2026年4月30日木曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」4章9〜15節 具体的な指示(その1)

 具体的な指示(その1)

「テモテへの第二の手紙」4章9〜15節

 

「テモテへの第二の手紙」4章の終わりには17人の名前が挙げられています。

 

パウロはテモテができるだけ早く、遅くとも冬の到来する前までには

彼のもとに来てくれることを望んでいました(4章9、21節、1章4節)。

地中海のこの海域における当時の航海は

11月の半ばから3月の初頭までは困難だったからです。

 

「あなたが来るときに、

トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。

また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。」

(「テモテへの第二の手紙」4章13節、口語訳)

 

寒い冬が来る前に上着も手元にあったほうがよい

パウロが願ったのは当然でした。

 

ローマからエフェソまでの旅は約2週間かかりました。

パウロからの手紙を受け取り次第すぐに出発した場合でも

テモテがパウロのもとに到着するのは早くても1ヶ月後だったでしょう。

 

「デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、

クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。」

(「テモテへの第二の手紙」4章10節、口語訳)

 

デマスの顛末をめぐっては盛んに議論されてきました。

「この世を愛すること」という言い回しは

後の時代には「殉教を回避すること」という意味をもつようになりましたが、

これは必ずしも「信仰を捨てること」ではありません。

おそらく自らの命を惜しんだデマスは

パウロを置き去りにして故郷のテサロニケに帰ってしまったのでしょう

(4章16節も参考になります)。

西暦100年代に遡る伝承によれば、

デマスは異端者ヘルモゲネの追従者になったとされています

(ヘルモゲネについては1章15節に書かれています)。

 

以前のパウロの手紙

(「コロサイの信徒への手紙」4章14節、

「フィレモンへの手紙」24節)では

ルカなどと共にパウロの同労者のひとりとしてデマスの名前が挙げられています。

 

上節の「クレスケンス」は私たちには知られていない人物です。

彼についての記述は新約聖書ではこの箇所だけです。

 

上節の「ガラテヤ」は「ガリア」を意味しているとする仮説もあります。

しかしガラテヤ人たちが元々はガリア出身であったことを考えると、

ここは「ガラテヤ」のままで正しいと思われます。

 

「ダルマテヤ」は

イルリコ(「ローマの信徒への手紙」15章19節)のことであり、

現在のバルカン半島西部にあります。

 

テトスはクレタ島での伝道をやり遂げました。

 

「ただルカだけが、わたしのもとにいる。

マルコを連れて、一緒にきなさい。

彼はわたしの務のために役に立つから。」

(「テモテへの第二の手紙」4章11節、口語訳)

 

「ルカによる福音書」と「使徒言行録」を書き記したルカは

「コロサイの信徒への手紙」4章14節(「愛する医者ルカ」)や

「フィレモンへの手紙」24節にもその名が登場します。

2026年4月20日月曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節 私は自分の仕事をやり遂げた(その2)

私は自分の仕事をやり遂げた(その2)

「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節


 

「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、

伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」4章5節、口語訳)

 

教会の責任者であるテモテは

異端教師たちの人気の高さや聴衆たちの反対に惑わされることなく

何が真理かを見極めて福音を宣教していかなければなりません。

 

「わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。

わたしが世を去るべき時はきた。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、

走るべき行程を走りつくし、

信仰を守りとおした。」

(「テモテへの第二の手紙」4章6〜7節、口語訳)

 

今や死が間近に迫っていたパウロは

「すでに自身を犠牲としてささげている」と言っています。

なお、旧約聖書の「民数記」15章や28章には

「主への捧げ物」についての記述があります。

 

信頼のおけるキリスト教の古い伝承によれば、

パウロは剣で殺害されました。

彼は信仰のゆえに自分の血を流すことになったのです。

 

「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。

かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。

わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも

授けて下さるであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」4章8節、口語訳)

 

「世を去るべき時」はパウロにとってキリストの御許に辿り着くこと

(「フィリピの信徒への手紙」1章23節)や

信仰の勝利の印である「義の冠」をいただくことを意味していました。

 

ここでもパウロはキリスト信仰者のこの世での信仰生活を

運動競技にたとえています

(「コリントの信徒への第一の手紙」9章24〜27節、

「フィリピの信徒への手紙」3章12〜16節、

「テモテへの第一の手紙」6章11〜12節、

「テモテへの第二の手紙」2章5節)。

 

人間にとってこの世での生活がすべてではないこと、

そしてこの人生の後にようやく「目的地」に辿り着けることを

パウロははっきり知っていました

(「使徒言行録」20章24節、

「コリントの信徒への第二の手紙」5章1〜10節)。

 

パウロはローマ皇帝ネロから

有罪の死刑判決を言い渡されるのを待つばかりの身となっていました。

パウロは神様から

「キリストへの信仰のゆえに義とされた者」

という宣言をすでに受けていましたが、

信仰にあって死んだ後になって

ようやく義の栄冠と永遠の命を神様からいただけるので、

その時を待ち望んでいたのです。

2026年4月17日金曜日

「テモテへの第二の手紙」ガイドブック 「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節 私は自分の仕事をやり遂げた(その1)

 忍耐の勧め

「テモテへの第二の手紙」4章

 

私は自分の仕事をやり遂げた

「テモテへの第二の手紙」4章1〜8節(その1)

 

今から扱う箇所はまるで遺言状のようです。

自分に割り当てられた仕事を成し遂げた使徒パウロが

福音宣教の責任を他の人たちに受け継がせる時がついに来たのです。

 

「御言を宣べ伝えなさい。

時が良くても悪くても、それを励み、

あくまでも寛容な心でよく教えて、

責め、戒め、勧めなさい。」

(「テモテへの第二の手紙」4章2節、口語訳)

 

この節でパウロが

「やりかたが良くても悪くても」ではなく

「時が良くても悪くても」と言っていることには

相応の理由があります。


もしかしたらここでパウロは

かつて彼の説教をさえぎった地方総督ペリクスの

「きょうはこれで帰るがよい。

また、よい機会を得たら、呼び出すことにする」

(「使徒言行録」24章25節)

という言葉を思い浮かべていたのかもしれません。


福音を聞くための「よい機会」は

悔い改めない人には決して訪れることがありません。

 

「人々が健全な教に耐えられなくなり、

耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、

自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、

そして、真理からは耳をそむけて、

作り話の方にそれていく時が来るであろう。」

(「テモテへの第二の手紙」4章3〜4節、口語訳)

 

福音の宣教は時が経つとともに容易になるものではありません。


むしろ逆です。


人々は正しい教えを聞かずに済ませるために、

彼らにとって都合の良いことを教える新しい教師たちを

たえず探し求めるものだからです

(「ヨハネによる福音書」9章4節も参考になります)。

 

しかしキリスト教信仰で宣べ伝えるべきなのは、

人々が聞きたがっていることではなく

神様が彼らに聴かせたいことなのです。

 

福音を聞かず信じもしない人の生活は

何か別の教えによって満たされてしまいます

(「マタイによる福音書」12章43〜45節)。


「作り話」の危険について

パウロは以前すでに警告していました

(「テモテへの第一の手紙」1章4節)。

「作り話」はギリシア語で「ミュトス」といい

「神話」という意味もあります。