への手紙」の福音を理解する上で、
これは欠かすことのできない出発点です。
異邦人(非ユダヤ人)の罪深さについては、
パウロはかなり容易に説明することができました。
異邦人たちは活けるまことの神様を知ってはいないからです。




[1]「ごらんなさい、その魂の正しくない者は衰えます
しかし義人はその信仰によって活きます」(「ハバクク書」24節)。

2014年2月24日月曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック 1章1〜7節 手紙のはしがき および 3〜4節の問題


「ローマの信徒への手紙」1


手紙のはしがき 117

パウロは、いつものやり方に従って、
手紙のはしがきの部分に、他にもいろいろなことを書き加えています。
この点に関して特に注目を引くのは、
いわゆる「キリスト讃歌」(34節)と呼ばれるものです。
これは、パウロのこの手紙よりも古くから存在していたと考えられています。
このキリスト讃歌が伝えているのは、
イエス様が神の御子になったのは復活した後だった、
ということではありません。
イエス様は最初から神様の御子だったからです。
例えば、「フィリピの信徒への手紙」2511節で、パウロは、
イエス様がこの世に来られる前に天のお父様の御許におられた、
とはっきり書いています。
このことは、「ヨハネによる福音書」の序章(1章)からもわかります。


34節の問題


この箇所については、
「イエスは元々は普通の人間だったが、
神が彼を死者から復活させて、自分の養子(神の子)とした」、
という養子説が、様々な時代に主張されてきました。
それと関連して、この古い「キリスト讃歌」もまた、
こうした考え方を示唆しているかのように、
受け取られ理解された可能性はあります。
しかし、パウロの手紙では、その意味することはまったく異なります。
すなわち、ここでは、
イエス様の三位一体の神としてのペルソナ(位格)が、
下降と高挙という二つの観点から、解き明かされているのです。
それは、一方の視点からイエス様を見てみると一つの面が見え、
もう一方の視点からはもう一つの面が見える、という具合です。
人としての本質によれば、
イエス様はダヴィデの王族に連なる人間としてお生まれになりました。
御霊によれば、
イエス様は復活の後に主として高く挙げられた神様の御子です。
キリストが神様の御子となるまでの道のり(プロセス)については、
この箇所は少しも触れてはいないのです。

2014年2月21日金曜日

「ローマの信徒への手紙」ガイドブック ルターと「ローマの信徒への手紙」


ルターと「ローマの信徒への手紙」


よく知られているように、「ローマの信徒への手紙」は、
マルティン•ルターにとって、特別な愛着のある書物でした。
実にこの手紙こそが、
ルターに純粋な福音の意味を知らせることになったのです。
ルターがこの手紙について講義を行ったのは、
15151516年という、宗教改革が始まる直前の
まさに激動の時期に当たります。
この講義録を読むと、
当時の若きルターがまだ百戦錬磨の強者ではなかったことがわかります。
しかし、一方では、彼の文章からは、
後に世界を震撼させることになる弾薬がすでに見てとれます。

1522年、新約聖書のドイツ語版の序文に、
ルターは「ローマの信徒への手紙」に関する長い説明文を書きました。
それは、彼がこの序文に書いた
聖書の他のすべての書物の説明全部に匹敵する量でした。
彼がこの手紙に対して深い愛着を抱いていたことが、
このことからわかります。
この序文でルターは、
パウロの最も重要なこの手紙を、以前にも増して高く評価し、
読者に紹介することができています。
まさにこの手紙を通して、彼は福音の核心を解き明かしています。
以下のルターの文章は、
キリスト信仰者なら誰もが復唱する価値のあるものです、
「この手紙は、新約聖書の正統な主要書物であり、
抜きん出て純粋な福音です。
ですから、キリスト信仰者はこの手紙を、
一語一句暗記するだけではなく、
自己の魂の日々の糧として用いるべきです。
あまりも過剰に、あるいは、あまりにも上手に、
この手紙を読み研究し尽くすのは不可能です。
この手紙は、活用すればするほど、
それに応じて深い味わいを帯びてくる書物だからです」。


このルターの文章が書かれてから約500年が経ちました。
ルターは、それまで人々から隠されていた純粋な福音を発見し、
飢え渇く魂の持ち主たちに宣べ伝えました。
ですから、私たちは彼から多くを学ばなければなりません。
私たちには、
使徒パウロを通して神様が賜ったこの手紙の御言葉を学ぶとき、
ルターの説明に再度目を通す理由が大いにあります。