2008年12月31日水曜日

マルコによる福音書 第6回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

目に涙を浮かべて地獄へ

ヘロデ王は洗礼者ヨハネが死んだあとで、もう一度神様からのはっきりとした招きを受けました。イエス様が活動をはじめられ、イエス様の不思議な御言葉と御業とを耳にして、ヘロデの良心が目覚めました。彼は心が落ち着きません。夢の中でもヘロディアの娘が洗礼者ヨハネの血まみれの頭を盆に載せてもってきたときの有様がまざまざと浮かび上がりました。おびえた彼は言いました。「洗礼者ヨハネが死者の中からよみがえったのだ。」ふたたびヘロデは前と同じように心をノックする力強い音を聞いたのでした。今彼は死者の中からよみがえったヨハネのことを前よりもいっそう恐れていました。しかし、イエス様がヨハネのよみがえりではないことがわかると、まもなく彼の心は落ち着きを取り戻したように見えます。その安堵感は実はよくないことでした。ヘロデはふたたび罪や不信仰の中に眠り込んだからです。ヘロデは前とちっともかわらなかったどころか、前よりもかたくなになり、聖霊様の働きかけをまったく受け入れないようになってしまったのです。

イエス様が捕虜としてヘロデの前に連れ出されたとき、「イエス様をみることができて、ヘロデは喜んだ」と聖書は語っています。「喜んだ」ということは、ヘロデにはそのときまだ敏感な良心が残っていたのでしょうか。彼は、長い間心を苦しめてきた罪をイエス様に告白するつもりだったのでしょうか。ところが、彼が期待していたのは、イエス様が彼の目の前で何か奇跡をおこなうことにすぎませんでした。ヘロデの質問に対してイエス様は一言もお答えにはなりませんでした。イエス様が沈黙されるとは、おそろしいことです。ヘロデの地獄行きの準備は今や完全に整いました。このときヘロデはまだ地上にいたとはいえ、彼のための「罪の赦しの恵みを受ける時期」はすでに過ぎ去ってしまいました。「ヘロデはイエス様を侮辱して立ち去らせた」と聖書に書いてあるとおりです。

今聖霊様に心をふれていただきながら神様の御言葉を喜んで聞いているあなた、多くのことについて自信がなくなってきたあなた、福音の説教者を大切に思っているあなた、このようなあなたにもヘロデのようなことが起きるのでしょうか。涙を浮かべたままで地獄へと落ちていくつもりですか。愛する友よ、あなたはそんなところにいく必要はないのです。あなたはあがなわれています。イエス様の血によって罪ののろいからすでに解放されているのです。神様に受け入れていただくにはふさわしくない者として、そのような者を神様にふさわしい存在にかえてくださるお方を信じなさい。聖霊様はあなたが福音を信じるようにと招いておられます。

K.V.タンミネン (「よい守りの中で」)

マルコによる福音書について 第6回目の質問

第6回目の集まりのために

マルコによる福音書6章

イエス様は故郷のナザレで拒絶されます。洗礼者ヨハネは処刑されます。一方では、イエス様は福音を伝えるために弟子たちを派遣なさり、御自身も大きな奇跡を行われます。

1)マルコによる福音書は、イエス様が処女マリアからお生まれになったことについては語っていません。とはいえ、6章1~6節に基づけば、イエス様の誕生についてどのような結論を導き出すことができますか?

2)イエス様は故郷のナザレでは受け入れられませんでした。イエス様はそこでは昔から知られすぎていた人物だったからです。

現代の人々の間では、新しくあらわれた宗教的なさまざまな流れは、キリスト教よりも多くの興味と関心を集めているように見えます。ちょうどイエス様がナザレでそうだったように、キリスト教もまた現代の人々(とりわけクリスチャン)にとってあまりにも周知のことになってしまっているのでしょうか?

3)イエス様は弟子たちを、人間的に見ればたいした旅の用意もないままの状態で、派遣されました(6章7~13節)。財布ももたず、パンもなく、袋もないままで、弟子たちは福音を伝えるために派遣されたのです。私たちも同じようにして自分の身近な人たちのところに出かけていくことができますか?あるいは、海外宣教に行くことについてはどうですか?

4)ヘロデは新約聖書の中で、誕生日を祝う会を催したと伝えられる唯一の人間です。このことは私たちにとって何か意味をもっているでしょうか?誕生日には何をお祝いするのでしょうか?また少し歳をとったことでしょうか?それともそれは、神様の賜物と導きについて神様に感謝する時なのでしょうか?

5)ヘロデは洗礼者ヨハネを処刑したものの、心には依然として平安がありませんでした。死んだ後もなお人々の心を揺り動かしているような、教会史の中に登場する人物たちを、あなたがたは知っていますか?

6)旧約聖書のどの箇所に、大勢の人に食べ物を与える奇跡について記されていますか?

7)大勢の人に食べ物を与える奇跡の出来事には、とても大きな象徴的な意味もありました。これは特にマタイによる福音書において顕著です(マタイによる福音書14章15~21節)。イエス様は五つのパンと二匹の魚を祝福して、大群衆にも十分足りるような食べ物とされました。

私たちもまた飢餓で苦しんでいる世界の人々に対して、幾つかのパンと魚を差し出して、イエス様に祝福していただくことができるでしょうか?

8)イエス様が水の上を歩いたという奇跡は、多くの人にとってどうにも信じられないことがらです。「実はイエスは浜辺の岩の上を歩いたのだ」と説明する人たちが昔いました。今の多くの学者は「この出来事は作り話である」とためらいもなく断言しています。

こうした考え方は、このように主張する人々が聖書やあるいは一般的に超自然的な世界に対して取っている態度について、どのようなことを示していますか?

マルコによる福音書について 6章45~56節

湖の上を歩かれるイエス様 6章45~52節

群集に食事を与えた奇跡の後、イエス様は一時的に弟子たちから離れました。夜明け頃、舟にいた弟子たちはイエス様が彼らのところに歩いてこられるのを目にしました。恐れ切った弟子たちはわめきはじめました。イエス様は弟子たちを落ち着かせ、船に乗り込まれました。この出来事も、たんに奇跡のゆえに福音書に記されているわけではないのです。イエス様の奇跡はいつも御自身にゆだねられている権威についての「しるし」です。しかも、イエス様の多くの奇跡は旧約聖書のさまざまな奇跡の「現代版」だったのです。この箇所でもまた私たちは、今の奇跡の中に対応する旧約の時代の奇跡を思い起こすことができます。イスラエルの民は皆、葦の海の底を通って渡りました(出エジプト記14章)。この民は後にヨシュアの指導の下、ヨルダン川を渡りました(ヨシュア記3章)。エリヤとエリシャは自分の外套でヨルダン川を打つと、そこから水が左右に分かれました(列王記下2章8、14節)。同じような奇跡がイエス様を通してさらに大規模な形で繰り返されるのを読むとき、旧約聖書について知識のある読者は、「神様がふたたび御民の只中で目に見えるような形で活動されている」ことを理解することでしょう。ここでもうひとつ注目すべきことは、弟子たちの鈍くなった心です。一般の人々、さらにはイエス様のすぐそばにいた弟子たちの不信仰と神様をないがしろにする態度は、マルコによる福音書を貫いているとても重要なテーマです。


病人の癒し 6章53~56節

ゲネサレでは今まで何度も繰り返されてきたのと同じことが起きました。イエス様はたくさんの民を集めて、彼らに教え、また彼らを癒されたのでした。こうして神様の御国はますます拡大していきました。群集も増えていく一方でした。ガリラヤ全体にイエス様の活動は影響を及ぼすようになったのです。群集の規模が大きくなるにつれて、イエス様の活動に反対する人たちも多くなっていきました。次回ではイエス様と律法学者やファリサイ人たちとの間の激しい議論がもちあがります。

2008年12月18日木曜日

マルコによる福音書について 6章14~44節

福音の証人としての使命のおわり 6章14~29節

マルコによる福音書は、福音の証人たちが伝道旅行に出発したことを告げる一方で、福音の証人がはじめて殺害されたことについても記しています。洗礼者ヨハネはヘロデ王にとってはおそらくただでさえ好ましくない人物だったのでしょう。ヨハネが説教して、ヘロデが神様の御言葉に反した形で結婚をしていることを大胆にも叱ったため、ついにヘロデはヨハネを牢獄へ投げ込みました。しかし、ヘロデはヨハネを殺すことはできないまま、ヨハネの力強い宣教に喜んで耳を傾けていました。ここからの話は有名です。洗礼者ヨハネを憎んでいたヘロディアは、ヘロデの誕生日の祝会の席で自分の娘が浴びた賞賛をヨハネ殺害の口実にしたのです。この娘の名前はサロメ、紀元前10年頃生まれた彼女は例のヘロデの誕生会の時には20歳をやや下回る年齢の女性であり、踊りを披露しました。しかし、当時、王女が人前で踊ることはスキャンダルとみなされていたのです。
ヘロデ王の悪徳の宮廷では娘の踊りは酔いの回った人々の間で喝采を浴びました。ヘロディアの策略によりヨハネは首を切られ、こうして王と王妃の前からはついに邪魔者が取り除かれたかのように見えました。ところが、イエス様が神様の御国について説教なさったことを聞いて、ヘロデは自分の良心によって責められ、「イエスは、死者の中からよみがえったヨハネはないか」と怖れました。これでわかるように、ヘロデは自分が殺させたヨハネのことを心の中では忘れることができなかったのです。マルコによる福音書はこの矮小な王がどのような人生の結末を迎えたか、記していません。ヘロデは権力を失い、国外逃亡を強いられ、皆から忘れ去られて死にました。イエス様と洗礼者ヨハネがいなかったならば、ヘロデ王について耳にする機会は今の誰にもなかったことでしょう。


大群衆に食べ物を与える最初の奇跡 6章30~44節

使徒たちは伝道の旅から帰ってきました。イエス様は彼らを孤独になれるさびしいところに連れて行こうとされました。しかし、周りにいた群衆がイエス様から離れようとはしません。昔、イムラの子、預言者ミカヤが見たように(列王記上22章17節)、イエス様もまた民が「牧者のいない散り散りの羊の群れ」のようになっている有様を御覧になりました。イエス様は群集を避けずに、夕方まで彼らを教えられました。不意に何千人もの人々がイエス様の御許に集まってきていたこの状況では、食事のことなどは計画されてはいませんでした。イエス様は民のために食事を用意するように命じて、五つのパンと二匹の魚を祝福されました。こうして旧約聖書の奇跡が繰り返されることになったのでした。荒野を歩むイスラエルの民に対しては、十分なマナが与えられました。エリヤの時代にザレパテに住む寡婦に対しては、十分なかめの粉とびんの油が与えられました。エリシャもまた大勢の人に食べ物を与える奇跡を行いました(列王記下4章42~44節)。このように、福音書のこの箇所のメッセージは「何千人もの人々が食べて満ち足りた」ということだけではありません。イエス様のみわざは、「神様は御自分の救いのみわざをイエス様を通して繰り返しておられるのであり、しかもこの救いのみわざは、以前(旧約聖書の時代)のものよりもさらに偉大なものである」ということを意味していました。

2008年12月16日火曜日

マルコによる福音書について 6章1~13節

最初の宣教旅行

マルコによる福音書6章1~56節


ナザレ 不信仰の巣窟 6章1~6節

これまでイエス様は主にガリラヤの田舎の村々や小さな町で活動なさってきました。故郷の町ナザレではイエス様は教えなさいませんでした。ようやく今ナザレの番になったのです。イエス様がシナゴーグで教えると、すぐさま聴衆はイエス様の権威について議論し始めました。いったい誰が彼に、他の教師たちとはまったく違って、偉大な権威をもって心に響くように教える権能を与えたのだろうか?なぜほかならぬ彼を通して大いなる奇跡が起きているのだろうか?これらの疑問に人々は答えを求めました。答えはひとつしかありません。この町で生まれ育ったこの男の人は、驚くべきことに、「神の人」だ、ということです。しかしナザレの住民たちはこうは結論せず、逆にイエス様を拒みました。ナザレ出身のイエス様は昔から町の人々の知り合いだったからです。周りからイエス様は「マリアの子」と意地悪く呼ばれていました。ふつうだったら男の人は自分の父親の息子として呼ばれるものでした。たとえば、「ヨナの子シモン」(ペテロのこと)というように。「マリアの子」という呼び名には、「イエス様の本当の父親が誰であるかわからない」ことを揶揄する侮蔑が含まれていました。ナザレのユダヤ人たちと後のクリスチャンたちとは少なくともひとつの点で意見が一致していました。すなわち、ヨセフはイエス様の本当の父親ではない、ということです。このように、イエス様はナザレで受け入れられませんでした。これで害をこうむったのは、イエス様ではなく、ナザレの人々だったのです。故郷の人々の不信仰に驚きつつも、イエス様は人々を教えたり癒したりしながら他の地方へと旅をつづけられました。


福音の宣教 6章7~13節
弟子たちをはじめて福音の宣教のために派遣することは、マタイ、マルコ、ルカによる福音書において大きな意味をもっている大切な出来事でした。この段階でイエス様の教えが文字通り全土に広がり始めます。ユダヤ人の慣習によれば、ものごとの真偽を確証するためには、ふたりの証人が必要でした。たぶんそういうわけで、12人の使徒たちはふたりずつの組に分けられて、十分な持ち物も携えずに伝道の旅へと出発したのでした。「人は皆、神様の御許へと方向転換しなければならない」というメッセージを伝えるために、彼らはお金もパンもカバンももたずに出て行きました。弟子たちは、「不信仰の人々に対してはその証として、あなたがたの足についた塵を払い落としなさい」(11節)というイエス様の教えを実行に移さざるを得ないこともあったでしょう。しかし一方では、悪霊は斥けられ、病人は癒され、福音は聞き手に受け入れられました。

2008年12月12日金曜日

マルコによる福音書 第5回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

主は低くし、また高くされます。(サムエル記上2章7節)

信仰ってなんてすばらしいんでしょう!考えてもみてください。信仰をいただいたあとで、信仰をもったり、信仰を保ったりすることが、私たち自身の力にかかっているとしたら!すべてはもちろん信仰によって決まります。悪魔や死も信仰をみて逃げ出します。しかし、どのように私は信仰をいただいてそれを保つのでしょうか。答え。神様は信仰を与えたり取り去ったり、信仰を弱めたり強めたりすることを、自由に御心のままにおこなうようにお定めになりました。神様を正しくしるようになるために、私たちも、すべての聖なる信仰者と同様に、このことを身をもって体験することができました。このように神様は、一瞬のうちに私に大きな信仰をくださることがあるし、また、気がつかないうちに私たちの信仰を弱らせる一方で、大きな罪人に信仰をお与えになることもあるのです。

でも、どうして神様は聖徒に強い信仰を絶えずくださらないのでしょうか。それは、彼らが自分の中から信仰がでてくるかのように錯覚し、自分があたかも神になったかのように考えて、尊大になったりはしないためです。神様は聖徒が「御自分が神様である」ことを学ぶようにし、「自分自身をしる」ようにさせて、へりくだったままになさいます。このことを神様は私たちや聖徒ひとりひとりに要求なさっています。聖徒は皆、神様の御前でひれ伏すべきだし、「私は取るに足らない存在です。私には何もできません。」と、心を込めて告白するべきです。私たちは皆、神様の御前では平等です。財産や才能などの賜物は人それぞれですが、それらもすべて神様からいただいたものなのです。

マルティン・ルター (「神様の子供たちに与えるマナ」)

2008年12月8日月曜日

マルコによる福音書について 第5回目の質問

第5回目の集まりのために

マルコによる福音書4章35節~5章42節

マルコによる福音書はイエス様がなさった多くの奇跡について語っています。そして、それらの奇跡はイエス様の権威を示しています。
 
1)私たちは今回の箇所で、イエス様の権威に関する問題にくりかえし遭遇します。

イエス様が嵐の湖を鎮めることができたことに、私たちは今でも驚きますか?この出来事は現代では、どのような人たちの心に響くでしょうか?この箇所の他の奇跡の出来事についてはどうでしょうか?

2)マルコによる福音書は、ある奇跡がゲラサで起きたと記しています。しかし、ゲラサはゲネサレト湖から遠く離れています。この「矛盾」を解消するために幾つかの新約聖書の写本はゲラサの代わりにゲダラという地名を記しています。また、聖書に通暁していた教父オリゲネスはゲルゲサという地名を提案しています。しかしながら、奇跡が起きたのは、まず間違いなくゲラサでした。しかもその近くには、豚の大群が溺れ死んでしまうほど大きな湖はありません。

このような説明の難しいことがらは、私たちの聖書に対する関係にどのような意味をもっているでしょうか?これらのことを乗り越えて、「聖書は神様の御言葉です」とあなたは言えますか?

3)どうして悪霊の名前はレギオンだったのでしょうか?ローマ帝国のレギオンには何人ぐらいの兵士がいましたか?

4)悪霊から解放された男はイエス様の弟子たちの仲間に入ることは許されませんでした。彼は自分が悪霊から解放されたことについて自分の身近にいる人々に語る使命を与えられました。

私たちは「イエス様について話す」という使命を、身近にいる人たちや自分の家族や親戚や友人たちの間で、どのように果たしてきたでしょうか?

5)なぜイエス様は娘の両親に対して娘が生き返った奇跡について誰にも話さないようにと命じられたのでしょうか?

6)血が流れ続ける病気から癒された女の信仰はどのようなものだったのでしょうか?
なぜイエス様はその女を捜されたのでしょうか?

7)ヤイロの家でイエス様は御自分が「死の上に立つ主」でもあることを示されました。

このことは私たちにとってどのような意味をもっているでしょうか?あなたがたは、自分自身の来るべき死についてどのような思いをいだいていますか?

2008年12月1日月曜日

マルコによる福音書について 4章35節~5章43節

奇跡

マルコによる福音書4章35節~5章43節


再び、イエス様の権威について 4章35~41節

いろいろなたとえを話された後で、イエス様は弟子たちを舟に連れて行き、彼らと共に向こう岸に向かわれました。嵐になり、一行はおぼれそうになりました。すさまじい嵐の中でイエス様は眠っておられました。しまいにはおびえきった弟子たちが眠っているイエス様をゆり起こしました。主は起き上がって風と荒れ狂う海とを叱りました。すると嵐は鎮まりました。イエス様は弟子たちを叱りました。たぶん彼らは今や嵐の時以上に恐れをなしていたことでしょう。自然界の力さえも従わせることができるこの先生は、いったいどのような権威の後ろ盾によって活動なさっているのでしょうか?自然界に命じてそれを従わせることができるのは、すべてを創り保たれるお方しかいないはずです!


レギオンを処罰する 5章1~20節 

イエス様は湖の反対側、ゲラサという町に来ました。この地名がここで登場するのは謎めいています。というのは、ゲラサはゲネサレ湖畔から約60キロメートル離れたデカポリスという地域に位置していたからです。ここで町の名前が挙げられているのは、ゲラサがデカポリス最大の町であり、また福音書が異邦人の土地については大雑把な地理で十分だとみなしていたからではないでしょうか?この箇所でイエス様を出迎えたのはデーモン(悪霊)によって苦しめられていた男でした。デーモンはレギオンと名乗りました。ローマ帝国のレギオンは約6千名の男たちによって構成された軍隊の単位です。イエス様はデーモンの群れをその男から追い出して、近くにいた豚の群れに入ることを許されました。約2千頭の群れは崖の下めがけてなだれこみ、失われました。男はデーモンから解放され、正気に戻り、ちゃんと服を着てイエス様に従い、その場に座っていました。その男を以前から知っていたその地方の人々は皆驚きました。彼らはイエス様が立ち去ってくれるように頼みました。デーモンから解放された男は、自分の町でこの奇跡について周りの人に語るという使命を受けました。

この出来事を福音書でさらっと読むとき、同時によくわからない点が出てきます。そもそもなぜマルコによる福音書にこの出来事が取り上げられているのでしょうか?たぶん2千頭の豚の群れが湖になだれこむ光景がそのひとつの理由でしょう。もうひとつの理由として、モーセの律法によれば、豚は汚れた動物であり、ユダヤ人たちにはそれを食べることが許されていなかったことが考えられます(レビ記11章7節)。しかし、この出来事でも中心的なテーマはイエス様の偉大な力です。目に見える形で悪霊たちを人から追い出すことができるこの方はふつうの人間ではないし、それを自分の権威に基づいて行ったはずもありません。