2013年11月29日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 18章28~38a節 ピラトの尋問(その3)


ピラトの尋問 182838a節(その3)



ピラトは、
イエス様についての案件をなかなか取り扱おうとはしません。
やっと重い腰を上げてからも、
彼はユダヤ人を小馬鹿にしたような態度を取ります。
「はたしてイエスは王であるかどうか」、
というのがその争点でした。

どの福音書においても、
イエス様はピラトに単純明快な回答をお与えにはなりません
(「マルコによる福音書」152節を参照してください)。
とりわけ「ヨハネによる福音書」においては、
意図的に二通りの意味で受け取れる回答になっています。
それによると、
「イエス様は、この世の王ではないが、
神様がこの世に遣わしたキリストという王である」、
ということです。
イエス様がこの世に来られたのは、
地上の権力を手中にするためではなく、
真理をもたらすためでした。

地方総督や裁判官という立場とは関係なく、
ピラトもまた、他の人々と同様に、
生死の問題に、すなわち、
「命と死、暗闇と光、神の真理に対して目をそらすかそれとも開くか」、
という問題に対峙することになります。

「真理とは何なのだ」、とピラトは尋ねます。
彼は、「血筋や肉の欲や人の欲によらず、神様によって生まれた」
(「ヨハネによる福音書」113節)人々の中には属していなかったのです。

2013年11月27日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 18章28~38a節 ピラトの尋問(その2)


ピラトの尋問 182838a節(その2)
 
  
ユダヤ人たちの取った作戦は単純で、
当時の歴史的状況から見ても理解できるものです。
ローマ人たちは、
安息日を破ったからという理由で、
人を死刑にする気はまったくありませんでした。
イエス様を目の前から取り除くためには、
「この男はユダヤ人の王になろうとした」、
という罪状によらなければなりません。
(ヘロデ王の)宮殿の庭には、
互いに心底から侮蔑し合っている
二つのグループが立っていました。
ユダヤ人たちはピラトを必要としていましたが、
宮殿の中には入ろうとはしませんでした。
「異邦人の家は汚れている」、というのが、
一般的なユダヤ人の教えだったからです。
異邦人の家の中には、
ユダヤ人を汚すもの(特に偶像の絵など)があっても
おかしくはなかったからです。
ユダヤ人は、そうしたもので汚れると、
ユダヤは再び清くなるまでに、
七日間も隔離される場合もありました。
過越の祭を目前に控えて、
誰もあえてこのようなリスクをとりたくなかったのは
当然だったと言えます。
自分を清く保つことに神経を尖らせていた
「神の民」の代表者たちは、
神様の御子を死刑に処するために、
ピラトを宮殿の外で待ち続けました。
なんともひどい構図です。


2013年11月25日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 18章28~38a節 ピラトの尋問(その1)


ピラトの尋問 182838a節(その1)

ローマ人は
ユダヤ人に自律した支配権を広範囲に認めていましたが、
きわめて重要な決定事項に関しては
依然として裁決権を保有していました。
こうした決定事項の中には、死刑の宣告も含まれていました。
そうした理由から、
イエス様はローマ人の総督の手で裁かれることになったのでした。


ポンテオ・ピラト(Pontius Piratus)は
ユダヤ属州総督を西暦2636年の間に務めました。
彼がこの職に任命されたのは、
皇帝ティベリウスの信任厚い親衛隊長官(Praefectus praetorio
ルキウス・アエリウス・セイヤヌス(Lucius Aelius Seianus)の
あからさまな反ユダヤ主義的な政策の一環であったと思われます。
当時のユダヤ人たちが残した資料によると、
ピラトは残虐で、
しばしばユダヤ人を故意に侮辱する行動を取る支配者でした。
ついには過酷さの度が過ぎて、
彼の直接の上官であるシリア総督ウィテッリウス(Vitellius)によって罷免され、
引責のためローマに召還されました。
おそらくそこで彼は39年に自殺したものと思われます。
イエス様の受難史に描かれている出来事の頃、
ピラトの立場は度重なる失策のために危うくなっており、
さらには彼の擁護者だったセイアヌスも
反乱の罪ですでに処刑されていた可能性があります
(セイアヌスの処刑は31年)。
ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人たちは、
そうして生じたごくわずかの政治的な自由を行使して、
このような不安定な状況の中で小利を稼ぐ達人でした。
上述のことを念頭に置くと、
なぜローマの地方総督ともあろう者が
優柔不断な態度をとる存在として福音書に描かれているのか
が納得できます。
ピラトにはもはや政治的な過失を重ねる余裕がなかったのです。

2013年11月22日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 18章25~27節 イエス様を再び否認するペテロ


イエス様を再び否認するペテロ 182527
  
 
ペテロは門衛の女の質問をどうにかやり過ごしました。
しかし、
それよりもはるかに切り抜けるのが難しい状況が、
焚き火に当たっている男たちの中に混ざっている時に、
彼を待ち受けていました。
ペテロに怪我を負わされたマルコスの親戚が、
園でペテロがイエス様と一緒にいたのを、
皆のいる前で指摘したのです。
ペテロはそれを否定し、
鶏が鳴きました。
この福音書には、
ペテロがその時泣き出したことが触れられていません。
このペテロの否認の出来事は、
非常に感動的な形で、
福音書の最後の章にて再び取り扱われます。