2010年11月5日金曜日

「コリントの信徒への第一の手紙」3章1~4節 

  
諍いの示していること
   
「コリントの信徒への第一の手紙」3章
   
パウロは1章のおわりと2章で、「キリストの福音は人間の教えではなく神様の教えである」、ということを語りました。
これから扱う箇所は、他から独立した部分ではなく、コリントの教会の内部の争いに対するパウロの返答でした。
今もパウロは返答を続け、それから再びコリントの状況に立ち戻って行きます。
そこでも彼はコリントの人々の諍いを取り上げます。
それと同時にパウロは、ごくふつうの「羊たち」の口元にも干草のかごを置きます。
3章のテキストは、それ以前の箇所よりもあきらかに単純なものです。
 
 
単純な食材の選択 3章1~4節
  
コリントに到着したとき、パウロは神様の奥義をすべて一遍に明らかにして見せたりはしませんでした。
彼は自分の「子供たち」を優しく世話し、乳を飲ませる「母親」のように振舞います。
生まれたばかりの赤ん坊は何でも食べてよいわけではありません。
そんなことをすればたいへんなことになります。
それゆえパウロも、コリントの信徒たちによく気を配り、基本的なことがらを何度もおさらいし、さっさと先へ進んでもっと深くて難しい問題を取り上げたりはしません。
神様の知恵をまるごと彼らに与えるのは、以前は無理だったし(ここでパウロは瞬く間にコリントの争いに話を戻します)、実は今でも無理なのです。
各々が教会での自分の教師たちをかついで派手に言い争っているところを見ると、コリントの信徒たちは信仰の問題についてあまり理解してはいなかったようです。
まったくもって彼らには、改めて「ミルク」を飲ませることから、すなわち基本の復習からはじめなければならないのでした。
ところが、彼らは自分自身がすでに「霊的」であるかのように思い込んでいたのです。
「霊的な人々」という言葉で、明らかにパウロはコリントの教会にたくさん現れていた「恵みの賜物」のことを指しています。
主の御霊の力によって生きていると思い込んでいる人々は、実際は「信仰生活の新入生」に過ぎなかったことが突然ばれてしまいました。
本来、彼らには「信仰生活のABC」を手取り足取り教える必要があったのです。