2014年1月31日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 21章15~19節 イエス様とペテロ(その1)


イエス様とペテロ 211519節(その1)



かつて公然とイエス様を否認したペテロがイエス様と出会うシーンは、
とりわけ強い印象を与える、心理学的にみても非常に興味深いものです。
その場には他の人も居合わせましたが、
この二人の間には入れない部外者扱いでした。
ペテロとイエス様は互いに深く見つめ合います。
この箇所では、
ペテロの否認や、ペテロの人生にこれから起こることが、
そのテーマとなっています。
三度ペテロが、「私はイエスを知らない」、と言ったように、
ここでイエス様は、三度ペテロに、 
「あなたは私を愛していますか」、と質問します。
三度目の質問の後で、ペテロはついに悲しみに沈みます。
ペテロと主との関係が実際はどのようなものか、
今や明らかになったのです。
イエス様の三つの質問は、
牧者として働く上での三つの勧告でもありました。
「ヨハネによる福音書」10章の「よい羊飼い」についてのたとえと、
その背景にある旧約聖書の箇所(とりわけ「エゼキエル書」34章)とを
思い起こしましょう。
不適格な牧者は自分のことばかり気にかけて、
自分にゆだねられた羊の群れの世話を怠ります。
しかし、
主が御自分に属する者たちの牧者になられると、
状況がすっかり変わります。
復活の主は、
群れの世話をするための手段として人間を用いられます。
四つの福音書を通じて弟子たちの指導者として描かれるペテロには、
他の弟子たちに対してよりも責任の重い使命が与えられています。
牧者の仕事、とりわけペテロの大切な特別任務を遂行するためには、
主を愛する心が不可欠です。
ペテロは確かに、
「イエス様のことを知らない」、と三度も人前で否定しましたが、
そんなペテロをイエス様はもう一度伝道のために派遣しようとされます。
この派遣の際に、イエス様はペテロに謎めいたことを言われます。
そしてその意味はずっと後になってから明らかになります。

2014年1月29日水曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 21章1~14節 漁をする使徒たち


漁をする使徒たち 21114


この箇所がどの時期に位置するものか、
はっきりと特定するのは難しいですが、
未だ弟子たちがイエス様の復活について確信がもてないまま
混迷の中にいた時期であった、と推定するのが最も自然に思えます。
このように考えると、
弟子たちが漁に出るというのは、
以前にイエス様から受けた使命を否定することを意味しています。
「イエス様は墓にいるので、
もはやイエス様につき従うことはできなくなった」、
と考えた弟子たちは、
使徒の職務の代わりになる新しい職業を探したのでしょう。
そして、もちろんまず初めに頭に浮かんだのが
元の職業、漁師でした。
この箇所における、
まるで物語の中の出来事のような大漁や、
岸でのイエス様と共に過ごした夢うつつのひと時は、
弟子たちがイエス様の弟子としての自覚を取り戻す、
大切な意味をもっていました。
153匹という魚の数にはおそらく何らかの象徴的な意味があり、
キリストのみわざがあらゆる国民に関わるものであることを
指しているものと推測されます。
たとえば、1から17までを足すと153になります。
そして、107とはユダヤ人にとって完全数です。
先ほどまで揺れ動いていた弟子たちの気持ちは、
この出来事をきっかけとして整理され、
彼らは再び「人間をとる漁師」に戻ったのでした。

2014年1月27日月曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 21章について


あとがき

「ヨハネによる福音書」21



「ヨハネによる福音書」の最初の形は、
20章で終わっていたと推定されます。
これから扱う21章は、
それに少し遅れて付け加えられた「あとがき」ですが、
この部分もまた、
福音書と同じ確実な伝承に基づいていることには違いがありません。
この章のすべてのシーンにおいて、
イエス様の最愛の弟子が中心的な役割を担っています。
また、この21章は、
「ヨハネによる福音書」のすべての写本に含まれています。
ということは、
「ヨハネに世よる福音書」が公けに幅広く読まれるために
多くの写本(福音書のコピー)が作られるよりも以前に、
この21章が書かれていたのは確実だ、
ということになります。
この意味で、この章は非常に古く、
福音書の本来の一部分だと言えるのです。

2014年1月24日金曜日

「ヨハネによる福音書」ガイドブック 20章30~31節 この書物が書かれた目的


この書物が書かれた目的 203031


この箇所は、
「ヨハネによる福音書」が書かれた理由を読者に説明しています。
語られなかったことが多く残ったものの、この福音書の目的は明確です。
それは、
読者が信じるようになり、
イエス様において命をいただけるようになることです。
ここで、再び福音書の冒頭に戻りましょう。
「この言の中に命があり、命は人々の光でした」(14節)。
この時点で、読者は福音について、
それが本当に暗闇の世界に向けて不思議な光を放っていることを、
証することになるわけです。
私たちは、この福音の光のことを理解しているでしょうか。