キリスト教会の指導者(牧師)の持つべき特徴(その2)
「テトスへの手紙」1章5〜9節
「長老は、責められる点がなく、
ひとりの妻の夫であって、
その子たちも不品行のうわさをたてられず、
親不孝をしない信者でなくてはならない。」
(「テトスへの手紙」1章6節、口語訳)
「ひとりの妻の夫」という表現は結婚における忠実さを強調しています。
これは教会の指導者が必ず既婚者でなければならないとか、
やもめとなった場合には再婚しなければならない
という意味ではありません
(「テモテへの第一の手紙」3章2節も参考になります)。
「監督たる者は、神に仕える者として、
責められる点がなく、わがままでなく、
軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、
かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、
自制する者であり、教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。
それは、彼が健全な教によって人をさとし、
また、反対者の誤りを指摘することができるためである。」
(「テトスへの手紙」1章7〜9節、口語訳)
教会の指導者である「監督」の仕事とは
奇抜な教義や聖書解釈を捏造することではなく、
使徒たちから受け継いできた「教え」を忠実に伝えていくことです。
パウロは牧会書簡において
「健全な教」、
「わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教」、
「わたしから聞いた健全な言葉」
の重要性について繰り返し述べています
(「テモテへの第一の手紙」1章10節および6章3節、
「テモテへの第二の手紙」1章13節および4章3節で
合計8回の言及があります)。
これはパウロの他の手紙にはみられない特徴です。
しかしこれは、
パウロが他の手紙ではキリスト教信仰を「教え」として明示しなかった
という意味ではなく、
別の言いかたも用いることがあったということです。
例えば「ローマの信徒への手紙」の6章17節および16章17節でも
パウロは「教え」について述べています
(「伝えられた教」、「あなたがたが学んだ教」)。
最初期からキリスト教信仰は
ある種の「教えのかたち」を絶えず保ち続けてきたのです。
上掲の箇所で教会の指導者たちには
「二つの声」が要求されていることに注目しましょう。
彼らには福音の宣教者として
キリスト信仰者たちを励ます使命が与えられているのです。
その一方で、彼らには異端の教えの誤謬を看破する責務もあります。