2009年9月23日水曜日

マルコによる福音書について 14章27~42節

深まる夜 14章27~31節

聖餐式が設定されて、イエス様はふたたび道を先へと歩まれます。弟子たちは決定的な瞬間が間近に迫っていることをいまだにしらないままです。ゼカリヤ書(13章7節)に「羊飼いを撃ちなさい、その羊は散り散りになります」と書いてあるにもかかわらず、ペテロは「イエス様のためならば自分は死ぬのもいとわない」と自信満々です。イエス様は、ペテロとはちがって本当のことがわかっておられましたが、孤独に耐えていました。私たちはそのようなイエス様のお姿に非常な感動をおぼえます。


「あなたの御心がなりますように」 14章32~42節

ペテロとヤコブとヨハネはイエス様の最高に偉大な瞬間のひとつに立ち会うことを許されました。イエス様はゲッセマネでの祈りの戦いの支えとして彼らをお選びになったのです。夜はすでに更け、さきほどまでのお祝いの食事は眠気を誘いました。それは目を開けていることさえできないほどのものでした。弟子たちは今がどんな時であるか、まったくわからなくなっていました。イエス様はおひとりで祈って戦っていました。御自分を待ち受けていたのは、苦難と恥辱と死でした。エレミヤが「民全体に飲ませるように」という使命を受けたあの「神様の怒りの杯」(エレミヤ書25章15節)が、今イエス様の目前にありました。イエス様はこの使命から解放されることを祈り求めますが、かないませんでした。天は閉じられ、神様は御子に迂回路をお与えにはなりません。イエス様はすべての人間の罪が当然受けるべき報いとしての「怒りの杯」を、おひとりで一滴のこらず飲み干さなければならなかったのです。イエス様はそれを受け入れる心構えをし、敵との絶望的な遭遇に備えて、弟子たちをお集めになります。