2009年11月16日月曜日

マルコによる福音書について 16章9~20節はどこからきましたか?

16章9~20節はどこから来たものでしょうか。

この章のつづきを研究する前に、あることに注目する必要があります。古典時代の書物はすべて、現代の私たちにコピーあるいはコピーのコピー(のコピー等)として保存され伝えられてきました。元本は残ってはいないのです。現存している写本はある程度互いに食い違っています。研究者たちは、いろいろな写本を比較検討して、もともとはどのように書かれていたか、を決定しようとしてきました。これは、非常に難しい場合もあれば、とても簡単な場合もあります。新約聖書を研究する環境は特有で、困難ではあれ祝福されています。新約聖書の写本が非常にたくさん保存されており、それらの写本を比較することで、多くの場合には、たとえばどの部分が元本にありどの部分が後の加筆かについて確実ともいえる理解を得ることができます。注意深い聖書の読者なら、聖書にはいくつかの節が欠けていることに気づくことでしょう(たとえば、ヨハネによる福音書5章4節)。括弧の中に入れられている箇所もあります(たとえば、ルカによる福音書11章4節)。これらは、なにか隠し事をしたり、聖書を貶めることではありません。それは、神様の御言葉から、しばしば何百年もあとから付け加えられた箇所を分別する目的でそうなされているのです。何節にもわたるこのような箇所は新約聖書では、ヨハネによる福音書8章1~11節と、今取り上げようとしているマルコによる福音書16章9~20節の二箇所だけです。写本によってはマルコによる福音書のテキスト自体は8節でおわっています。このあとに来る箇所については、ふたつの互いに異なる締めくくりの部分をもつ写本と、まったくない写本とがあります。どちらの締めくくりの部分もマルコによる福音書の元本には含まれてはいませんでした。もしも福音書が本来は8節で終わっていなかった場合には、その終わりの部分は失われてしまった、ということになります。現在私たちの手元に残っている締めくくりの部分は紀元後100年代になされた加筆です。そこには、復活されたイエス様が弟子たちに御自身をあらわされたことや、宣教命令を与えられたことや、そのあとで天にあげられたことが語られています。これらの大切なことがらはすべて、他の福音書にも、パウロが保存したイエス様の復活の証人たちの古くから伝わるリスト(コリントの信徒への第1の手紙15章1~11節)にも語られています。こういうわけで、これから取り上げる箇所は、福音書の元本にはなかったものの、聖書の他のさまざまな箇所によってその真実性が保証されている、と言うことができるでしょう。