2020年12月21日月曜日

「ルツ記」ガイドブック 引き継がれる家系 「ルツ記」4章13〜17節、ダヴィデの系図 「ルツ記」4章18〜22節

 引き継がれる家系 「ルツ記」4章13〜17節

 

もしもここに神様の祝福が欠けていたならば、

一切の労苦はむだになってしまったことでしょう。

しかし、神様は「ルツに祝福を与えたい」という変わらぬ御意思により、

彼女に男の子を授けてくださいます(4章13節)。

すると、女たちはナオミに次のように言います。

 

「彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。

あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が

彼を産んだのですから。」

(「ルツ記」4章15節、口語訳)

 

上掲の箇所で「彼」はルツが生んだ男の子を、

そして「彼女」はルツを指しています。

また「7」という数字は完全性の表現です。

ですから「七人のむすこ」(4章15節)という表現は

家族がたんに大きいだけではなく完全でもあることをも意味していました。

ルツはベツレヘムの住民たちから大いに敬意を払われる存在になったことが

ここからわかります。

ところで、この表現は旧約聖書では何度も登場しています。

その例としては「ヨブ記」1章2節や42章13節などの他に

次の箇所もあります。

 

「飽き足りた者は食のために雇われ、

飢えたものは、もはや飢えることがない。

うまずめは七人の子を産み、

多くの子をもつ女は孤独となる。」

(「サムエル記上」2章5節、口語訳)

 

ルツに生まれた男の子の名前は「オベデ」と言い、

ヘブライ語で「僕」という意味があります。

本当に、オベデは多くのやり方でナオミとルツに仕えました。

とりわけエリメレクとナオミの一族に子孫を与えたことが

彼の行った最大の奉仕であったと言えます。

またこの名前はイエス様が「苦しみを受ける神様の僕」

(「イザヤ書53章」)であられることを私たちに思い起こさせます。

 

 

ダヴィデの系図 「ルツ記」4章18〜22節

 

「ルツ記」の末尾を飾るペレヅの子孫の系図は

約900年もの長期間にわたっています。

にもかかわらず、そこにはわずか10名の名前しか挙げられていません。

そこに選ばれた名前の数々はもれなくイエス様の系図にも載っています

(「マタイによる福音書」1章3〜6節)。

 

 

以上で「ルツ記」ガイドブックを終わります。

2020年12月16日水曜日

「ルツ記」ガイドブック 取り払われる障害 「ルツ記」4章1〜12節(その2)

  取り払われる障害 「ルツ記」4章1〜12節(その2) 

 

ナオミの一族に最も近しい「縁者」は

どうしてナオミの土地を積極的に贖おうとしなかったのでしょうか。

上に述べた「ヨベルの年」に関する律法規定がその理由を明らかにしてくれます。

その縁者はナオミの畑を買い戻すために自分のお金を使わなければならないし、

しかもその畑は結局エリメレクの一族のものとなってしまいます。

また、ルツとの間に生まれるであろう最初の男の子は

エリメレクの息子マロンの息子とみなされることになります。

この縁者が消極的であったもうひとつの理由は、

もしもルツとの間に生まれる男の子が一人だけの場合には、

畑を贖った彼自身の資産もすべてマロンの一族(すなわち、ナオミの一族)

の所有に帰してしまうことになるという恐れでした。

しかし、この後者のケースが実際に起きる可能性は

きわめて小さかったと思われます。

なぜなら、ユダヤ人の成人男子が普通そうであるように、

その縁者はすでに結婚していたでしょうし、

彼にはすでに自分の子どももいたはずだからです。

 

それでもこの縁者は畑自体を贖うことは承諾しました(4章4節)。

ところが「モアブ人ルツと結婚しなければならない」という条件を聞いて

彼の態度は一変しました(4章5〜6節)。

その畑は自分の資産とはならず、

ルツとの間に生まれてくる男の子の資産、

すなわちエリメレクの一族の資産となってしまうことがわかったからです。

 

「むかしイスラエルでは、物をあがなう事と、権利の譲渡について、

万事を決定する時のならわしはこうであった。

すなわち、その人は、自分のくつを脱いで、相手の人に渡した。

これがイスラエルでの証明の方法であった。」

(「ルツ記」4章7節、口語訳)

 

この節は、イスラエルにかつて存在した古い慣習について

「ルツ記」の読者に説明しています。

このことから「ルツ記」は

ナオミとルツをめぐる出来事の起きたすぐ後に

書き記されたものではないことがわかります。

 

こうしてボアズはエリメレクとナオミの一族の「縁者」としての義務を

引き継ぐことを正式な手続きを踏まえた上で宣言したのです。

 

「すると門にいたすべての民と長老たちは言った、

「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、

イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。

どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。

どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、

かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。」

(「ルツ記」4章11〜12節、口語訳)

 

ルツはベツレヘムの人々から好意的にみられていたことが

この箇所や4章15節からわかります。

また、タマルはルツの比較対象として適切な例です。

彼女もレビラト婚を通じてペレヅとゼラを生んだからです

(「創世記」38章27〜30節)。

 

本来ならば、ボアズよりも近い親戚関係にあるもうひとりの人物が

「縁者」としてエリメレクとナオミの畑を贖い、

ルツを妻として迎えるべきところでした。

しかし、その人物は「縁者」としての使命を引き受けませんでした。

もちろんボアズも彼と同じように

「縁者」としての義務の履行を拒むことだってできたはずです。

しかし、ボアズはそうしませんでした。

ですから、ボアズが「贖い」の使命を引き受けたのは

「純粋なる愛」に基づく行いであったと言えます。

その意味で、ボアズとルツの結婚は「神様の愛」に基づくものでした。

2020年12月9日水曜日

「ルツ記」ガイドブック 取り払われる障害 「ルツ記」4章1〜12節(その1)

 取り払われる障害 「ルツ記」4章1〜12節(その1)

 

当時、イスラエル人の町の門(4章1節)は

モーセの律法に基づく民事・刑事上の裁判を行う場でもありました。

そこで合法的な裁定を下すためには

十人の長老が裁判に臨席する必要がありました(4章2節)。

現代でもユダヤ教の会堂(シナゴーグ)での礼拝を行うためには

最低10人の成人男子が参加する必要があります。

当時の町は城壁で囲まれていたため、

門を通過しなければ町の中に入ることができませんでした。

それゆえ、会いたいと思っている特定の個人を探すときには、

門の近辺でその人を見かける可能性が高かったのです。

こうしてボアズもちょうど探していた親戚を見つけることができました。

 

「ボアズは親戚の人に言った、

「モアブの地から帰ってきたナオミは、

われわれの親族エリメレクの地所を売ろうとしています。」」

(「ルツ記」4章3節、口語訳)

 

上記のボアズの発言は、

今ナオミは自分の畑を売りたがっているという意味ではなく、

エリメレクがモアブに出立するときに所有する畑を売った

という過去の事実に関わるものです。

ベツレヘムに帰郷したナオミは

その畑を自分の一族の土地として買い戻す(すなわち贖う)ことを願いました

(4章4節)。

それを実現するためには

「ヨベルの年」までにその畑から収穫できるはずの穀物に相当する分量を、

現在の畑の所有者に支払う義務がありました。

おそらくこの出来事があった時点では

「ヨベルの年」はまだ何年も先のことだったと思われます。

「ヨベルの年」とは、

50年に1度すべての土地が本来の所有者に返還されて

イスラエル人の間の貸借関係が帳消しになる大恩赦の年のことです。

「レビ記」25章にはそれについて詳細な記述があります。

 

「あなたは安息の年を七たび、

すなわち、七年を七回数えなければならない。

安息の年七たびの年数は四十九年である。

七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。

すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。

その五十年目を聖別して、

国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。

この年はあなたがたにはヨベルの年であって、

あなたがたは、おのおのその所有の地に帰り、

おのおのその家族に帰らなければならない。

その五十年目はあなたがたにはヨベルの年である。

種をまいてはならない。また自然に生えたものは刈り取ってはならない。

手入れをしないで結んだぶどうの実は摘んではならない。

この年はヨベルの年であって、あなたがたに聖であるからである。

あなたがたは畑に自然にできた物を食べなければならない。

このヨベルの年には、おのおのその所有の地に帰らなければならない。

あなたの隣人に物を売り、また隣人から物を買うときは、互に欺いてはならない。

ヨベルの後の年の数にしたがって、

あなたは隣人から買い、彼もまた畑の産物の年数にしたがって、

あなたに売らなければならない。

年の数の多い時は、その値を増し、

年の数の少ない時は、値を減らさなければならない。

彼があなたに売るのは産物の数だからである。

あなたがたは互に欺いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。

わたしはあなたがたの神、主である。」

(「レビ記」25章8〜17節、口語訳)

 

「あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、

彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。

たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、

その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、

それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。

そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。

しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、

その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、

ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。」

(「レビ記」25章25〜28節、口語訳)

2020年12月2日水曜日

「ルツ記」ガイドブック ルツの求婚 「ルツ記」3章1〜18節(その3)

 ルツの求婚 「ルツ記」3章1〜18節(その3)

  

しかし、ボアズにはひとつの問題が残っていました。

彼はルツを妻として迎える権利を有する「最も近しい親戚」

ではなかったのです(12節)。

正しい順序を守るなら、まず、その最も近しい親戚に

ルツを妻とする意思があるかどうかを尋ねるべきなのです。

その人がルツと結婚する意思がないことを確認した上で、

ようやくボアズはルツと結婚することができるのです(13節)。

 

ボアズはルツが今晩彼のもとを訪れたことを

他の誰にも知られないようにするために細心の注意を払いました(14節)。

仮にもうひとりの「縁者」がルツを妻として迎えることになった場合には、

ルツがボアズとの姦淫の罪の疑いを持たれないように

しなければならなかったからです。

 

また、旧約聖書についてのユダヤ教の釈義書「ミシュナー」によれば、

イスラエル人の男が異邦人の女と性的関係をもった場合には、

彼は「縁者」としての使命を果たす権利を失います。

このようにボアズの立場からみても

「ボアズはルツと姦淫したかもしれない」

という疑いをもたれないようにすることが不可欠だったのです。

 

「そしてボアズは言った、

「あなたの着る外套を持ってきて、それを広げなさい」。

彼女がそれを広げると、ボアズは大麦六オメルをはかって彼女に負わせた。」

(「ルツ記」3章15節より、口語訳)

 

ボアズがルツに与えた穀物の量がどれほどであったのか、私たちは知りません。

ヘブライ語原版では「シェーシュ(六)・セオリーム(大麦)」

とだけ記されています。

ラビ文献は2エパであったとしています。

しかし、これは現代の尺度で言えば約60〜80リットルに相当し、

一人の女性が服に包んで運ぶにはあまりにも多すぎるし重すぎます。

 

おそらくボアズは脱穀場に朝までとどまり、

そのもうひとりの「縁者」と会うために町の門のところに出向いたのでしょう

(「ルツ記」4章1節)。

 

ナオミは戻ってきたルツに「娘よ、どうでしたか」と呼びかけます

(4章16節)。

3章18節や2章8節でもナオミは実の娘ではないルツのことを

「娘」と呼んでいます。

また、ボアズはナオミの亡き夫エリメレクのことを

「私たちの兄弟」と呼んでいます(4章3節)。

後に、ナオミはルツがボアズに生んだ男の子を引き取り、

我が子として養い育てることになります。

近所の女たちは「ナオミに男の子が生れた」と言って、彼に名をつけ、

「オベデ」と呼びました(4章17節)。

これらの例からもわかるように、

中近東の地域では「息子」「娘」「父親」「母親」といった呼称は

遠い親戚にあたる人々に対しても用いられていました。

 

「ルツ記」の構成はきわめて巧みです。

たとえば、各章のおわりにはその次の章の出来事が予告されています。

「ルツ記」の1章22節と2章、2章23節と3章、3章18節と4章

というつながりに注目してみてください。