2010年11月4日木曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」第2回目の終わりのメッセージ

終わりのメッセージ

私の神様、あなたは何なのでしょう。
私は尋ねます。
もしも主よ、あなたが私の神様でなければ。「私たちの主ではない主」とは、いかなるものでしょうか。
「私たちの神様ではない神」とは、いかなるものでしょうか。
最高で、最善で、最大で、全能で、最も憐れみ深く、最も義しく、最も隠されていて、にもかかわらず、あらゆるところに臨在しておられる、最も美しく、最も力強く、堅く立ち、と同時に決して人間の手には届かず、移り変わらず、にもかかわらず、すべてを変えるお方、あなたは、いまだかつて新しくあったことも古くあったこともなく、すべてを改めます。
しかしあなたは傲慢な者を、彼らがまったく気づかないうちに、しおれさせてしまいます。
あなたは常に影響力を持ち、いつもリラックスしていて、集めたり纏めたりしながらも、御自分では何も必要とはなさらず、支え、満たし、守り、創造し、養い、完全なものにし、探し求めながらも、御自身には何も欠けるところがありません!
あなたは愛し、しかも平安を失うことがありません。
あなたは激烈な行動に移られるときにも安らかであられます。
あなたは悔いたり、怒ったりなさいます。
ところが一方では、静謐さを保たれます。
あなたはすべてを変えますが、御自分は変わることがありません。
あなたは見つけたものを大切に取って置かれ、それを決して失くしません。
あなたは貧しいことが決してありませんでしたが、にもかかわらず、手に入れられたものを喜ばれます。
常に貪欲から自由であるあなたは、にもかかわらず、利子を要求されます。
あなたへの債務をどんどん増やすために、あなたは有り余るほど豊かに与えてくださいます。
しかし、「あなたのものではないもの」を何かもっている者が一人でもいるとでもいうのでしょうか。
誰に対しても債務を負うことなく、あなたは他の者たちの債務を支払ってくださいます。
何も失うことがないまま、あなたは債務を帳消しにしてくださいます。
あなたについて私たちは何を言うことができるのでしょうか、私の神様、私の命、私の聖なる救いよ。
にもかかわらず、あなたについて押し黙る人は哀れです。
あなたについて語る者たちでさえも口が聞けないに等しいのですから。

(アウグスティヌス 「告白」)