2010年11月12日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」3章5~9節 

説教者の意味 3章5~9節

コリントの教会では、教会員のうち誰がどの説教者の肩を持つか、言い争っていました。
とりわけアポロの力強い説教(「使徒の働き」18章を参照してください)は多くの信徒を魅了したようです。
しかしパウロは、「コリントの信徒たちが人物に応じてさまざまなグループに分かれてしまうようではいけません」、と言います。
使徒一同は神様のみわざに携わっている同僚であり、(福音を蒔き育てる)「畑」は「神様のもの」であり、コリントの信徒たちは「神様の建物」であることをパウロは強調します(9節)。
畑も働く人も「神様のもの」なのですから、人物に応じてさまざまな派閥に分かれるのはまったく意味がないのです。
パウロはコリントの教会を設立しました。
つまり、植えたわけです。
アポロは教会の世話をしました。
つまり芽に水を上げたのです。
しかし、すべての背後には神様がおられ、成長させてくださったのでした。
アポロもパウロも自分の仕事に応じて神様から「報酬」を得ます。
つまり、「皆がそれぞれ自分の仕事に責任をもてばよい」ということです。
御言葉を説教する者たちは皆、神様の同じみわざに携わっています。
ところが一方ではパウロは、「神様の御前で彼らは「共同責任」を問われることになる」、とは言ってはいません。