2009年5月7日木曜日

マルコによる福音書について 11章27~33節

イエス様の権威はどのようなものでしょうか? 11章27~33節

マルコによる福音書では、すでにガリラヤでの段階で、「イエス様はどのような権威に基づいて行動し教えているのか」という質問が何度もとりあげられました。とりわけ宮清めの後で、これは時宜に適った質問になっています。「イエスがもしもふつうの人の権威によって活動しているのならば、彼は「神殿を汚した者」ということになる。イエスは自分の行動をどのような権威によっているものだと主張するつもりだろうか?」。イエス様を試験しようとする者たちは、思いがけなく逆にイエス様から、答えるのが難しい質問を投げかけられました。「洗礼者ヨハネの活動は天からのものであったか、それとも人からのものであったか」という質問です。戦略的な理由から、イエス様の反対者たちはその質問には答えようとはしませんでした。ここでイエス様は議論を打ち切りましたが、私たちはこのイエス様の質問の答えを知っています。イエス様の権威についての質問は、洗礼者ヨハネのもとですでに解決されていたのです。ヨハネがイエス様に洗礼を授けた時に、天から「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」という声が聞こえました(マルコによる福音書1章11節)。もしもヨハネが神様の敵であったのなら、この声の証を本気にする必要はありません。しかし、民全体が信じていたように、もしもヨハネが神様が遣わされた預言者であったのならば、イエス様は神様の御子の権威に基づいて神殿をきよめたことになります。このように、(今まで何度もとりあげられた)イエス様の権威についての質問に、今ここではじめて答えが与えられたのでした。しかし、その答えはまだエルサレムの人々からは隠されたままでした。マルコによる福音書の読者は、この点に関しては、たんに好奇心をかきたてられている民よりも話の筋道がわかる「よい立場」にあります。