2012年3月7日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 9章20~21節 悔い改めない人々

 
悔い改めない人々 9章20~21節
  
 
この二節に込められたメッセージは衝撃的です。
神様は艱難を人類に与えることで、
結局は人間たちにとって最善となることがらを実現なさろうとします。
神様は人類を揺さ振られます。
それは、
多くの人が間違った道から方向転換して、
命を持たない偶像のかわりに
活きておられる神様を見出して、
「最後の日」に神様の怒りから救われるようになるためなのです。
ところが、どうでしょう。
人々は神様の厳しい警告に耳を貸さず、
神様をないがしろにした生活を続けています。
人間はこれほどまでに心をかたくなにしてしまうものなのでしょうか。
しかし、今の時代、実際にその通りになっているのを、
私たちは目の当たりにしています。
神様は厳しいやり方で人類を(罪の)まどろみから覚まそうとしています
(たとえば、環境汚染、増大する地球上の艱難、
ひどくなっていくばかりの戦争など)。
にもかかわらず、人々は神様を無視して生活しています。
彼らは神様の御前で悔い改めて生きるどころか、
逆に、さらに深い不義の生活へと落ち込んでいきます。
  

2012年3月2日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 9章13~19節 第六のラッパ

  
第六のラッパ 9章13~19節
   
 
第六の天使がラッパを吹きます。
ヨハネはこの世の終わりでまだ何が起きるかを、目にします。
四人の天使が解き放たれて、人類の三分の一が死にます。
この数字が象徴的なものであるかどうかは、わかりません。
ともかく、イエス様の再臨に先立つ嵐で非常に多くの人間が死ぬのは、
確かであると思われます。
おそらく四人の天使は悪魔の使いでしょう。
天使たちはユーフラテス川の向こう側からやってきます。
昔の人々にとって、この川は恐るべき境界線でした。
その向こう側には、
こちら側のなじみ深い世界を脅かす様々な国民が控えていました。
「ユーフラテス川」というのは象徴的に理解することができます。
すなわち、それは、悪を描いています。
そして、その悪から「滅びをもたらす者たち」がやってくるのです。
ヨハネは騎兵や馬を見ます。
それらはおびただしい数です。
私たちの計算に従えば、二億にあたります。
現代ではこれほど多数の軍隊も実際に存在します。
例えば中国の国民軍には、ほぼこれに相当する数の兵士が所属しています。
それはともかく、その数字を通してヨハネは
世界に争乱と滅びをもたらす巨大な悪の力を描いている、
と理解するのが正しいと思われます。
ここでも、ヨハネが描く騎兵隊の中に
現代の戦争兵器に通じる要素を見出すことができます。
とはいえ、ヨハネが戦車や戦闘機を描写しているとは断言できません。
むしろヨハネは、
滅びをもたらす者たちの様子がどれほど恐ろしげで強大か、
あらわしているのです。
それらは悪魔に仕えて世界を滅ぼす力を有しており、
そのせいで、ヨハネは恐ろしさのあまり気が動転しています。
騎兵隊もまた、前のイナゴの場合と同様、
悪魔の使いだった、ということです。
思想、群集、支配者、あるいは国家などは、
悪魔に仕えるときに、
ヨハネが騎兵隊について語っていることを実行に移すことがありえます。
  
  

2012年2月29日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 9章1~12節 第五のラッパ(その2)

 
第五のラッパ 9章1~12節(その2)
  
 
イナゴは五ヶ月の間、跳梁跋扈し、人々に苦痛を加えることを許された、
とヨハネは聞きます。
「五ヶ月」という期間は、
イナゴに与えられている時間が限られたものであることを意味しています。
何時イナゴが暴れ出し、何時その騒乱が収まるかは、
神様が決めておられます。
悪には、神様が定められた時間が与えられています。
神様は全能であり、世界の出来事は神様の決定に基づいて進行します。
  
人々はイナゴの攻撃で苦しめられます。
にもかかわらず、人々は悔い改めて神様に助けを求めたりはしません。
彼らはただ死を望むばかりです。
しかし、その死は彼らには与えられません。
人類に降りかかる悪には、それでもよい目標があります。
神様が人々を様々な方法で揺り動かされるのは、
それにより、できるかぎり多くの人が
活きておられる神様と救いとを見出すようになるためなのです。
おそらく、まさにこうした理由から、
神様は人々がこの段階で死なないようになさるのでしょう。
死は「恵みの時」[1]の終わりを意味します。
神様は、人々が救い主への信仰をもたないまま死ぬことを、望まれないのです。
  
7~10節でヨハネは、
彼が目にしたイナゴがどのようなものか、描写しています。
その形状に現代の戦車や戦闘機を読み取る人々がこれまでいました。
ヨハネが幻の中で現代兵器による戦争を目撃したというのは、
ありうることです。
もちろん悪魔は、その活動手段として、
滅びをもたらすあらゆることを利用するでしょう。
しかし、より真実に近いと思われる解釈は、
イナゴは、
イエス様の再臨の前に世界を騒乱に陥れる悪魔的な諸力をあらわしている、
というものです。
それらの力は強大で、それゆえ恐るべき悪魔の手先であり、
世界を破壊し、地上の住民に苦痛を与え、あらゆるしわざを仕組んできます。
そうすることで、それらは
人々を神様からできるかぎり遠ざけてしまおうとします。
それらは具体的には、
思想であったり、支配者であったり、他の諸力であったりします。
悪魔はそれらのものを、神様や神様に属する人々に対する戦いに利用します。
これらの諸力は、神様が許される限りにおいて、
世界に争乱を巻き起こすことが許されています。


[1] 罪を悔いイエス様を信じることがまだ可能な期間のこと(訳者註)。

2012年2月27日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 9章1~12節 第五のラッパ(その1)

  
「ヨハネの黙示録」9章
  

第五のラッパ 9章1~12節(その1)
   
  
第五の天使がラッパを吹きます。
ヨハネは天から地に落ちた星を見ます。
これは悪魔そのものを指していると思われます。
「イザヤ書」には、空から落ちた「明けの明星」が出てきます(14章12節)。
これはバビロンの王だけではなく、
手下たちと共に下に投げ落とされた悪魔自体を意味している、
と古くから考えられてきました。
それからヨハネは、神様の敵に「深淵の鍵」が与えられるのを見ます。
「与えられた」という受動態は、「神様の働き」を示しています。
すなわち、神様が悪魔にその鍵をお与えになったことを意味しています。
「神様の悪魔」という表現を用いたルターは正しかったのです。
結局のところ、悪魔は自分の権力を持ってはいないからです。
悪魔は、神様が定められた限度内で活動します。
神様は全能です。
それゆえ悪魔の活動も、
神様が実現を許されることと妨げられることとに、
左右されています。
  
聖書は世界を象徴的に三つの層に分けています。
上には天国と神様の御住い、
地上には生きている人間たち、
地下の深淵には悪の巣窟と神様の敵の王国があります。
天から落ちた星は、深淵を開いて、
悪の諸力を外部に開放してしまいます。
太陽の光を覆う煙とイナゴとは、
地上で悪が猛威を振るう様子を描いています。
4節は、
悪魔の活動には神様のお定めになった限界があることを、
再び示しています。
すなわち、神様は御自分に属する人々を悪魔のこの攻撃から守られます。
悪魔は今、
「印を受けている人々」、すなわち「神様のもの」である人々に
触れることが許されていません。
 

2012年2月23日木曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 8章6~13節 最初の四つのラッパ(その2)

  
最初の四つのラッパ 8章6~13節(その2)
  
 
イエス様の再臨の前に何が起きるか、
そのすべてを私たちは知りません。
「裁きの日」が来る前に、
世は様々なやり方で打ちのめされる、
と「ヨハネの黙示録」は語っています。
このようにして神様は
人々に語りかけておられるわけです。
私たちはあまりにもかたくななので、
神様の優しい語りかけに耳を貸そうとはしません。
それで、神様は厳しい処置を取らざるを得なくなるのです。
しかし、これは神様の恵みであり、愛なのです。
神様は、
誰も死んで地獄に落ちることがないように、
と望んでおられます。
神様は私たちを
よいことと悪いこととを通して御許に招いてくださいます。
  
11節は近年話題になった箇所です。
ここでチェルノブイリの原子力発電所の事故(1986年)のことが想起されます。
「チェルノブイリ」という名はウクライナ語に由来し、
「ニガヨモギ」という意味です。
それで、チェルノブイリの原発事故で
「ヨハネの黙示録」の「ニガヨモギ」という名の星に関する予言が実現した、
とさえ言われることがあります。
しかし、それは言い過ぎでしょう。
チェルノブイリの原発事故は小規模の災害に留まりました。
汚染された水の量も「三分の一」をはるかに下回りました。
にもかかわらず、
チェルノブイリの災害には「ヨハネの黙示録」と何らかの関係があります。
ほかでもない「ニガヨモギ」という名の原子力発電所が
放射能汚染を周囲の環境に撒き散らしたのは、
たんなる偶然ではありません。
「ヨハネの黙示録は真実だ」というしるしを
神様が与えてくださったのだ、
と(少なくとも)私自身は信じます。
神様が災害の発生を許されるのは、
人々がはっと我に立ち帰って、
活きておられる神様とその御心を捜し求めるようにするためなのだ
と思われます。

2012年2月20日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 8章6~13節 最初の四つのラッパ(その1)

 
最初の四つのラッパ 8章6~13節(その1)
  
 
七人の天使が一人ずつ順番にラッパを吹いていきます。
そして、ヨハネに幻が示されます。
封印の幻とラッパの幻は互いに結びついています。
ラッパの幻は、
すでに第六の封印の箇所で語られたことに関する
一層正確な描写だと思われます。
それらは
世の終わりの有様、
イエス様の再臨の直前の出来事を描いています。
  
ラッパが鳴り渡る時に、
ヨハネは衝撃的な光景を目の当たりにします。
天から雹や火が降り注ぎ、
自然は死滅し、
海は汚染され、
星が空から落ち、
太陽も月も光を失い、
大地は揺り動かされます。
これがどの程度まで象徴として語られたものか、
私たちは知りません。
確かに人間は、
海の生き物を殺したり、
地球の一部を丸ごと焼き払ってしまえるような
恐るべき手段を発明しました。
もしかしたら、
キリストの再臨の直前に、
人間のこれら発明品の数々が人々の手に負えなくなり、
世界を破壊することになるのかもしれません。
あるいはまた、
神様が、
前代未聞の大災害により、
そのありとあらゆる手段を通じて
世界を完膚なきまでに打ち砕かれる、
ということなのかもしれません。
 

2012年2月16日木曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 8章1~5節 嵐の前の静けさ

  
ヨハネの黙示録8章
  
嵐の前の静けさ 8章1~5節
  
 
ついに第七の封印が開かれます。
ところが今回は、
今までの六つの封印を解いた時とは異なり、
何も起きません。
天国は完全な静寂に包まれ、それは半時間続きます。
おそらくこの静けさは「待つこと」をあらわしています。
天国にいる者たちは、次に何が起きるか、息をひそめて見守っています。
神様の裁きがもうすぐ下されることを彼らは知っており、
静けさの中で裁きの時を待っているわけです。
まさに、「嵐の前の静けさ」です。
    
この静寂が止んで、ヨハネは七人の天使を見ます。
それからさらにもう一人の天使を目にします。
この第八の天使は香炉をもっており、
香を聖徒たちの祈りに加えた、
とヨハネは語ります。
同じことがすでに前にも語られています(「ヨハネの黙示録」5章8節)。
「聖徒たち」とは、地上で生きている神様に属する人々のことです。
天使は私たちの祈りに、かぐわしい香を混ぜます。
それから、私たちの祈りは神様の御許へと昇っていきます。
これは、
私たちの祈りが天国で聴かれる、
ということを私たちに保証するものです。
たとえ私たちが下手に祈ったとしても、
神様の天使は私たちの祈りに香を加えます。
そして、この香が
私たちの祈りを神様に受け入れていただけるものにします。
   
それから、天使は
香炉を祭壇の火で満たし、それを地上に投げ入れます。
その結果、雷鳴が鳴り響き、稲妻が光り、大地が震えます。
この天使の行為は、
七人の天使がラッパを吹いて世界が揺り動かされる時が
すぐそこまで来ていることを、示しているのでしょう。
香炉を投げる行為は、
神様に属する人々の祈りがちゃんと聴かれており、
今神様は長い間人々が願ってきたことを実現なさる
ということを想起させます。
イエス様が速やかにこの世に戻ってこられるように、
神様が世の悪をなくされ、
御自分を全能者として公に示してくださるように、
と神様の教会は祈り続けてきました。
七つのラッパの幻は、
これらのことが今ようやく実現しつつある、
ということを描いています。
それらのことが起きる前に、
神様はすべての人間を揺り動かして、御許に招かれます。
このことも、七つのラッパは伝えているのです。