2019年1月30日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章13〜17節 苦難と希望(その2)

3章13〜17節 苦難と希望(その2)

人が苦しむことになる理由や原因は様々です。
自らの罪のせいで苦しむことになる場合も多いことでしょう。
しかし、もしも私たちが
「キリスト信仰者」であるがゆえに苦しむことになる場合には、
良心の呵責を感じることなく、
正しくあろうとするがゆえに
苦しみを受ける者でありたいものです。

キリスト教信仰については
他の人々に宣べ伝える用意がいつでもできていることが望ましいです。
しかし、その際にも
不必要なほど厳しい話し方をしたり、
喧嘩腰になったりはしないように、
くれぐれも注意しなければなりません。

2019年1月23日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章13〜17節 苦難と希望(その1)

3章13〜17節 苦難と希望(その1)

13〜17節でペテロは今までの内容をまとめます。
すなわち、
人々を恐れるあまり主の戒めに反することを行ってしまい、
その結果、いつか神様の怒りに直面しなければならなくなるよりも、
むしろ、神様の御心に従って善い行いをするほうが、
たとえそのために苦しむことになるとしても、より優れた生き方である、
ということです。

もしも私たちが神様の御心に従って生きるのなら、
誰も私たちに危害を加えることはできません。
なぜなら、神様が私たちの面倒をよく見てくださるからです。
パウロもこれと同じ考え方を「ローマの信徒への手紙」で
次のように提示しています。

「それでは、これらの事について、なんと言おうか。
もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、
わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。
神は彼らを義とされるのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、
また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、
ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。
死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。」
(「ローマの信徒への手紙」8章31〜39節、口語訳)

2019年1月16日水曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章8〜12節 信徒全員に共通する教え


3章8〜12節 信徒全員に共通する教え

「家訓」の最後に、使徒ペテロは
信徒全員に共通して適応される原則について注意深く教えます。
それは、
悪によって悪に報いず、
悪言に対して悪言を返さず、
優しい心をもって相手を祝福しなさい、
という原則です。

この戒めは次の事実に基づいています。
すなわち、
あなたがたは祝福を受け継ぐ者となるために、
あなたがたを侮る者たちを祝福するべく神様に召された者である、
ということです。

この考え方は「主の祈り」にあるのと同じ教えです。
私たちは「主の祈り」で、
私たちが他の人々を赦すのと同じように、
どうか神様も私たちを赦してくださるように、
と願い求めているからです。

「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。」

「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、
あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、
あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」
(「マタイによる福音書」6章12、14〜15節、口語訳)。

「詩篇」34篇、イエス様、そしてペテロの手紙が教えている内容は明瞭です。
もしも他の人に対して憎しみやわだかまりを持ち続けて、
その人に対して心から罪を赦そうとしないならば、
私たちは自ら天の扉を目の前で閉じてしまうことになる、
ということです。

「主の祈り」のよく知られた御言葉と同じように、
ペテロの伝える御言葉もまた私たちに厳しい選択を迫ります。
にもかかわらず、「ペテロの第一の手紙」は、
すべての背後に神様の恵みがあることを私たちに教えてくれます。

次に述べる順序は大切なものなので、注意深く学んでください。
はじめに、
神様はキリストにおいて私たちに罪の赦しを与えてくださいました。
これがすべての出発点です。
そしてその後で、
今度は私たちが他の人たちに罪の赦しを与える立場になるのです。

2019年1月11日金曜日

「ペテロの第一の手紙」ガイドブック 3章7節 夫について

3章7節 夫について

妻に夫を敬うように教えたペテロは、
夫のほうでも妻を敬うように奨励しています(3章7節)。
配偶者に対する悪い態度は祈りの生活を妨げるし、
ひいては神様との関係にも悪影響を与えてしまう、
とペテロは注意しています。

男女に別々の指示を与えるペテロのやりかたは、
何であれ「男女差別」に結びつけようとする傾向が強い
現代の私たちには馴染みが薄いものに思われるかもしれません。

しかし、当時においてもペテロの指示の内容は
初期のキリスト教会の教えと同じくらい革命的なものだったことを
ここで強調しておく必要があるでしょう。

男性とまったく等しく女性も神様の恵みに与っている存在であることを、
教会は最初から一貫して教えてきました。
まさしくこの理由から、イエス様はマルタに、
彼女の姉妹マリアがただ台所の給仕係としてだけではなく
御自分の弟子としても男性の弟子たちとまったく等しく尊い存在であることを
教えてくださったのです(「ルカによる福音書」38章42節)。

私たちは自らのキリスト教信仰の本質を問われるのが
自らの家庭においてであることを、ここでとくに強調したいと思います。
私たちが一番身近にいる人たちから見ても
キリスト信仰者にふさわしい生活を送ろうとしているようには見えない場合、
それは他の人々から見ても同じことでしょう。

他の場所では天使のように振る舞っておきながら
自宅では悪魔のような態度をとるのは、
決してあってはいけないことです。