2009年1月7日水曜日

マルコによる福音書について 7章1~13節

人間の規則をとるか、それとも神様の御言葉をとるか

マルコによる福音書7章


反対、そして食い違う意見 7章1~13節

6章の終わりに私たちは、イエス様の周りで人々の動きが絶えず拡大していくのを見ました。この段階ではまだイエス様がガリラヤで活動されていたことは、ともすると忘れられがちです。ガリラヤからユダヤの地方やエルサレムまではかなりの距離がありました。しかし、イエス様の周りの人々の動きがさかんになるにつれて、エルサレムの学者たちがこの運動についてなんらかの立場を表明するようになるのは時間の問題でした。律法学者たちやファリサイ人たちがイエス様の御許にやってきたのは、不思議ではありません。彼らがイエス様につき従っている人々の生活習慣について注意を喚起したのも、納得がいきます。律法学者たちの生活態度はモーセの律法に基づいており、さらには、律法に関連した伝統的な教えが定めている諸規則を遵守するものでもあったからです。彼らとイエス様との間の意見の食い違いが表面化したのは、「食事の前には手を洗うこと」と「市場から帰ったときに身を清めること」というファリサイ人たちの慣習についてでした。ここで問題になっているのは、現代的な意味での「洗い」ではなく、宗教的な意味づけをもった「清め」です。モーセの律法が定めてはいないこの「しきたり」に対して、ファリサイ人たちはレビ記20章7節[1]にその根拠を求めました。イエス様の弟子たちがこの慣習に従わなかったため、ファリサイ人たちや律法学者たちはその理由をイエス様に尋ねました。イエス様はどうして弟子たちがそうするか説明したり、細かい点について議論したりはなさいませんでした。イエス様はファリサイ人たちが抱いている「聖なる生活への憧れ」をここでいっぺんに打ち砕かれたのです。
人を神様の御許近くへと導かないようなしきたりはすべて、形骸化した「聖なる習慣」にすぎないのです。厳密な律法遵守を目的としていた律法学者たちは神様の御言葉を守るどころか、それとは逆に、御言葉を人々からも自分自身からも遠ざけてしまいました。イエス様はまた、どのようにして人間の言い伝えが神様の御言葉を無視する結果を招くか、具体的な例を挙げておられます。聖書以外の文献からも知られているように、両親の財産を相続した息子がその財産を神殿に献納するというケースが当時本当にありました。その場合、その奉納者本人のみが生涯にわたってその財産から生活費を享受できるという仕組みになっていました。また彼は(おそらく自分とは険悪な関係にある)両親の世話をする義務からも解放されました。おそらく律法のこうした解釈の背景には、「神殿に犠牲の捧げ物をすることは第一戒(「あなたには他の神があってはならない」)に基づいており、それゆえ第四戒(「父と母を敬え」)よりも優先して実行されるべきだ」という考えがあったのでしょう。しかし、イエス様はこのような論理をお認めにはなりません。具体的な神様の御言葉は聖なるものであり、人間による解釈がそれをわきに斥けてしまってはいけないのです。イエス様がここで言われていることを読むときに私たちが踏まえておくべきなのは、ファリサイ人や律法学者の教えを批判していた教師は当時イエス様だけではなかった、ということです。死海のほとりに住んでいたエッセネ派の人々はファリサイ人や律法学者の教えをイエス様よりも厳しく批判していました。また、神殿の祭司階級の間で堅固な支持を得ていたサドカイ派の人々は、多くの点でファリサイ派の人々とはまったく反対の立場をとっていました。このように、当時のユダヤ教は「ひとつの石から切り出された彫像」のようなものではなかったのです。それは多様な、局所的には互いに激しい争いを繰り広げている宗教運動を一括した名称であり、ある種の基本的な諸問題に加えて、民族的な紐帯によっても結び合わされているものだったのです。

[1] 「あなたがたは自分を聖別して、聖なる者とならなければなりません。私はあなたがたの神、主です。」