2012年4月20日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 12章7~12節 天国での戦争

  
天国での戦争 12章7~12節
  
 
ヨハネはもうひとつの幻を見ます。
天で神様の天使の長ミカエルと悪魔との間に戦いが起こりました。
戦いは悪魔の敗北に終わり、
悪魔は手下の使いらと共に天から投げ落とされました。
天ではミカエルの勝利を喜ぶ声が上がりましたが、
天使の長の勝利は、地上では不幸の訪れを意味していました。
悪魔が地上に投げ出され、騒乱を巻き起こし、
悪を行い、神様に属する人々を迫害するからです。
この悪行を悪魔は倦むことなく続けますが、それには単純な理由があります。
地上で暴れることができる時間がもはや長くはないことを、
悪魔は知っているのです。
  
悪魔が実際に地上に投げ落されていることは、たやすく理解されるはずです。
悪魔の活動はさまざまな形で顕在化しています。
世界にはおびただしい悪があり、自然は汚染され、戦争が起こり、
人々は間違った道に迷い込み、神様の教会は苦境に立たされています。
これらすべてについていろいろな説明を与えることはできます。
天国から地上に投げ落とされた悪魔が私たちの世界で暴れ狂っているのが、
その真の原因なのだよ、と「ヨハネの黙示録」は教えているわけです。
  
10節で、悪魔は適切にも「告発者」と名づけられています。
まさに悪魔はそのような存在です。
悪魔は際限なく告発し続けます。
告発の対象となるのは、なによりも神様に属する人々です。
「お前はあまりにも出来が悪いので、「神様のもの」などではありえない。
お前はいともたやすく罪を重ねるくせに、
神様の子供のグループに所属しているなどと、よくもまあ言えたものだね。」
このようなことを言う者は、悪魔です。
ただイエス様のゆえに、
私たちは神様の民の一員として認められ受け入れていただける、
と神様の御言葉が保証しています。
私たちは罪人ですが、イエス様のゆえに「神様のもの」なのです。
悪魔が告発してくる時には特に、このことを思い起こすのが大切です。
 

2012年4月11日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 12章1~6節 女と竜

  
ヨハネの黙示録12章
  
女と竜 12章1~6節
    
 
ヨハネは子を宿している女の人を見ます。
それは誰のことでしょうか。
ここでもそれは、「神様の民」、すなわち、
この世で生活している「神様に属する人々」を指しているものと思われます。
これまでの箇所には、「神殿」や「二人の証人」が出てきました。
おそらくこれらもまた、
地上で(信仰を守る)戦いを続けているキリストの教会
についてのイメージなのだろうと思われます。
それでは、ヨハネに示された「竜」とは誰でしょうか。
9節では、この竜は
「神様に属する人々」と戦い続ける悪魔である、と言われています。
竜は緋色で、七つの頭と十個の角をもっています。
前に述べたように、「ヨハネの黙示録」では「角」は力をあらわしています。
つまり、悪魔には力がたくさんある、ということです。
竜の十個の角は、そのことを想起させます。
  
2節と5節で、おそらくヨハネは、
神様の教会の一員、イエス様の母親である処女マリアを一瞬目にしています。
彼女は男の子を生みました。
この子こそが、イエス様、王の中の王です。
4節には、悪魔の使いとしてヘロデ大王が描かれています。
生まれたメシアを殺すために、
ヘロデはベツレヘム近郊の2歳以下の男の子を皆殺しにしました
(「マタイによる福音書」2章16~18節)。
すでにその時点で、悪魔は
神様と「神様に属する人々」とに対して戦争を仕掛けていた、ということです。
聖家族は、ヨセフを長として荒野を越えてエジプトに逃げ、
ヘロデが死ぬまでそこに留まりました。
6節はこの旅について語っているのでしょう。
神様は御子とその母親とヨセフの面倒を見てくださり、
悪魔に御子を殺させませんでした。
ここで「三年半」という期間は、
悪魔が「神様に属する人々」を特に激しく攻撃する時期をあらわしています
(「ヨハネの黙示録」11章2節と、その説明を参照してください)。
 

2012年4月4日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第7回目の終わりのメッセージ

 
終わりのメッセージ
  
「この方は私たちの罪過のために傷を受けられました。」
(「イザヤ書」53章5節)
  
 
この御言葉から、あなたは、
神様の恵みを得るためになされる人間の労苦は
呪われたものであることがはっきりわかり、
実際にその通りであることを力強く示すことができます。
呪われているのは、
愛する主キリストを抜きにして
救いを報酬として受け取ろうとするような、
あらゆる賢さ、義しさ、聖さ、あらゆる行いと功績です。
  
「キリストは私たちの罪過のために傷を受けられた」、
というこの文は
人間が達成できるすべてを隅に追いやり倒します。
イエス・キリストが私たちのために苦しみを受けられたのですから、
私たちが今まで頼りにしてきた自分自身の義やよい行いや功績などは、
取るに足りないもの、ゴミとさえみなされるべきものなのです
(「フィリピの信徒への手紙」3章8節)。
はっきり言えば、
私たちは自分自身の中から抜け出して、
私たちの外部にある義に心からの信頼を大胆に寄せるべきなのです。
あたかも天と地の間を揺れ動くようにして、
私たちは、
見たり感じたりはできないが、
御言葉を通して提供されているこの義という贈り物を、
真剣な信仰によってしっかりと受け止めます。
  
(マルティン ルター 「神様の子供たちへのマナ」)

2012年4月2日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 第7回目の質問(10~11章)

 
第7回目の集まりのために
  
「ヨハネの黙示録」10~11章
  
 
「第七のラッパが鳴り響く時に神様の裁きが始まる」、
と告げる大きな天使をヨハネは見ます。
その天使の手には巻物があり、それをヨハネは食べます。
それからヨハネは
神様の神殿の大きさを測り、
神様の二人の証人を目にし、
第七のラッパが吹き鳴らされる時に何が起こるか、耳にします。
   
 
質問

1)神様の天使は海と地の上に立っています。
それは天使と、その天使が仕えている主人について、
どのようなことを語っていますか。
10章1~4節の説明を参照してください。
  
2)ヨハネが
耳にしたことを書き留めるのを許されなかったのはなぜでしょうか。
  
3)神様は御計画を主の僕が告げたとおりに実現なさる、
と天使は確言します。
神様の僕たちとは誰のことでしょうか。
神様の僕たちの話は本当のことに感じられますか。
一般的にもそのように考えられていますか。
それらが本当であることを
私たちはいつ目にすることになるのでしょうか。
  
4)ヨハネが食べた巻物は甘くて苦いものでした。
それはどういう意味でしょうか。
10章8~10節の説明を参照してください。
神様の御言葉が甘く、あるいは苦く感じられた
自分の経験を話してください。
  
5)「神様の神殿の大きさを測る」とはどういう意味でしょうか。
11章1~2節の説明を参照してください。
それが私たちに伝えるメッセージは何でしょうか。
  
6)二人の証人とは誰でしょうか。
11章3~14節の説明を参照してください。
幻が私たちに伝えるメッセージは何ですか。
人々は二人の証人の死を喜ぶということでしょうか。
そうだとしたら、それはどうしてでしょうか。
神様の御言葉というものについて、
このことは何を語っているでしょうか。
  
7)神様が権威を御手の中に収められると、
どのような結果を生みますか(11章15節)。
その後の人々の生活はどのようなものになるでしょうか。
  

2012年3月30日金曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 11章15~19節 権能を手にされる神様

 
権能を手にされる神様 11章15~19節
  
 
第七の天使がラッパを吹き、
この世界の時間(あるいは時間の世界)は終わりを告げます。
御自分の全能を公に示された神様が天国で賛美を受けられます。
神様は今でも全能ですが、
終わりの日に、皆の目の前で、
「すべての権能」を御自分のものとされます。
それは、あらゆる悪の終焉を意味します。
そして、神様が支配なさる永遠の世界が始まります。
しかしその前に、最後の裁きが来ます。
18節はそれについて語っています。
神様に属する人々には「褒美」が待っています。
とはいえ、その褒美は、
人々に各々その行いに従って与えられるものではありません。
皆が同じ褒美をいただきます。
すなわち、
イエス様が私たちのために「購入」してくださった永遠の命を、
神様に属する人々は最後の日にいただく、
ということです。
最後の裁きには、もうひとつの選択肢があります。
すなわち、
この褒美をもらえない者たちは、
苦しみが永遠につづく滅びの世界に入る
ということです。
この宣告は、神様に属さない人々にあてはまります。
 

2012年3月28日水曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 11章3~14節 二人の証人(その3)

  
二人の証人 11章3~14節(その3)
  
 
7節では、深淵から上ってくる獣が
二人の証人に対して戦いを挑んで勝ち、彼らを殺します。
「獣」は悪魔の使いをあらわし、
獣が神様の証人を殺す場所である「都市」は
悪魔の王国をあらわしています。
もしも「二人の証人」が神様の教会を意味しているのであれば、
ヨハネは今、
悪魔が教会を激しく攻撃し、
それに勝利するかのように見える状況の描写に
接していることになります。
キリストの再臨の直前、
イエス様に従う人々のグループは
打ちのめされ敗北したような有様になる、
ということなのでしょう。
ところが、それから奇跡が起こります。
死者が生き返り、教会は死者の中からよみがえり、
光り輝く天国の神様の御許へと召されていきます。
悪魔が戦いに勝ったようには見えても、
その実、最後の言葉を口にするのは神様なのです。
神様は御自分に属する人々に勝利を与え、
それとは逆に、
すでに勝利したかに見える悪魔には敗北を与えられます。  
  
近年、私たちは「ヨハネの黙示録」がここで語っていることを、
ある程度まで実際に体験してきました。
東ヨーロッパの国々では教会が瓦礫と化し、
そこではキリストの教会はもうすぐ死ぬかのように見えました。
ところが、奇跡が起こりました。
悪魔の勝利は見かけだけのものでした。
共産主義は崩壊し、
教会は、それがすでに滅ぼされたと思った場所で、
思いがけなくも成長し始め、また、新たに生まれてきています。
  
10節は、神様の証人が死ぬのを見て人々が喜ぶ様を描いています。
神様の御言葉は人々の心に怒りも生み出します。
人々は、
罪の中で生きているときにその罪について叱られたり、
滅びへ向かって歩んでいるときにそれを注意されたり、
また、イエス様なしでは誰も天国には入れない、
という話をされたりすると、傷つきます。
不義の世に神様の御言葉を語りかけ
人々の心を傷つける者たちが死ぬと、
世は喜びます。
これで邪魔立てなしに不義の生活を送れると、
世は思い込んでいるわけです。
 
 

2012年3月26日月曜日

「ヨハネの黙示録」ガイドブック 11章3~14節 二人の証人(その2)


二人の証人 11章3~14節(その2)
   
  
5~6節は難解な箇所です。
「証人たちの口から発する火」とは、
「天が閉じる」とは、
「水が血に変わる」とは、
どういう意味でしょうか。
天が閉じることについては、
周知のように、旧約聖書にも似たような記述があります。
預言者エリヤが言葉を発すると、
その通りに、天からは雨が降らなくなりました
(「列王記上」17章1節)。
神様はいつか二人の僕をこの世に遣わして、
エリヤと同じような奇跡を起こさせる権威を
彼らにお与えになるのかもしれません。
あるいは、
5~6節は象徴的な話であって、
キリストの教会がもっている権威を指している、
とも考えることができます。
イエス様は、天を開いたり閉じたりする権威を
御自分に属する人々にお与えになりました、
「あなたが地上で縛ることは、天でも縛られており、
あなたが地上で解くことは、天でも解かれています」
(「マタイによる福音書」16章19節)。
キリストの教会が拒絶されたり、攻撃されたりするところでは、
神様の怒りが下るのを待つことになります
(「マタイによる福音書」10章14~15節)。
おそらく、証人たちの敵を呑む込む火とは、
このことをあらわしているのでしょう。