2018年1月24日水曜日

「フィレモンへの手紙」ガイドブック はじめに(その1)

「フィレモンへの手紙」ガイドブック

聖書講座(フィンランド・ルーテル福音協会提供)
フィンランド語原版より日本語に翻訳および編集 
高木賢(フィンランド・ルーテル福音協会)
聖書の箇所の引用は原則として日本聖書協会口語訳によっています。


はじめに(その1)


「フィレモンへの手紙」は、
友人であり信仰の兄弟でもあるフィレモン(口語訳では「ピレモン」)
宛てて使徒パウロが書き送った個人的な手紙です。
この短い手紙は一つの問題に焦点を絞っています。

当時、「イエス・キリストについての福音を周囲に喧伝した」、
といった類の「罪状」により投獄されていた使徒パウロのもとを、
オネシモという名の奴隷が訪れました。
この奴隷はパウロの友人であるフィレモンの所有するものでした。
オネシモは主人に無許可で勝手に家を出立してから、逃避行を続けていました。

もしかしたら、オネシモは自由の身になりたくて、
主人の家を逃げ出したのかもしれません。
あるいは、フィレモンになんらかの損害を与えてしまったために
主人から逃げ回っていた、というのも考えられます。

ローマ帝国の領域内において
自分の主人の許可なしにあちこち勝手に動き回る奴隷は、
安全とはほど遠い状況に置かれていました。
その奴隷はいつ捕まって主人のもとに送還されてもおかしくはなかったし、
主人は自分が所有する奴隷に対して
どのような処置を下すかを決める無制限の権利をもっていたからです。

主人は自ら適切と判断した手段によって
逃亡奴隷に懲罰を加える場合がありました。
また、逃亡奴隷を売却したり、
最悪の場合には、逃亡を企てる他の奴隷たちの見せしめとして
死刑にしたりする主人さえいました。

パウロのもとを訪れたオネシモには、
あるひとつの考えが浮かんでいたのではないでしょうか。
使徒パウロに推薦の手紙を書いてもらい、
その推薦状をあてにして自分の主人のもとに帰れるようになりたい、
というのがオネシモの切なる願いでした。
当時のローマ帝国では実際にこのようなケースがよく見受けられたようです。
たとえば、
主人のもとを逃げ出した奴隷や、主人に損害を与えてしまった奴隷が、
主人の友人を訪ね、主人が自分をふたたび受け入れてくれるように
推薦状の執筆を懇願する、といったケースです。
実際に、主人の家に戻った奴隷が
その推薦状のおかげで懲罰を受けずに済む場合もありました。

オネシモがほかでもなくパウロのもとに行こうという考えを起こしたのが
どうしてだったのか、私たちは知りません。
オネシモは主人がパウロについて
特別な敬意を込めて話すのを聞いたことがあったのかもしれません。
それで、オネシモはほかでもなくパウロから、
彼が罰を受けずにすむように主人を説得する手紙を書いてくれることを
期待したのかもしれません。

しかし、オネシモの訪問を受けたパウロは、
オネシモの「この世的な願い」をかなえることだけでは満足しませんでした。
使徒はこの奴隷が抱える極めて深刻な問題を見抜いたのです。
オネシモは不信仰な生活を送っており、
そのせいで永遠の滅びへと向かっていました。
そして、これは主人の怒りを招いた失敗よりもはるかに重大な問題です。
パウロはオネシモにイエス様について語りました。
そして、牢獄の中においても
聖霊様が福音を通して働きかけて、信仰を生み出し、
オネシモをキリスト信仰者にしてくださったのです。
この新しい信仰者を、パウロは彼の主人のもとに返すことにしました。