2009年1月19日月曜日

マルコによる福音書について 第7回目の質問

第7回目の集まりのために

マルコによる福音書7章

イエス様は律法学者たちの抱いている「聖なる生活への憧れ」を打ち砕かれます。そして、さらに新しい奇跡が起こります。

1)ファリサイ人たちや律法学者たちの宗教的な特徴はどのようなものでしたか。彼らのことを私たちは不適切なほど厳しく批判することに慣れてしまっているのではないでしょうか。彼らと私たちクリスチャンとの考え方は、どの点で相違し、またどの点で共通しているでしょうか。

2)7章1~13節で問題になっているのは、どのような「洗い」についてですか。

3)ファリサイ人たちと律法学者たちとは神様の御言葉を非常に厳格に実行しようとして、律法に基づき詳細な生活規定を設け、「こう行うのは神様の御心に従うことだ」と考えていました。しかしイエス様は、こうしたことはすべて偽善に過ぎないことをあきらかになさいました。

私たちが神様の御言葉に厳密に従おうとするときに、逆にそれによって御言葉の真の意味を理解できなくなってしまうような場合がありますか。そのような場合には、どのような「薬」がよく効くでしょうか。

4)7章14~23節で、イエス様は「食べ物はすべて清い」と宣言されました。これと同じ教えは、たとえばローマの信徒への手紙14章14~15節や、テモテへの第1の手紙4章4~5節に記されています。こういうわけで、モーセの律法が定めている、たとえば「豚の肉を食べない」などという食べ物に関する限定事項は、クリスチャンには関係がありません。そうした規定はユダヤ人たちに対してのみ与えられています。

あなたは、この点で今述べたこととは違う考え方をする宗教的なグループを知っていますか。また、使徒の働き14章14~15節に関わる規定に関してはどうでしょうか。

5)ユダヤ人たちは異邦人たちに対してどのような態度で接していましたか。イエス様はいつ異邦人たちにお会いになりましたか。

6)フェニキア生れの女は神様から何もいただけなかったにもかかわらず、主の御許を立ち去ろうとはしませんでした。彼女はイエス様にすがりつづけ、ついには望んでいたものをいただきました。

この女の粘り強い信仰は私たちに何を教えているでしょうか。あなたは何かのために何年間も神様へと叫びつづけてきたことがあるでしょうか。