2009年6月5日金曜日

マルコによる福音書 第12回目の質問

第12回目の集まりのために

マルコによる福音書12章

イエス様はエルサレムで民を教えられます。

1)イザヤ書5章1~7節を読んでください。この物語で「ぶどう畑」は何を意味しているでしょうか。このぶどう畑をつくったのは誰でしょうか。「垣を取り去る」(5節)とはどういう意味ですか。

2)イエス様のたとえのなかにでてくる(12章1~12節)「ぶどう園の持ち主」、「ぶどう園を借りた者たち」、「ぶどう園の貸し賃を受け取りに来た召使い」、「ぶどう園の持ち主の息子」、はそれぞれ誰でしょう。
なぜ祭司長、律法学者、長老たちはイエス様の話を聞いて腹を立てたのでしょうか。

3)聖書全体からみるとき、このぶどう園のたとえはイスラエルの民について語っていることがわかります。イスラエルの民は「神様の民」という特別な地位を与えられたにもかかわらず、自分たちの「王様」を拒みました。この結果、イスラエルの民には、はかりしれないほどの苦しみがおそいかかりました。にもかかわらず、イスラエルの大半は今もなお自分たちの主をしらないままでいます。このたとえを日本人や日本の教会に当てはめてみてください。どういうことになりますか。主が最後の裁きに来られる時に、私たち日本人はユダヤ人たちよりもましな立場にあるといえるでしょうか。

4)なぜ「皇帝に税金を払うこと」についてイエス様に質問が飛んできたのでしょうか(12章13~17節)。

5)イエス様は「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と命じられています。現代のクリスチャンである私たちは、このイエス様の御言葉に具体的にはどのようにしたがっていくことができますか。

6)ファリサイ派の人々とはどのような人たちでしたか。

7)死者の復活への信仰をぬきにして、キリスト教がなりたつでしょうか。自分の意見とその根拠を述べてください。

8)旧約聖書に約束された「キリスト」は、「ダヴィデの子」ですか、それとも「ダヴィデの主」ですか。イエス様の質問(37節)への答えは何でしょうか。

9)イエス様は旧約聖書のある箇所について、「ダヴィデ自身が聖霊様に感触されて言いました(・・・)」(36節)と言われています。
聖書に対する私たちの態度を考えるとき、このことはどのような意味をもっていますか。

10)イエス様は律法学者たちのみせかけだけの偽善を厳しく裁かれます。信仰生活にかかわる霊的な偽善について十分に説教がなされているでしょうか。一般に「偽善」と呼ばれることはすべて偽善なのでしょうか。また、「真の善行」と呼ばれることはすべて真の善行なのでしょうか。

11)「お金持ち」と呼ばれるためには、人はどれほどの財産が必要なのでしょうか。一緒に考えてみてください。あなたがたは「お金持ち」ですか。

12)「これがなくては生きていくことができない」、と言えるような、あなたにとって必要不可欠なものを全部あげてみてください。