2009年5月4日月曜日

マルコによる福音書について 11章20~26節

イチジクの木の結末 11章20~26節

マルコによる福音書は主がのろわれたイチジクの木を再び読者の前に提示します。たった一日のうちにその木は根まで枯れてしまいました。弟子たちはこの出来事に驚きました。イエス様は彼らに信仰の本質を教えました。ゆるがない信仰は、必要とあれば、木を枯らせるばかりか、山をも動かすことができるのです。神様との正しい関係は、力と愛との中にあらわれます。疑わない信仰は何でもできるのです。それはまた、神様が御造りになった人間ひとりひとりを赦すようにと、私たちを導いてくださいます。イチジクの木についての事件は意味のない奇妙な出来事ではありません。それは非常に象徴的な出来事でもありました。マルコによる福音書ではこの出来事は、イエス様の宮清めの前後に分けられています。それによってわかるのは、イチジクの木は、実はイスラエルをあらわしているということです。神様の御子が聖なる都に来られ、義をさがし求められます。しかし、その義は神殿にはありませんでした。エルサレムでイエス様が聖なる怒りをあらわにされたこととイチジクの木をのろわれたこととは対応しあっています。同様に、木が根まで枯れてしまうこととエルサレムの滅亡(70年)とも対応しあっているのだと思われます。