2009年3月12日木曜日

マルコによる福音書について 9章2~10節

輝きの瞬間

マルコによる福音書9章2~50節


輝きの山の栄光 9章2~10節

前章はマルコによる福音書の分岐点でした。「イエス様はキリストです」という弟子たちの信仰告白のあとで、イエス様の「道」が孤独と十字架と死へと下降しはじめたのでした。神様が遣わされたキリストは栄光に輝く王国を築くはずではなかったのです。キリストの道は「御自分の命を失い、それをふたたび神様の御手から受け取る」というものでした。イエス様は孤独でした。神様の道は人々の目から隠されたものだったからです。神様の道の下降していく有様とまったく異なっているのが、この高い山でのたった3人の弟子たちを前にしたイエス様のお姿でした。ペテロとヤコブとヨハネは信じがたい光景を目の当たりにしました。イエス様の外見が言葉には尽くせないほどの輝きと素晴らしさに満ち、衣服も光を放っていました。旧約聖書のもっとも偉大な人物たちであるエリヤとモーセが現れて、イエス様と語り合っていました。この世の終わりに臨んでユダヤ人たちが出現を待ち望んでいた人物はまさしくエリヤとモーセであったことが、知られています。そしてそれは、この「輝きの山」で実現したのでした。しまいには神様御自身が雲の中にあらわれて、「イエス様は神様の愛する御子であり、人々はこの方に聞き従わなければならない」ことを証してくださいました。そのあと、突然この光景は消えうせ、弟子たちと共にいたのはイエス様おひとりだけでした。この輝きの山での出来事はマルコによる福音書全体を視野に入れて読むべきです。人々の間ではイエス様は御自身の本当のお姿を隠しておられました。群集の目にはイエス様の「下降の道」は恥辱と屈辱にすぎませんでした。しかし、真実はちがっていました。神様の御子が御父の与えた使命をいまや成就なさろうとしていたのです。イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった瞬間の出来事、フィリポのカイザリヤで、実は自分でも何を言っているのかよくわからないままペテロが「イエス様はキリストです」と信仰告白した出来事を、神様はこの輝く山ではっきりと力強く示してくださいました。イエス様の真のお姿が一瞬強烈な光を放って明かされたのです。ところが、山から下りるときにイエス様は再び御自分を「キリストの秘密」の中に覆い隠されました。「人の子が死者の中からよみがえるまでは、輝きの山での出来事を誰にも一言も話してはならない」とイエス様はお命じになったのです。弟子たちはその指示に従いましたが、その意味を理解することはありませんでした。