2023年8月23日水曜日

「ハバクク書」ガイドブック 「ハバクク書」3章16〜19節 「しかし」

 「しかし」 「ハバクク書」3章16〜19節

 

「わたしは聞いて、わたしのからだはわななき、

わたしのくちびるはその声を聞いて震える。

腐れはわたしの骨に入り、

わたしの歩みは、わたしの下によろめく。

わたしはわれわれに攻め寄せる民の上に

悩みの日の臨むのを静かに待とう。

いちじくの木は花咲かず、

ぶどうの木は実らず、

オリブの木の産はむなしくなり、

田畑は食物を生ぜず、

おりには羊が絶え、

牛舎には牛がいなくなる。

しかし、わたしは主によって楽しみ、

わが救の神によって喜ぶ。

主なる神はわたしの力であって、

わたしの足を雌じかの足のようにし、

わたしに高い所を歩ませられる。

これを琴に合わせ、

聖歌隊の指揮者によって歌わせる。

(「ハバクク書」3章16〜19節、口語訳)

 

神様に関わりのある重要な言葉のひとつに「しかし」があります。

預言者ハバククはユダに破滅が刻々と迫りつつあるのを

目の当たりにしているにもかかわらず(3章16〜17節)、

神様との繋がりを堅く守り続けており、

さらには神様の御許にあって大いなる喜びに満たされてもいます

(3章18〜19節)。

 

この箇所は「ハバクク書」2章4節の説明になってもいるとも言えましょう。

信仰者の喜びは

「神様がどのようなお方であるか」という正しい理解に関わるものであり、

「この世が何を与えてくれるか」という期待には無関係なのです。

 

「ハバクク書」3章16節に出てくる

「われわれに攻め寄せる民」とはバビロニアのことを指しています。

 

「詩篇」にはしばしば「琴」と訳されている楽器が登場します。

例えば「詩篇」4篇、54篇、55篇、67篇1節、76篇1節などの

冒頭部分をみてください。

「ハバクク書」3章19節にも出てくるこの「琴」は

琴やハープに類似したものです。

例えば「歴代志上」16章4〜7節、「詩篇」33篇2節、92篇4節、

144篇9節も参考になります。

また「サムエル記上」16章16〜23節とも比較してみてください。

 

(終わり)