2009年11月23日月曜日

マルコによる福音書について 16章19~20節

キリストは天におられます。 16章19~20節

最後の箇所は、イエス様がどのように天に挙げられ、お父様の右の座におつきになったかについて、短く語っています。弟子たちはさっそく行動に移り、福音をあらゆるところに伝えていきました。「イエス様がお父様の右の座におつきになったこと」は、私たちにはおそらくすでにあたりまえのことになっているでしょう。しかしそれは、マルコによる福音書のユダヤ人読者にとってはそうではありませんでした。ユダヤ人たちにとっては、神様は唯一のお方であり、その御座を誰か他の者と分け合うことなどはありえないことで、天使にも聖なる神様の近くに座る権利などはありませんでした。すべての人の罪を帳消しにするための十字架での使命を果たされたあとで、キリストはお父様の御許に戻られて、人間の理解を超えた栄光を私たちに確保してくださいました。主が私たちの罪の負債を御自分の血によってすっかり支払ったあとで、お父様から天と地のあらゆる権威を受けられたのは、私たちにとって計り知れないほど大きなことです。キリストがドアを開けてくださるとき、それを私たちの前で閉める者は誰もいません。もしもキリストがドアを閉めるならば、それを開けることは誰にもできません。弟子たちは福音をすべての被造物に伝えるために出かけて行きました。それは今日でもキリストの教会の基本の使命です。私たちは他のすべてのことを忘れてもかまいませんが、「主の苦難の僕」、神様の御子について証することは決して忘れてはなりません。この御子が私たちのために御自分を死に渡してくださいました。そして、この御子をお父様は死者の中からよみがえらせ、御自分の右の座へと挙げられました。