2019年6月14日金曜日

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について 「詩篇」一般について

「詩篇」とりわけ「ざんげの詩篇」について


フィンランド語著者 エルッキ・コスケンニエミ 
(フィンランド・ルーテル福音協会牧師、神学博士)
日本語版翻訳・編集者 高木賢 
(フィンランド・ルーテル福音協会、神学修士)
聖書の引用は「口語訳」によっています。
「詩篇」の章節はBIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIAに従っています。
そのため「詩篇」の節番号は「口語訳」とは一致していない場合があります。



「詩篇」一般について

「詩篇」を聖書の勉強会で取り上げるのはかなりの労力を要します。
「詩篇」全般には「神様の民の賛美歌集」とでも言える側面があり、
キリスト教会の優れた聖書の教師たちはいつの時代にも
「詩篇」から不変の「キリスト教信仰の真理」を汲み上げてきたのです。
ところがその一方では、
旧約聖書の様々な書物の中でも「詩篇」ほど
近年の学術的な聖書釈義の分野で大きな変化を蒙った書はほかにはありません。

学術的な詩篇研究においては、
それぞれの「詩篇」が元々どのような目的で使用されていたのか
を決定しようとする試みがその中心的な課題となっています。
どのような状況下でそれぞれの「詩篇」は朗誦されていたのか
という問題が提示されたのです(いわゆるSitz im Lebenの問題)。

このような問題意識を持つ詩篇研究者たちが導き出した種々の結論は
従来の伝統的な詩篇解釈に根本的な揺さぶりをかけるものでした。

たとえば
「メシア」(油注がれた者、救世主)をテーマとする一連の「詩篇」は
イスラエルの民にまだ自分たちの王がいた時代の具体的な歴史的状況
(戴冠式など)に関連付けられました。

また「詩篇」の内容に基づいてどのようにイスラエルの民が礼拝していたか
について知見を深める試みもなされました。

あるいは「詩篇」に付されている「見出し」
(「詩篇」の背景を短く説明するもの)の内容的な信憑性に対して
懐疑的な見解があらわれるようにもなりました。

その一例として「ダヴィデの歌」という見出しを持つ一連の「詩篇」は
ダヴィデの生きていた時代よりもはるかに後の時代の創作物である
とする解釈があります。
それらの見出しは「詩篇」の編集者たちによる補足であると彼らはみなします。
とはいえ「ダヴィデの歌」という表現は(異論はあるものの)
「ダヴィデ派の歌」という意味ではなく
「ダヴィデ自身の作った歌」という意味である
という見方がやはり依然として有力です。

このように、近年の詩篇研究の潮流においては「詩篇」を
「イスラエルの民はキリスト(すなわちメシア)の到来を
どれほど心待ちにしていたか」とか
「キリストを自分たちの主として信じる使徒的な信仰は
すでに旧約聖書の「詩篇」にも表現されている」
という従来の伝統的な視点から読み解くことは減ってきています。

その代わりに
「「詩篇」は当時のイスラエルの民の
具体的な宗教的事象にかかわる賛美歌集であった」
といった解釈が支持されるようになってきています。

そして、聖書に記載されている特定の歴史的出来事に
「詩篇」をそのまま素直に関連付けて理解する見方は
あまり見られなくなってきました。

このような詩篇研究の一般的な動向の変化があったにもかかわらず、
聖書の歴史的記述との関連を無視して
「詩篇」をイスラエルの歴史に関する資料としてのみ使用しようとする研究は、
結局はこれといった成果をもたらしませんでした。

このような研究方法は
「教会賛美歌」を読み解くことで教会の歴史を探ろうとする
のと同じくらい無謀な試みです。
それゆえ、うまく行かなかったのは当然の成り行きであるとも言えます。

ともあれ、このようにして、
学問的な詩篇研究と教会の伝統的な詩篇解釈との間に
大きな溝が生じてしまいました。
それでもこの溝は、過去数十年間のうちにある程度は埋められてきています。

これから始まる私たちの詩篇講義では
「詩篇」に対する上記の異なる複数の視点を
互いに明確に区別しつつ話を進めて行くことにします。
「詩篇」のメッセージの内容をまず学術的な詩篇研究に基づいて調べます。
の後で
今度はそれを自分たちの時代や生活に当てはめて考えていくことにします。
その際に
「詩篇」を新約聖書の視点からも考察してみることにしましょう。
宗教改革者マルティン・ルターはこの視点に立って「詩篇」を深く研究しました。
彼による「詩篇」の解き明かしがたんなる過去の遺物ではないことを、
私たちはこれから少しずつ学んでいくことになるでしょう。

2019年6月10日月曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 5章12〜14節 終わりの挨拶

 5章12〜14節 終わりの挨拶

この手紙の終わりにある「挨拶」には
幾つかの興味深い名前が記されています。
たとえば、「シルワノ」という人物は新約聖書で「シラス」という略名で
呼ばれているのと同一人物である可能性が高いです。
もしそうだとすると、
「使徒言行録」16章に登場するパウロの同僚「シラス」は、
この手紙の書かれた段階ではペテロと一緒に伝道していたとも解釈できます。

ちょうどこの挨拶の箇所でペテロは、
彼の手紙の受け取り手たちが日々の信仰生活の中で享受している恵みが
神様のまことの恵みに由来するものであることを強調しています。

シラスはパウロと共に福音を宣べ伝えました。
その同じ福音を、ペテロもまた自ら認めて伝えようとしています。
これには、パウロやペテロと一緒に福音伝道に従事した経験のある
シラスの立場も関係しているのかもしれません。

当時パウロと行動を共にしていたもう一人の人物はマルコです。
「使徒言行録」12章25節および15章37〜39節には、
パウロとマルコの間で起きた衝突が記されています。
しかし、「フィレモンへの手紙」24節や
「コロサイの信徒への手紙」4章10節の記述によれば、
彼らの間の関係は後になって修復されたように見えます。

伝承によれば、マルコはペテロの通訳として旅に同行し、
その折に聞いたことがらに基づいてローマで福音書を書いたとも言われます。
もちろん、この伝承については何も確実なことは言えません。
ともあれ、ペテロはこの「ペテロの第一の手紙」を書いた時点では、
マルコと共にローマにいます(5章13節)。「
バビロン」とはローマの暗喩です。

「マルコによる福音書」はペテロの視点から書かれているとよく言われます。
これもまた「マルコによる福音書」とペテロの間の関係性を示唆しています。
その一方で、「マルコによる福音書」はイエス様の身内や、
後にエルサレムの教会の初期の指導者となる主の兄弟ヤコブに対しては
まったく興味を示していません。
ですから、「マルコによる福音書」の飾り気のない記述にも、
そして「ペテロの第一の手紙」にも、
年老いた使徒の同じ温かな肉声を聞き取ることができる、
と考えてもよいのではないでしょうか。



以上で「ペテロの第一の手紙」ガイドブックの配信を終わります。

2019年6月5日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 5章6〜11節 謙虚に、油断せずに生活しなさい(その2)

5章6〜11節 謙虚に、油断せずに生活しなさい(その2)

ある時、私は妻と一緒に車に乗っていました。
視界のとてもよくない夜でした。
歩いて道を渡る暗い人影が見えたため、
私は急ブレーキをかけました。
泥酔していたその人は
近づく車のライトが知らせる身の危険についても無自覚でした。
この出来事には、ペテロが手紙で描いているイメージと
何かしら共通するものがあると思います。

羊には獣の足音と吼え声を聞こえます。
しかし、獣がどこにいるのかは知りません。
その危険にも無頓着です。
悪魔は人がキリストを信じることも
罪の赦しを信じることも許そうとはしません。

マルティン・ルターは彼の起草した洗礼式用の式文で、
どのようなことが洗礼では起きているのか、
おごそかに私たちに思い起こさせようとしています。

洗礼において子ども(赤ちゃん)はキリストのゆえに
「神様の子ども」として受け入れられて、
キリスト教会の一員とされます。

その一方で、
悪魔が洗礼を受けたその子に襲いかかろうとするようになります。
受洗者は洗礼の前には悪魔に支配されていました。
その元の状態に連れ戻すために、
悪魔は受洗者に対して攻撃の手を緩めようとはしません。

これと同様の危険が、
キリストを信じる心をもつ人皆を今もなお脅かし続けているのです。
あなたが信仰を捨ててしまうか、
あるいは栄光の御国にたどり着くまでは、
悪魔はあなたを放置しません。

ですから、慎重な態度を保ち、
キリストの勝利の中に「避けどころ」を求める生活を送ることが大切になります。
そうしなければ、
キリスト信仰者としての生活は頓挫してしまうことになるからです。